299.計算機
「坊ちゃん、ペンギン殿も見えましたぞ。ささ、ささ」
「どうしたんだい?ヨシュアくん?」
さすがトーレ。ブレない。ペンギンがいるのなら待つ理由はないものな。
しかし、ペンギンはそうじゃないだろうに。
「トーレ。ペンギンさんも何か用があって来たんじゃないのかな」
やれやれとばかりにトーレに釘を刺すと彼に代わって陽気に笑いながらガラムが応じる。
「ガハハ。そうだったの。例のアレを触りに来たんだろう」
「そうでした。そうでした」
二人ともペンギンが鍛冶場に何をしに来たか知っている様子。知っていてのトーレの暴走……ま、まあいつものことか。
それにしても、アレと言われても俺とアルルには分からんぞ。
ペンギンはといえば、フリッパーをパタパタさせやる気を見せている。
そんな彼と目が合う。
「ヨシュアくん。例のアレだよ」
「例のアレ……?」
「先日君にも伝えたつもりだったのだがね。ほら、電卓のことを議論したときに」
「コンピュータのこと……? 進めてるとは聞いていたけど」
「ヨシュアくんの想像するようなコンピュータまではまだまだ遠い。記録媒体を作るところで頓挫していてね。ならば、基礎研究をと魔術回路の研究さ」
「魔術回路……?」
「そうだとも。魔素を発散する魔道具を作ったろう? それの延長さ」
「魔術回路……! すっかり頭から飛んでいたよ。魔術回路の仕組みを解明できれば何でも作ることができるじゃないか!」
「そう単純なものではないと分かってきたがね」
ペンギンはふうとため息をつきお茶目に片目を閉じる。
公国北東部の魔素を発散させる時、ダイナマイト型の魔道具を作った。どのような魔術回路でも作ることができるようになれば、電化製品を魔道具で置き換えることも容易い。
うだるような暑さの中、かき氷をお手軽に食べることだってできるようになるのだ。
夢が広がりまくるが一筋縄ではいかない。魔術回路は電子回路と似て非なるもの。なんというか、数学で例えると突然公式が変わると言えばいいか。
100キロ離れた屋敷まで時速60キロで目指すとすると、単純に割り算をすればどれくらいの時間がかかるのかが分かる。ところが、これを魔術回路にたとえたら、残り20キロ時点で急に速度が変わったり、目的地から遠ざかるように動いたりするんだ。う、うーん、自分で言っていてよく分からん。
俺がくだらないことを考えている一方でペンギンが熱く理論を語っている。
「……とういわけなのだよ。興味が尽きないね」
「うん!」
うわちゃあ。最初の方が上の空だったとは言え、まるで分からん。何言ってんだ……。反応の悪い俺に代わり、アルルがピシッと手をあげて返事をしてくれた。和む。
「ま、まあ。なんだ。魔術回路の研究中だったんだな」
「そうだね。その過程で成果物もあるよ」
「何だって! そんなこと、一言も」
「まだ検証実験が済んでいない。持ってこようではないか」
「ペンたん。アルルがやるよ!」
「そうかね。助かるよ」
アルルに抱えられ、奥の部屋に向かうペンギン。
彼女の両手が塞がっているけど……戻りはペタペタ歩いて戻るのだろう。たぶん。
「え、えええ」
思わず変な声が出た。
だって、アルルがペンギンを抱っこして戻ってきたんだもの。彼女は終始ご機嫌で尻尾をピンと立て鼻歌でも歌い出しそうな感じだった。
彼女に降ろしてもらったペンギンは両フリッパーで挟んだ板みたいなものを俺に手渡す。
ふむふむ。
大きさは大きめのスマートフォンくらいかな。材質はアルミと魔工プラスチックのようだ。
表面に魔工プラスチックの丸いボタンが並んでいて、手書きで数字が描かれている。
板の上部は横に長い長方形の魔工プラスチックがはめ込まれていて内側にこれもまた数字が描かれていた。
「これ、計算機?」
「いかにも。このままでは動かないんだよ。上手く中にはめ込むことができなくてね。魔力を流さなければならない。ヨシュアくんには難しいから、こいつを」
「はい」とアルルがぽっけから出したのは小さな魔石。
机の上に計算機を置いて、左手で魔石を握りしめ板に触れる。右手で数字の描かれたボタンを押せばいいとのこと。
俺の手を通って魔石から計算機に魔力が流れるってわけか。この辺、魔力は電気と異なってやりやすいな。
「二を押して、ええと、次は+マークで足し算になるのかな?」
「数字は電卓と同じだよ。計算結果は……見た方がいいね」
よっし。
+マークを押して、次に4を押し、イコールマークを押す。
すると、板の上部に並んでいた6が描かれた裏側がオレンジ色に光る。
「お、おおおお! 結果を表示するのが上側なんだな」
「本当はデジタル表示したかったんだけどね。まだまだ改良中なのだよ」
「いやいや、凄すぎてなんて言ったらいいのか言葉が出てこないよ。数を作ることはできそうなのかな?」
「トーレさんの手作りだからね。数を作るには金型、プラスチックを別々に量産し、基板となる魔術回路も別で製造、といった感じかな」
「問題はコストだよなあ。結構な金額になりそうだ」
ペンギンが右フリッパーを頭にペタリとつけ、尻尾を上にあげた。
何のポーズなのか悩ましいな。
一方でいつの間にか飲むのをやめていたトーレが大きな紙と小さな紙を机の上に置く。
一つは魔術回路の設計図だった。すげえ。魔素を発散する魔術回路ほどではないけど、これでも結構な複雑さになっている。
小さな板の中に納めないといけないから、細かい作業が要求されるよな、これ。
もう一つの小さな紙の方は材料一覧とトーレがかけた時間が記載されていた。
「工程を分割して作成したとして、作業時間が半分以下にはなるだろうから……う、うーん。結構なお値段になるね」
普及したらもっと安くなってくるだろうけど、子供が手軽に使うことができるくらいになるまでどれほどの時間がかかることか。
現状、ローゼンハイムとネラックの会計部門には一人一台。その他の部門には各数台で、領主の元に数台配布できたらいい方だ。
ここまで配布したところで計算機制作のノウハウが溜まって来るだろうから、一般に向け販売開始といったところかな。
初期価格は日本でたとえるとお高めのスマートフォンくらいになる。
商人ならこぞって欲しがるかもしれない。いや、店舗の方が需要が高い気もする。
計算機は計算することに慣れていない人でも正確かつ瞬時に計算結果を出すことができるのだ。習熟が必要ないというところが一番のメリットである。
「それでヨシュアくんはトーレさんと何を議論しようとしていたのかね?」
「魔工プラスチックを使った製品の案をと思ってたんだけど、急ぐ話でもないんだ」
「なるほど。丁度いい時期だと思うよ。貨幣を作ることで魔工プラスチックの加工については習熟している。魔力を注ぐことは必要だがね」
「それも魔石を握りしめれば何とかなるかな」
「魔石でもいいが、平均的な魔力を持つ人なら問題ないよ。数に限りはあるけどね」
「お、おう……」
「ともかく、ホウライから樹脂を大量に仕入れるから、新たな製品をと言う事でよかったかい?」
コクリと頷く。
役者は揃っているし、イゼナもまだ戻ってこない。彼女が戻るまで俺の案をペンギンたちに聞いてもらうとするか。




