293.灌漑
「まず最初に申し上げておきたいことは、今年度についてです。時期も時期ですので、これから種を撒くことは難しいでしょう。他国からの輸入と備蓄を解放し乗り切る以外ないという判断です。連合国も支援いたします」
「ヨシュア様!」
「待ってください。何も無償で……と申し上げているわけではありません。我が国も含め、どの国も無償で大量の食糧を供給できるような国力を備えていないでしょう。貴国には素晴らしい物品が多くあります。本件は後程詳細相談させてください」
「承知いたしました。お心遣い、感謝いたします」
イゼナが頭を下げると、他の人も一斉に彼女に倣う。
食糧危機の発生について語った後、そのまま対応策についてに話題を移そうと思っていた。
しかし、彼らにとって最も気になるのは「今」だろうと、先に「無理」だと伝えることにしたんだ。
俺は植物鑑定で育てる作物を選定していただけじゃない。
樹脂やゴムなどの食用以外にも有用な植物、更にはイゼナやクレナイへの聞き込みでフランネルなどの工芸品を知ることもできた。
フランネルはともかく、樹脂やゴムはほぼ利用されていない。自生しているものだけで多量にあるので、これらを伐採し集め、輸出品とすることができると見ている。
少なくとも樹脂とゴムなら連合国は大歓迎だ。
「前置きが長く恐縮です。次年度からの農業改革について仲間たちと共に頭を捻りました」
ここで一呼吸置き、ペンギン、シャルロッテ、セコイアと順に目を移し、最後はイゼナへ視線を向ける。
「私たちの案は『人工灌漑』です」
「灌漑……ですか」
あれ、思った以上に反応が悪い。
イゼナは机の上に目を落とし、他の高官たちもどんよりとした空気を放つ。
ルンベルクとリッチモンドの調査で両大河は自然のままで、人の手が全く加わっていなかったことが分かった。
彼らが灌漑を知らないとは微塵たりとも思ってない。
人工灌漑は古代メソポタミア文明でも盛んに行われており、古くから国家事業として推進されてきたものだ。
両大河の氾濫次第で実りが変わるというのなら、氾濫の程度を一定に保ってやればいい。
特に水量が少ない時の対応策を……となれば冴えたアイデアでもなくベタだけど灌漑が最も効果的なんじゃないかと。
できれば、巨大なダムをいくつか作り水門を捻ることで水量の調整を行いたい。
しかし、今の技術が難しいのではないかとペンギンから意見をもらう。魔法を使えば何とかなるかもしれないとはセコイアの談であるが、超難工事になると予想される。
何よりダムを作るだけのコンクリートを短期間で準備できるのかどうか、という問題も。
完成後に強度不足で崩れたりしたら目も当てられないしなあ。
なので、護岸工事とため池をいくつも作るのはどうかと考えたんだ。
氾濫させる場所を決め、他は水の安定供給のためにため池から各地に水を流す。
など、きちんと場所を選定すれば不作に見舞われることもなくなるはずだ。元々、氾濫した地域全てを農地にしていたわけでもなし。
必要なエリアだけに絞れば、水量の少ない年でも十分な水量を得ることができるだろう。逆に水量が多い時はため池で大氾濫を凌ぐ。
「ヨシュア様。私どもも堤防を築いたり、支流を作ろうとしたことはあります」
「そうだったんですか」
「上手く行ったことは一度たりともございません。土塁では限界があり、氾濫により多少掘ったところで全て水泡に帰してしまいます」
「土塁を使わなければどうでしょうか。石を利用するなど」
「岩を切り出し運ぶには距離があり、困難です。上流から船で岩を運べばあるいは」
既に何度もチャレンジして失敗していたから、暗い顔をしていたんだな。
元々水没して沼になるような地域だ。土塁じゃ足しにもならないし、彼らもそれを分かっているから岩を切り出して……とやったのだが労力がかかり過ぎて断念していた。
岩はともかく砂利を運ぶ必要がある。そこで、古代エジプトのピラミッド作りを参考にすればいいんじゃないかと考えたんだ。
最初手間はかかるけど、元より水没するような地域、掘り進めるのは容易いはず。
「採掘地域、そして、工事を行う地域に岸を作り、船で運べばどうでしょうか。また、岩ではなく砂であればどうでしょうか」
「まさしく賢者の知恵でございますわ! 運ぶためだけに川を広げ岸を作るとは」
「広げた後は戻すなり、ため池に使うなりもできます」
「ですが砂利でもいいとは……?」
「今回の工事にはコンクリートという建築素材を使おうと思ってます。両大河の流域に砂利も火山灰のどちらもあることは分かっています」
「確かにございますが……コンクリートとは一体どのようなものでしょうか……」
「ネラックで新たに使うようになった新素材です。泥のようなものなのですが固まると岩と同じように硬くなり水も通しません」
「俄かには信じられません……」
コンクリートを見たことないイゼナからすれば、焼いて固めるレンガに近いものと想像しているのかもしれない。
レンガは堤防を作るには余り向いていないから、困惑する気持ちも分かる。
単にコンクリートを使うだけじゃないぞ。
膝の上に座るセコイアの肩にそっと手を置く。
ピクピクと狐耳が動き、「任せるのじゃ」と彼女の尻尾の先がピンと立つ。
「風と土の魔法を操ることができる者を集められるだけ集めてくれぬか。コンクリートを固めるのに必要じゃ。いればいるだけ良い」
「風と土ですか。火ではなく?」
「うむ。熱するわけじゃないからの。ん、なんじゃ、ヨシュア? なぬなぬ? ふむ。風の魔法を使うことができる者は特に集めて欲しい? どっちも集めろと言っておるじゃろ、ぬふ、ぬふう」
自分で喋れば良かった。話がややこしくなりそうだったから、セコイアの頭を撫で繰り回したら彼女は喋ることをやめ涎を出しそうになっている。
「あ、あの。ヨシュア様」
「魔法の指導も行うことができます。風の魔法を使うことができる人はコンクリートを固める以外にも活躍してもらいたいと思っておりまして、それで風の魔法を、と申し上げたのです」
「そうだったのですね。他にもとは?」
「飛行船です」
「乗せて頂けるのですか!?」
「飛行船を操るには風の魔法が必要です。かといって連合国から人材を出すにも限界があり、飛行船を使えば輸送も捗るはずです」
飛行船は人、モノを短時間で国の端から端まで運ぶことができる。
さすがに建造技術を伝えるわけにはいかないし、譲渡することもできない。
だけど、工事の間だけホウライより風の魔法を操る人を借り受けることができれば、飛行船を運用することができるようになる。
飛行船を二梃ほど新調すれば工事の速度がかなりかわるはずだ。
「××、××!」
「×××××!」
高官らが興奮したようにホウライ語で何やら会話している。
飛行船、飛行船と叫んでいるのだろうか。言葉が分からないのも新鮮で悪くないかもしれない。




