315.仕事の時こそ目が輝く
「シャル。早かったな」
「閣下はもう『実験』が終ったのですね。遅くなり失礼いたしました!」
「待ってないから大丈夫だよ」
「自分も閣下を見習い、精進いたします!」
「あ、うん……」
元気一杯過ぎる赤毛の伯爵令嬢に肯定とも否定とも言えない曖昧な返事をする。
シャルロッテには実験と伝えていたが、ご存知の通りカキ氷を貪っていただけだった。ほら、息抜きも必要じゃない。
実験しているところを彼女に発見されるわけにはいかないので、ささっと撤収し執務室に戻ったのだ。
カキ氷を食べていただけだったから彼女の想定より俺の到着が早かったのである。
これ以上彼女の見積もりが早くならぬよう注意せねばな。
おっと、顔が緩んでいるような気がする。引き締めるべし。
「おほん」
「……っつ。失礼いたしました。お仕事中というのに、申し訳ありません!」
顔芸をシャルロッテに凝視されていたらしい。ワザとらしく咳払いをして誤魔化したら、逆に謝罪されてしまった。
彼女ったら、顔を真っ赤にしているじゃない。真面目にお仕事しに来た彼女の前でこれはいけなかったかも。
俺としてはキリっと仕事モードの顔にしたつもりだったんだけどなあ……過程を見られちゃったら間抜け以外の何者でもない。
「報告を頼む」
「承知いたしました!」
促すとシャルロッテの表情がガラリと変わる。ワーカーホリックは仕事の時こそ目が輝くのだ。
眩しい。
さっと書類……ではなくノートを手元に寄せて、ボールペンを握る。
ノートと表現したが、冊子と言った方がイメージが近い。こいつは紙を束ねて端を紐で縛ったものである。
いわゆるメモ帳変わりに使っているノートなのだ。
大きさはB5サイズくらい。
ここには大きく六つの項目が書かれている。
「商業、住宅、交通、教育、娯楽、治安。それぞれ頼む」
「まず商業から現状報告をいたします!」
市政を実施するにあたって、6つの項目を作ったんだ。これはローゼンハイムの市政計画を実施する際の流用になっている。
商業はとても範囲が広い。農業や手工業を始め、流通から経済状況までを含む。
本当はもっと細かく分けたいところなのだけど、商業を担当する人を厚めに配置しているし、部内で担当を分けているから今のところ問題ない。
「まずはネラックの人口調査の報告からです。台帳によりますとついに7万人を突破いたしました!」
「い、一気に増えたな。そら問題も起こってくるわけだ」
「おっしゃる通りです。公国北東部の人口の多くをネラックで受け入れたであります。今のところ、食糧や仕事に関しては問題が出ておりません。ホウライへの輸出をしてもまだ余裕があります」
「おお。キャッサバ様様だな」
「キャッサバ以外にも農作物は順調です。家畜も然り。街の商店街も活発で、次々に新しいお店が出来ております」
「貨幣経済へ完全に移行できた感じかな?」
「はい。ブツブツ交換は無くなり、物資配給も完全にストップしております。連合国となったことで公国領との物流が10倍以上に跳ねあがっています」
「いつと比べて10倍なのかな?」
「半年前です」
「マジか……人口増加を加味しても物凄い上昇率だな」
「魔石機車を貨物に使うようにしてから急増いたしました。ヨシュア様のおっしゃる通り、新しい『経済』が生まれようとしているのではないでしょうか!」
魔石機車と飛行船によって意図した通り流通革命が起こっているようで何よりだ。
公国内でも物流規模が加速し始めたと聞いている。
鉄道網ってやっぱすげえよな。うん。
流通革命が起こると、農業や手工業の在り方が変わってくるだろう。地域による名産品が産まれたり何てことも起こるかも。
いい事ばかりではない。ヒトモノの流通が激しくなると、よからぬ者を呼び込んだり、農村を離れ都市部に人口が集中し農業に支障をきたしたり……。
この世界はモンスターがいるので、人口減少は深刻な問題だ。今のところ、未だ封建制社会を出ないのである程度、地域に人を固定している状況である。
これも、時代にそぐわなくなってきて、いずれ領地持ち貴族ってのも無くなっていくのだろうな。今すぐの話ではないが。
既得権益を持つ貴族と領民の争いに発展することないよう、将来に生かせる施策を打っておきたい。
落ち着いてからな……。
「商業は多岐に渡るから、口頭での報告はこの辺で。特に大きな問題が起こっていない認識で大丈夫かな?」
「はい。ヨシュア様の掲げる6つの項目のうち商業は最も発展著しい項目であります」
「良し。次は住宅だ」
「住宅はコンクリート、漆喰、木材など建材についても問題ございません。公国からの仕入れも活発です」
「大災害時の緊急受け入れが功を奏したな。交通……は後回しにして教育はどうだ?」
ここでシャルロッテが手持ちの資料に目を通す。
俺は俺で乾いた喉を潤すべく、コップに水を注ぎゴクリと一口。
もう一つコップを用意して、水を注ぎ移動してテーブルの上にコップを置く。
彼女を立たせたままだったのでソファーとテーブルのところへ移動することにしたのだ。
彼女に座るように促したのだが、俺が座るまで直立したまま待っていてくれた。
飲みかけの自分のコップを持ったまま腰かけると彼女も続く。
「教育はヨシュア様の骨子を元に初等教育の拡充を図っております。また、領民から大学を作って欲しいとの要望も未だ強いであります」
「読み書き、計算は今後ますます必要となる。どのような職業にも関わらず習得できるようにしたい」
「はい。素晴らしいお考えだと感動しております! 元々、公国では他国に比べて読み書きと計算ができる率が高かったこともあり、教育が当たり前と認識している親が殆どです」
「対象は6歳から10歳まで。全て無償で実施する。食事も提供するようにと無茶を言ったけど大丈夫そうかな?」
「問題ございません。税収で十分賄えます。教育の遅れもほぼございません。今までは有志の親たちが順番で読み書きを教えていたようでしたので」
「良かった。確かに大学を作りたいところだな。5万人を超える都市にまで成長したわけだし。関係者に大学創設案をまとめさせてもらえるか?」
「承知いたしました。すぐに伝達します」
交通網の発達に伴い、村と村、街と村の交流も活発になる。どの村でも商人が訪れ、または店舗ができ、貨幣でもって取引を行うことになるだろう。
農家であろうが、職人であろうが、紙とペンで帳簿をつけなきゃならなくなるし、読み書きと計算は必須だ。
生きていくための力をつけることが連合国の初等教育が掲げる方針である。
国の将来への投資であるわけだから、無償で行うことは当然で、彼らが育ち国力の底上げをしてくれることとなるのだ。
公国時代に教育改革を実施しており、ネラックもそれに続く形となり導入もスムーズに進んだようだな。反発もなく良かったよ。




