298.宝の持ち腐れ
「見事な橋ですね!」
「コンクリートを使ってますので工期は従来の半分以下だと職人から聞いております」
イゼナが眼下に映るルビコン川にほうと息を吐く。
ネラックに飛行船が到着する頃にはすっかり夜のとばりが降りていて、真っ直ぐ屋敷に向かったんだ。
翌朝になり、溜まった書類に忙殺され……は少し待ってもらって彼女を連れて水道橋まで来ていた。
彼女がネラックまで来た理由はずばりコンクリート建築を見てもらうためである。大規模なコンクリート建造物となると残念ながら俺の知る限りここネラックにしかない。
公国側にも一部コンクリートを使い始めているところがあるにはあるけど、魔石機車路線のホームを一部コンクリートにした程度な記憶だ。
これから両大河の護岸工事、水路建設をするならきっと水道橋も参考になるはず。ここから伸びる水路にもコンクリートを使っているしな。
「レンガの装飾も見事です! これほど素晴らしい技術を持った職人はホウライ中を探してもそうそういません!」
「私が言うのも憚られますが、水道橋に関わった職人たちは皆素晴らしい腕を持っています」
うんうん。トーレに模型を作ってもらい、ガラムと共に陣頭指揮をとってもらったんだよなあ。懐かしい。
もう何年も昔の出来事のように思える。
水道橋が出来て街が本格的に作られていくようになり……あっという間だった。
最初、何も無いところで追いかけてきた領民に引退宣言をしたっけ。約束の三年まで残された期間はあと一年くらいなのだけど、果たして無事隠居生活を送ることができるのだろうか?
う、ううん。この調子だと難しそうだ。しかし、目途はついてきている。
引退はできないにしろ、三年以内に隠居までの勝ち筋を描いておかなきゃ。このままズルズルと行ってしまうのだけは避けたい。
次に向かったのは鍛冶場でガラムとトーレが既に出来上がっていた。まだ朝だぞ!
「坊ちゃん。こんな朝早くにどうされたのですかな。新たなものをそろそろ作るんですか? ささ、ささ。早く」
「おう、ヨシュアの。次は大物か? 鍛造でもするかの?」
つい彼らの持つビールの入ったカップに視線を向けたら、「朝飯じゃ」とガラムにぴしゃりと言われた。
朝から飲んで鍛冶に支障はでないのだろうか。ま、まあ。ベテラン二人だし、景気付けに一杯飲んでから仕事を始めるんだろう。
いや、一杯じゃないぞあれ。
「ま、まあ。飲みすぎて倒れないようにな。魔工プラスチックをドカッと仕入れることができそうだから、何か作ろうかとは思っているよ」
「おお。そいつは心躍りますな。ささ、ささ」
「い、いや。今じゃなくて。彼女にコンクリートがどんなものか見せれないかなと思って立ち寄ったんだよ」
「そうでしたか。弟子に任せましょうぞ。坊ちゃんは『何か作ろう』の『何か』を語っていくといいですぞ」
「ペンギンさんも呼んでからね」
ズズイとトーレの顔が迫って来る。魔工プラスチックで作りたい品物案はいくつかあるんだ。
イゼナをトーレたちに紹介していたら弟子の中で最年少のネイサンがやって来た。浄化のギフトを持つ彼には随分と助けてもらったものだ。
彼に案内され部屋を出ようとしたところでイゼナが立ち止まり体ごとこちらに向き直る。
「ヨシュア様、水晶球で映してもよいでしょうか?」
「もちろんです」と大きく頷きを返すと共にネイサンにお願いしておく。
「ネイサン。イゼナさんにコンクリートを固める時の魔法について教えてもらえるか?」
「はい!」
元気よく答えるネイサンにイゼナが深々と礼をする。
「何から何までありがとうございます」
鍛冶場に寄って良かった。ここなら多少のコンクリートがあると思ったんだよね。
イゼナの姿を目で追っていたガラムが「ふむ」と顎髭をさする。
「ホウライ人かの。この辺りでは珍しい」
「会ったことがあるの?」
「数えるほどじゃがの」
「へえ、ローゼンハイムまで来ることがあるんだな」
「冒険者だったからの。色んなとこに行っとるわい」
昔を懐かしむようにビールをグイッとやるガラム。まだ飲むのかよ。
ホウライの人は人間とは別種族だ。といっても、人間とホウライ人は額から角が生えている以外に身体的特徴の違いはない。
エルフやドワーフだと人間と体格が異なるが、ホウライ人は人間と変わらない……と思う。ジョウヨウで見た記憶だけで語るのなら。
猫族とかエルフみたいに種族名がついていたりするのかな。ホウライ人という呼び名がそれに当たるのだろうか。うーん、イゼナに聞いてみるかは悩むなあ。
もし彼らにとって繊細な話題だったら失礼だよな、と思ってさ。
「坊ちゃん。待っている間に……」
「いや、だからペンギンさんがいなきゃ」
「(ペンギンのことは)わかってますぞ。喉も乾くでしょうと思いましてな」
「ぐ、だ、ダメだ。朝からなんて」
こら、トーレ。
注ぐなー。杯にビールを注がないでくれ!
ダメだよ。朝からなんて、仕事ができなくなる。
しっかし、いい感じに泡がシュワシュワとしておるな……ゴクリ……生唾を飲み込む。
なんて魅惑だ。悪魔的とはまさにこのこと。
「要らぬのか? 仕方ないのお」
「あ……」
せっかく注がれたビールがガラムに飲まれてしまった。なんて美味しそうに飲むのだ。
実際あれは美味しいものだ。あれを飲み、朝から仕事を忘れ……もういいか、今日くらい。長旅の後は休暇ってのが世の常よな。
よ、よおし。
「やあ。お、ヨシュアくんもいたのかね」
「ヨシュア様。来ました。やっぱり、心配」
まさに今、誘惑に負けそうになったその時、ペンギンを胸に抱いたアルルが登場した。
「の、飲んでない。ま、まだセーフだ」
「ん?」
嘴を上にあげるペンギンとニコニコしながら首をこてんとするアルル。
「あ、いや。魔法が効いているはずだから屋敷に戻るくらいまでは平気なはずだよ」
「でも。一回だけ? やっぱり近くにいなきゃ」
「た、確かにそうかもな。転んだらそれで終わりになっちゃうし」
「うん!」
内心を誤魔化しアルルと会話していたら落ち着いてきた。護衛はともかくビールと言う悪魔の誘惑を跳ね除けるにはアルルの力が必要だ。彼女が見てるとなれば、俺も自制が効く……よね?
ビールは今夜だ。絶対に飲む。仕事の後の一杯のため、頑張ることにしよう。
「アルル。俺には見えないのだけど、まだセコイアの魔法がかかってる?」
「うん」
「やっぱり魔法はダメだな」
「そうなの? セコイアさん、ダメ?」
「セコイアがダメなんじゃなくて。どれほど強力な魔法でも対象が俺だと宝の持ち腐れだ」
セコイアに防御魔法をかけてもらった後に屋敷から水道橋までは護衛付きの馬車で移動した。
水道橋から鍛冶場まではすぐだし、これくらいならとルンベルクからも許可が出たんだよ。護衛役はアルルじゃなくて珍しくバルトロだったんだけど、アルルが入れ替わりで向かってくれたんだな。ペンギンを連れて。
しかし、魔法が解けたかどうか分からないのでは、安全か安全じゃないか判断できん。セコイアの魔法で防御されているから大丈夫というのは当てにならないな……。
彼女の魔法じゃなく、俺のセンサー的な問題で。




