301.ご報告
応接室に入ると純白の法衣を身に纏った聖女が窓際に立っていた。
窓の外を眺める彼女の後姿はそれだけで絵になる。
偉そうに何言ってんだって話なので決して口にできないけど、俺がこれまで見た人間の女子の中で彼女ほど綺麗でただいるだけで絵になる人は他にいない。
幼い時から彼女のことを見ているが、すっかり大人の美人になったなあ。確かもうすぐ20歳になるのだっけ。
法衣で体型が隠れているけど、平均的な身長に抜群のプロポーション。一流の彫刻家が腕によりをかけて理想の美女を描いたかのような彼女の容姿もまた超然としていて聖女として敬われている要因の一つだと思う。
もちろん、中身もな。聖女たらんとするその精神は行き過ぎとも言える。しかし、真摯に責務を全うする姿に惹かれぬ人はいないだろう。
顔だけをこちらに向けた彼女は口元だけに笑みを称え、ゆっくりと瞼を閉じて挨拶をする。
目を開けた彼女はほんの僅かの間、本来の色のあるふんわりとした表情を浮かべ元の顔に戻った。
この分だとちゃんとアリシアとしての息抜きはできているようだな。良かった。
「アリシア、待たせてごめん」
「いえ。ヨシュア様、あ、あの……」
戸惑ったように肩を震わせる彼女の小動物のような愛らしい仕草は普段の彼女からおよそ似つかわしくない。
あれ、なんか失敗した?
彼女が聖女の姿を崩すことは滅多にない。先ほどの本来の顔のように自分から意識してチラリと見せることはあったとしても。
「気に障ることをしたかな?」
「そ、そのようなことは。し、しばらくぶりだったのでつい」
「大丈夫だよ。ここには俺しかいないし、誰にも聞こえないようにしているから」
「私がこうなると見越し……ヨシュア様……」
自分の呼び方も「わたくし」ではなく「私」だ。今の彼女は聖女ではなく、アリシアとして振舞っている。
「聞こえないように」と言ったが、たぶんアルルなら聞こえているよな。
彼女が誰かに喋ることは有り得ないし、彼女は聞こうと思って聞いているわけじゃない。聞こえてくるのだから仕方ない。うん。
しばらく俯き、時折首を左右に動かしていた聖女アリシアがブツブツと何やら呟いている。
「だ、だってヨシュア様が、あの笑顔で私に……」なんて言葉が聞こえてきたが、大人な俺は彼女が落ち着くまでそっと見守るのだ。
ようやく顔をあげた彼女は元の聖女の顔に戻り静々と礼をする。
「神託を伝えに参りました」
「直接とは穏やかじゃないな」
「連合国の枢機卿は帝国に向かっております。そこで帝国の枢機卿と合流し皇帝に謁見する予定です」
「枢機卿の間では情報共有が済んでいるの?」
コクリと頷くアリシア。
神託は国家にとって最高レベルの情報である。通常、政府高官に伝えられることが多いが、このように回りくどくわざわざ枢機卿や聖女が訪れることは極めて稀だ。
連合国だと聖女も枢機卿も常に教会にいるので、教会を訪れた大臣にどちらかから直接口頭で伝えられる。
連合国では宗教と政治は完全に切り離されているものの、慣例として世俗か神に聞きに行くという形式を取っているんだ。
聖女が馳せ参じるなんて一体何があったんだろう。
「神託が新たな者に授けられる、と神託が告げました」
「わざわざ来てくれるほどのことじゃないんじゃないか」
神託のギフト持ち……つまり新しい聖女が生まれる。聖女の交代は既定路線というか、脈々と引き継がれてきたもの。
アリシアの前にも別の聖女がいたし、彼女もまた次世代の聖女に引き継ぎを行う。
目を伏せた彼女は顔をあげ真っ直ぐ俺を見つめる。
「新たに神託のギフトが授けられる者は二人。一人は連合国、もう一人は帝国だと枢機卿が言っています」
「神託で二人と告げられていて、予言が場所を示した?」
「はい。方角と聞いております。南東の辺境と中央と表現されておりました」
「二人、二人か……俺の記憶では先例がない。神託持ちは一時的に引き継ぐ人と引き継ぎを受ける人で二人にはなる。だけど、二人同時に授かるなんてこと聞いたことが無い」
「聖教でも調べました。ヨシュア様の記憶と同じです」
マジか。マジかああ。
どう扱えばいいんだ、新聖女問題。
神託と予言が告げているのなら「確定的な未来」だ。言葉の取り違えがあるかもしれないけど、二人とハッキリ告げられているのなら二人で間違いない。
「神はいいかもしれないけど、人間側はどう対応すりゃいいのか。枢機卿は何か言っていた?」
「いえ、枢機卿も戸惑っていました」
「神託のギフトが授けられたら、すぐに分かるんだっけ?」
「はい。神託のギフトは引き合います。どこにいるのかすぐに分かります」
「う、うーん。帝国と相談すりゃいいのか。聖教国全部を交えなきゃならないのか迷いどころだな」
アリシアによると「神託持ち」はまだ生まれていないようだ。
問題は聖女の居住地なんだよね。
聖教国にとって聖女が自国にいるということは大変な名誉なんだ。だから、どの国も聖女を自国内の教会に住まわせたい。
これが元で紛争に発展することを懸念した各国は取り決めを行った。
「聖女の生まれた国が聖女の居住地とする」とね。
アリシアはローゼンハイムの商店の娘だったかな……なので、公国の教会を拠点にした。
う、うーん。
予言と神託じゃ、価値がまるで違うからなあ。
予言のギフトも神託と同じように「未来を告げる」という意味においては似たようなものだ。
しかし、予言のギフトは生まれつき持っていて、しかも複数人生まれることもある。確か今も三人くらい予言のギフト持ちがいたはず。
予言のギフト持ちは聖教に所属することが決められているのが、個人的に引っかかることだけど世の安定のためには仕方ないと割切るしかない。
ともあれ、予言のギフトの場合は同じ内容がそれぞれに告げられる。三人いれば三人に同じ内容が神から告げられるというわけだ。
神託は必ず一人。代替わりの時に二人になるけど、神託を受けるのはどちらか一人なんだ。
ある日を境に新聖女に神託が告げられるようになる。それから間もなくして旧聖女の神託のギフトが消える。
「前例のないこと。どのように神託が告げられるのかも分かっておりません」
「聖女教育もあるんだよな。となると一か所に集めなきゃ……う、うーん」
「聖教が元で火種になることは許されません。聖教は世の安寧を願い、波風を立てることを目的としておりません」
「分かってる。俺だってそうだよ。みんな仲良く。これまでそうやってきたんだから、これからも同じようにやっていけるはずだ」
どうしたものかな。
急ぎアリシアを連れ、帝国に行くべきか。帝国側からこちらに来るには飛行船も無いし時間がかかる。
時間は余り残されていない。すぐにでも動かなきゃ。
政務? そんなものもありましたね。山積なんだけど、見て見ぬふりをする。
これをきっかけにして俺の政務が無くなってくれれば……儚い期待を胸に懐に忍ばせた笛を取り出す。
笛に口をつけ、大きく息を吸い込むと唐突に扉が開く。




