302.グラヌール召喚
「呼んだかの?」
無い胸を反らし「ふふん」と現れたのはセコイアだった。彼女の後ろでは遠慮がちなアルルの姿。
もう察した。この笛に何か仕掛けをしていたんだな。
「セコイアも屋敷の中にいたのか」
「うむ。この距離で笛を吹かれるとたまらんからの。猫娘もな」
「まだ吹いていないのによく気が付いたな」
「その笛。口で触れたじゃろ。それで分かる。猫娘はお主の呼吸で分かったみたいじゃな」
「何それ怖い……」
触れたら分かるは想定内だったけど、アルルってそんな細かいことまで分かるんだ。ギフトってすげえな。
ぴょこっとセコイアの隣に移動したアルルが膝を少し曲げ俺を見上げる。
「(扉を)開けたら、ダメ、だった?」
「ちょうど呼びに行こうと思ってたから」
大丈夫とできる限り優しい笑顔で彼女に語り掛けた。
グイグイ。
すると、ぶすっとしたセコイアに袖を引っ張られる。
「全く。すぐに色目を使う。猫娘にはいつものことじゃったな」
「色目ってなんだよ。俺なりに怒ってない大丈夫だよ、と安心させようとしたんだって。気持ち悪い顔になってた?」
「ううん。ヨシュア様の笑顔。ふんわり。ほかぽか」
そうだろうそうだろう。決して気持ち悪いわけではないのだ。
これで話は終わり、と話題転換しようとしたら先んじて狐耳が爆弾を落とす。
「ほれ、そこの聖……アリシアじゃったか。キミに見惚れておるぞ」
「……っつ。そのようなことはありません」
名前で呼んで欲しいとのお願いを覚えてくれていたことは評価する。
しかし、アリシアをからかうのはよしてくれ!
ま、でも。気さくに接してくれる友人のような人がいないから彼女は張り詰めてしまったんだ。
そう思うと自然と笑い声が漏れる。
「あはは」
「笑って誤魔化そうたってそうはいかぬぞ。キミは乳が大きい女子が好きなのじゃろ?」
「勝手に決めるな!」
前言撤回。涎狐め。
気さくなのはいいが、アリシアに下品な言葉は禁句だろ。
ギギギと彼女の方へ顔を向ける。
俯いて肩を震わせているじゃないか。怒らせてしまったかも。
「アリシア、えー、なんだ。セコイアの言っていることは冗談だからな」
「はい。存じでおります。ですが、聖女のわたくしでは世俗の会話など不可能でした。私として接してくださり、嬉しくて」
「そ、そうか。だったら良かった。この部屋を出るまではアリシアでいてくれていいんだからな」
「……はい。ヨシュア様、お耳を」
何だろう。セコイアとアルルに聞かれたくないんだよな。
どれほど小声で囁いてもあの二人には聞こえてしまう。言わなきゃ分からないし……「黙ってろよ」とキッと狐を睨む。
「うむうむ」と親指を立てる狐。全く信用していないけど、彼女とて本当にマズイことは口にしないしその辺は分別がある。
踵をあげる彼女に合わせ首を彼女の方に向けた。
「……いや。あまり気にすることじゃ……。口にしない方がいいと思う」
元の姿勢に戻ったアリシアは僅かながら頬が赤くなる。
俺しか心の内を話すことができる人がいないとはいえ、性別が違うのだから難しいよな。
彼女が何を口にしたのかは俺だけの秘密にしておくとしよう。
「なんだよ」
一人納得していたら、セコイアにグイグイと腰の辺りを引っ張られる。
耳を寄せろって。
無視しようとしたら、膝がガクンと落ち尻餅をつく。
何しやがった。この狐!
満足したのかとてもいい笑顔で俺を眺めた後、彼女が俺の耳元に口を寄せる。
「やはりエリーが良いのか? 揉んだのか?」
「声がでかい。ワザとだろ」
「くすくす」と笑いながら彼女が俺の膝の上に座った。
いや、立てないだろ。座られると。
気にした様子もなく彼女は鼻を鳴らし片耳だけをペタンと折りたたむ。
「さあ、どうかのお。アリシアと秘密の話を堂々とするヨシュアには教えてやらん」
「全く。セコイア。すぐにでも帝国に向かいたい。一緒に来てもらえるか」
「良いぞ。宗次郎の方にかなり興味が惹かれておるが、ほかならぬヨシュアの頼みじゃ」
「ペンギンさん、プラスチックのことを聞いたんだ?」
「秘密兵器も見せてもらったぞ。カガクには興味が尽きぬのお」
「俺も鍛冶場には通いたい。任せっぱなしも気が引ける」
プラスチックのことは本当に楽しみだ。時間を見つけて合間合間に製品のスケッチをしとこうかな。
すぐに作れそうで売れないだろうな、と思うものでも作ってみたいものがあるんだよ。
銭湯に行くと置いてある安っぽい風呂椅子と桶。あの黄色い奴だ。あれを使って風呂に入りたい。
何でそんなものを……と疑問を抱くかもしれないけど、ああいったチープな昭和感溢れる商品って妙に落ち着くんだよ。
風呂の時間は綺麗にするだけじゃなく、リラックスする時間でもある。
だから、風呂グッズには拘りたいなあってね。
◇◇◇
とっとと帝国へ行きたいところだけど、何も指示を出さぬまま行くわけにはいかない。
結局出発できたのは翌日になってからだった。
イゼナをホウライまで送る飛行船の確保もできたし、シャルロッテに俺がいない間、最低限の決裁だけはやってもらうように頼んだ。
治安やトラブル解決に関してはルンベルクとリッチモンドに見てもらうようにして、帝国行きメンバーの選定を行う。
目が回りそうだったけど、何とか調整がつき出発と相成ったんだよ。
アリシアと彼女に付き従ってきた女官二人に彼女らとのつなぎ役としてエリーを選ぶ。
風魔法はセコイアに担ってもらい、操舵役は飛行船運営スタッフから二人借り受けた。
これで俺を入れて八人。
「ローゼンハイムに寄ってから帝国に向かう」
「誰か乗せるのかの?」
「うん。折衝事となればローゼンハイムの大臣を連れていきたい」
「ほう。専門家がいるのじゃな」
例のごとく膝の上に座るセコイアと会話をしている間にもローゼンハイムに到着した。
「ヨシュア様。私でよろしかったのでしょうか?」
「唐突に引き抜いてごめん。大臣の中で一番相応しいと思ったのがグラヌールだったんだ」
「有難いお言葉にこのグラヌール。胸の高鳴りが止まりません」
「経済担当として他国との折衝をこなしてくれたグラヌールなら、と思ってね」
ローゼンハイムで女官を一人降ろし、代わりに経済担当大臣のグラヌールに加わってもらったんだ。
実のところ外交担当の大臣はいる。
ヴァイクセル伯爵という領地持ち貴族なのだけど、ローゼンハイムにいるのは年の三分の一くらいかな。
外交担当に求められる気質は温厚で場を和ませる力である。和を乱さず、和を尊び、誠実であれ。
聖教国家間の外交を担い、友好的に接することができるように尽力するポジションだ。
厳しい交渉や折衝などはなく、こなす仕事も多くない。廃止するかどうか迷ったのだけど、伝統を重んじこのポジションを残したんだ。
ヴァイクセル伯爵は領地運営の傍ら、外交担当大臣もこなしてもらっている。
まあ、それくらいが丁度いい大臣ってことさ。誤解を招きそうだから一つ断っておくと、彼は決して無能というわけじゃない。
適材適所ってやつさ。
一方で経済担当は他国との輸出入に加え、国内流通についても差配対象である。日々、胃が痛い思いをさせてしまってすまん。
彼が多くの決め事も調整して来てくれたことを知っている。
だからこそ、公国側から誰かと思った時、真っ先に彼の顔が浮かんだんだ。




