304.閑話 共和国で大航海
見渡す限りの大海原。
マスト《帆柱》が二本の中型帆船が海を往く。それぞれのマストは上から三角帆、三角帆、四角帆と並んでいる。
追い風、向かい風ともにバランス良く進むことができる帆の仕様だ。
マストに背を預けふああと欠伸する無精ひげを生やした男はバルトロだった。船首から海を睨むガルーガの姿もある。
バルトロの隣で腕を組み頬を膨らませる銀髪を後ろで括った少女も彼ら二人の仲間だった。
かつてバルトロともパーティを組んだことのある小柄な彼女は細腕ながらも一流の鍛冶の腕を持っている。
もっとも今は本業の鍛冶ではなく、かつての仕事であった冒険者のつもりでここに立っているが……。
「バルトロ。いつまで寝ているんだ!」
「腹も膨れたし。やることも特にねえからな」
「だったら、これでも握っておけ」
「ティナ……。分かった、分かった。そうだな。働かざる者ってヨシュア様も言っていた」
銀髪を後ろで括った少女――ティナが憮然とした顔でバルトロに手渡してきたのはデッキブラシだった。
跳ねるように立ち上がった彼はデッキブラシをくるりと回し、空いている方の手で無精ひげをさする。
「ティナ。魔法」
「デッキブラシに必要ないだろ! 何を言っているんだ。お前は」
「壊したくねえからな。まあ、減るもんじゃ無し、頼むぜ」
「っつ。その目、止めろ。断れなくなるじゃないか」
「この女たらしが」などブツブツ言いながらもティナが目を瞑る。
彼女はそのまま呪文の詠唱に入った。魔法の媒介として杖を使う者が多いが、彼女の場合は身軽さからファイアルビーのはめ込まれた指輪を媒介として愛用している。
彼女は武器、防具の特性・作りに詳しく、冒険者時代は付与術師として活躍していた。
「エンチャントブレード」
「さんきゅー」
ぼんやりと光るデッキブラシを指先でコツンと叩いたバルトロがマストを蹴って上に飛びあがる。
一方、時を同じくしてガルーガのもふもふした獣耳がピクリと動く。
キッシャアアアアア!
次の瞬間、けたたましい獣の咆哮が帆を揺らす。
余りの音量に船員たちは皆、耳を塞ぎその場に倒れ込みそうになることを堪えた。
そんな中、上を見た船員の一人が叫ぶ。
「赤い魔鳥だあああ!」
この声をきっかけに船員が恐慌状態になる。
それもそのはず、声の主は翼開長10メートル以上は優にある怪鳥だった。
デビルバードや赤い魔鳥と呼ばれる鳥型モンスターは炎のトサカと尻尾を持ち、船乗りからいたく恐れられている。
大型船であっても鳥に体当たりされるだけで燃え上がり、最悪の場合船が沈んでしまうからだ。
ティナとガルーガは厳しい目で上空を睨みつけ――。
影。
「バルトロ!」
驚いたティナが声を張り上げると共に目を見開く。
影はマストのてっぺんから跳躍したバルトロだった!
「あらよっと」
丁度船の上空に襲い掛かってきた赤い魔鳥の頭をぼんやりと光るデッキブラシが打ち付ける。
脳を激しく揺さぶられた魔鳥はそのまま落下し、甲板に叩きつけられた。
遅れてバルトロが華麗に着地し、デッキブラシを一回転させる。
「ほら、ちゃんと掃除しといたぜ」
「バ、バカ! み、見惚れてなんていないからな! う、うう。デッキブラシでモンスターと戦うなんて何を考えてるんだ」
「ティナの魔法があったし、問題ねえだろ。ほれ、傷もついてないぜ」
「ちょっとばかしカッコよく決めたからって調子に乗るなあ」
「硬い事言うなって」
バルトロはくしゃっとティナの頭を撫でた。
まあまあ、と彼女を落ち着かせるように。
「う、うう」
「まあ、機嫌直せって」
「じゃあ、もっと撫でて」
「おう」
ティナに言われるがまま、彼女の頭を撫でるバルトロであったが、ガルーガと目が合い彼女から手を離す。
「あ」と一瞬だけ悲しそうな顔をした彼女であったが、すぐに元の顔に戻る。
「相変わらず無茶苦茶だな」
「丁度いい運動になったぜ。お、そうだ。船員の兄ちゃん」
ガルーガと軽い応酬をしつつ、バルトロは一番近くにいた若い船員に声をかけた。
「お、俺……自分でありますか?」
「悪い。仕事中に」
恐慌状態にあった船員は状況の変化についていけず、自分の言葉遣いがおかしくなっていることにも気が付かないでいる。
一方バルトロはヨシュアを見習い、船員は船員の責務があることを気遣う言葉をかけた。
佇まいを正した船員は背筋を伸ばし声を張り上げる。
「大助かりであります! 赤い魔鳥で船が沈むところ、助けて頂き感謝するであります」
「助かりついでに、教えてくれねえか」
「この鳥。(食べたら)うまいのか?」
「た、食べる……でありますか?」
「うん」
「コックに言ってきますであります!」
若い船員は足と手の振りが同じになりながら、甲板から船内に引っ込んで行く。
彼の動きを見ていた他の船員たちはようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「すげえな! あんた!」
「いくら、かの賢公の使者とはいえ、ここまで荒事に強い何て思ってもみなかった!」
「赤い魔鳥のモンスターランクはいくつだったっけ?」
「さあ、Aランクパーティでも苦戦するとか言ってなかったか。それを一撃で!」
一斉に船員たちが騒ぎ出す。
その後、船長も出てきてバルトロらに何度も礼を述べた。
その日の晩、こんがり焼けた赤い魔鳥のもも肉を齧ったバルトロは目を細め、ビールをぐいっと飲む。
「うめえじゃねえか。味はソーモン鳥に似ているな」
「そうだな。やや脂身が少ないが、巨体にありがちな大味ではないな」
肉には少し拘りのあるガルーガも赤い魔鳥の味に太鼓判を押す。
舌鼓を打つ彼らを交互に眺めた海賊のような風貌の船長がビールを一息に飲み干しぷはあと息を吐く。
「それでバルトロさん。どうすんだ? 戻るのか、進むのか?」
「進む」
「どっちに舵を切る?」
「この方向だ。島か岩礁がないか?」
「ほう。知ってて言ってんのかと思ったぜ。あるぞ。コルムーンという島がな」
「そこだ。そこに向かう。途中何か来れば、たたっ斬るから安心してくれ」
「赤い魔鳥のようなモンスターはそうそういねえって。でもま、頼りにしてるぜ」
共和国を訪れたバルトロたちは共和国の南で発生している船の沈没を調査すべくヨシュアの紹介状を持ってドージェの元へ向かう。
ドージェと共和国元老院はすぐさま船団を準備すると申し出た。
バルトロらはこれを固辞し、中型船を一隻手配してくれるように頼んだ。
共和国第一の港街ジルコンを出発した彼らは目的の海域へ向かい今に至る。
船長の言葉に対し、バルトロはビール片手に陽気に笑う。
「お偉いさんが色々準備してくれたから、海中でも心配ないぜ」
「あんたらならそうかもな! ガハハハハ」
「全く……バルトロと一緒しないでくれ」
船長の笑い声に被せるようにしてガルーガが抗議の声をあげた。




