309.終わった終わった
前例がないものについては新しい慣例を作る。
この言葉は皇帝にいたく響いたようで、伝統を重んじる帝国にとって福音となったようだった。
枢機卿も自ら提案した手前、「新しい慣例」については乗り気でとんとん拍子で話が進む。
「順序を決めてはいかがでしょうか?」
「そうですな。慣例というものは長く続けば続くほど、『何故』の部分が薄れて参ります。慣例を作る重責を体験し初めてこのことに気づかされましたな」
俺の提案に対し即答した皇帝がテーブルの上に両手を置き「ふう」と息を吐く。
当たり前の話だけど、慣例……つまりルールというものはそれなりの理由があって作られている。
道路に信号があるのも、車と歩行者がスムーズに移動できるようにするため。信号が無かったら交差点は危険極まりない。
真っ直ぐ進む車同士がぶつかっちゃうし、歩行者も飛び込んでくる……とんでもないことになるよな。
同じように聖女にまつわる慣例も作られた当時、それなりに意味があってできた決まり事なんだ。
今も尚、問題なく運用できているということは今も昔も「理由」がそれほど変わっていないということだな。
聖女とは聖教の中で最上位に位置する。聖教国家の領民から慕われ、君主であっても敬意を払う。
もし聖女が一国の言いなりとなり、恣意的な発言をしたらどうなるか?
下手したら国同士の戦争にまで発展し、聖女に対する信用・信仰が揺らぐだろう。そうなればもう聖女という制度を維持することができなくなる。
じゃあ、俺を追放したのは何だったんだってことだけど、あの場は聖女が告げるしかなかった。俺が君主であり、俺より高い地位にあるものが俗世にいない。
ならば神託を受けた聖女が直接告げる以外にない。
とまあこんな感じに聖女と俗世の関わりは舵取りが難しいものなんだ。
「その時の時勢にあった選択が取れるように、ということですね」
「はい。おっしゃる通りです」
「ヨシュア様の頭の中では既に案が整っているようですね」
「これまで出た意見をまとめているだけですが……」
枢機卿の言葉にそう前置きしてから続ける。
結局のところ、元々俺が最初に発言した内容をなぞるだけなのだけど。
「最初に新聖女の数を確認します。新聖女が一人ならばこれまで通り、彼女の出身地で教育を行うこととし現聖女は新聖女の元へ移動します」
二人が頷くのを待って、本題に入る。
「二人の場合は同国出身かどうかを確認し、同国の場合は該当国の枢機卿と君主が協議。異国の場合は当事国の君主と枢機卿で協議し、決まらぬ場合は争い無きよう第三国で教育を行う」
「教育を行った国で二人の新聖女は祭事を行う、でよろしかったですかな」
「はい。おっしゃる通りです。現実問題、距離が離れている国同士で行き来することは祭事に支障が起きます。また、今後のことになりますが、三人以上の場合も二人の時と同じ段階を経ることとする、でよろしいでしょうか」
「同意します。枢機卿もいかがですかな?」
皇帝に話を振られた枢機卿はゆっくりと頷き同意した。
「我々三人で協議した意見の結果を聖教国、そして全枢機卿に伝達します。賛同を得ることができましたら、この案を今後の慣例とするよう取り計らいます」
「伝達が大変かと思いますが、よろしくお願いします」
君主も枢機卿も距離があるからなあ。帝国なら飛竜があるので、飛行船ほどではないにしろそれなりの日数で全員に伝わるだろ。
さて、ここからが本題だ。
「今決めた案が採用となった場合のことも、これから決めておきたいのですがよろしいでしょうか?」
「そうですな。神託が下った。となれば、明日にでも新聖女が誕生してもおかしくはない。大公は帝国に新聖女を集める、という意見でしたな」
「はい。そのように取り計らって頂けますと」
「大公は欲が無さ過ぎるきらいがありますからな。七日だけ待ってくれませんか。おっと、飛竜を貴国へ送る日数を考え、八日待って頂けますかな?」
「はい。国内の調整もありますから。連合国は私の一存で決定で問題ありません」
「さすが賢公は違う。国をこれほどまでに掌握し、慕われている。余もそうありたいですな」
何度も何度も顔を突き合わせて決めていては、時間がかかって仕方ない。お互いに多忙な身だし、せっかく集まったのだからこの場で決めておきたい。
そこは皇帝も同じ気持ちだったみたいでよかったよ。
こちらの腹は決っている。偉そうに「俺の決定が国の決定だ」と言ったが、帝国との関係性を鑑みるに大臣たち、領民も納得してくれると確信していたから。
それで、偉そうなことを言ったんだよ。
帝国は元老院議会なんてものもあったりして、最終決定権は皇帝にあるものの意見を通すには一応議会を通す必要がある。
そこは絶対君主制の連合国との違いだな。
共和国の元老院と違って帝国の元老院議会は皇帝が強い権限を持っているが、それでも議題はあげなきゃならない。
◇◇◇
「ふう、終わった、終わった。グラヌール。同席ありがとうな」
「いえ、ヨシュア様の交渉術を間近で拝見させていただき光栄の極みでございます」
「大したことを決めたわけじゃないさ。今回はスピード感が大事だと思って。それで困ったことがあっても対応できるようにと思って、グラヌールにも来てもらったんだよ」
「ヨシュア様を手本に……と申すのはおこがましいことでございますが、精進いたします」
大聖堂を辞しグラヌールを労っていたら、逆に褒めちぎられ微妙な気持ちになった。
新聖女が二人誕生した後に「どうするんだ」となってから協議するということをしたくなかったんだ。要らぬ混乱を招くし、何よりそれぞれの街に住む領民が「自分の街で!」と希望するだろう。そうなってからでは新聖女を取られたと思う領民も出てくる。変な禍根を残したくないのだよね。
だからいつ誕生するか分からぬ新聖女が現れる前に協議しておきたかった。
8日後に決定となったわけだけど、その程度の日数ならどうとでもなる。布告の準備をしているとでも言っておけば何とかなるだろ。
「グラヌールはこの後どうする? アリシアが戻るまで待たなくてもいいよ」
「お気遣いに甘えさせて頂きます。商会組合に顔を出して参ります」
「そのことじゃがヨシュア」
大聖堂にはアリシアが残っている。彼女は聖女の務めである祈りを捧げている最中だ。祈りの時間が終わってから彼女と合流する手筈だ。
聖女の祈りってちょっとばかし時間がかかるから、せっかく帝都に来たことだしグラヌールをこのまま遊ばせておくのもと思ってさ。
したらセコイアから待ったがかかる。
「ん、この後は一応自由時間で明日の朝に帰還くらいで考えていたけど」
「ボクの魔力のことを心配しておるのか?」
「一人で飛行船を動かしてくれているんだ。十分な休息を取ってもらわないと」
「問題ない。飛行船で少し寝る。そうじゃな。夕飯を持って飛行船に参るがよい」
さすが大魔法使い。ちょいと寝るだけでいいとは。
彼女の好みそうな食事を持って飛行船に戻ることにしようか。
話がまとまったところで、アリシアお付きのシスターに今晩帝都を発つことを言伝してもらうことにした。先にセコイアへ確認しとくんだったなあ。
まさか、一日で往復できるなんて思ってもみなかったから。




