288.魚
濃い話をしていたら盛り上がってしまって、俺が風呂で倒れたのかと心配したセコイアが浴場に侵入してきた。
幸い、彼女が服を着たままでよかったよ。
どうやらペンギンまでいることは彼女にとって想定外だったらしく、「宗次郎がいるならそうと言うが良い」とか腕を組んでぷんぷんと頬を膨らませていた。
「んじゃ、出るか」
「そうだね」
そんな彼女のことなどスルーを決め込み颯爽と湯船から立ち上がったところでくらりとくる。
もう一方のペンギンは平気らしく、のたのたと風呂枠を乗り越えて行った。
「もう少しで倒れるところじゃったじゃないかの?」
「そ、そんなことないさ。平気、平気」
セコイアめ。普段は涎ばかり垂らしているというのに目ざとい。
風呂枠を跨ぎ、そのまま後ろへすっころびそうになったことは秘密だ。情けない姿を見せると次から狐と風呂に入ることになりかねないからな。
それだけは避けねば。ゆったりとした至福の入浴タイムは死守せねばならぬのだ。
ちらっと彼女へ目線を向けると、俺の方を見ておらずホッとする。ペンギンもいるから彼女の注意は俺以外にも向く。やはり、ペンギンが居てくれると違うな。
「つい、盛り上がってしまってね」
「ボクのいないところで、全く。ひょっとしてカガクかの?」
「トーレさんとの研究の話はしたかな」
「ヨシュアぁー」
よ、余計なことを。ペンギンが間を繋いでくれていると安心していたというのに。
セコイアのじとーっとした目を避けるようにそそくさと浴場から出ることにした。全裸で。
そういえば裸のままだった。風呂なのだから当たり前だけど、セコイアと普通に会話してしまったぞ。彼女も気にした様子がなかったからこっちもついつい。
エリーやシャルロッテならともかく、セコイアの前で全裸でも彼女が気にしないなら俺も気にしないぜ。見た目幼女だし。
脱衣場に出るや声を掛けられる。
「どうし、た?」
ちょうど着流しのクレナイが脱衣所に駆けつけて? くれたみたいだった。
「なんともないよ。いい温泉だったからつい長湯したんだ」
「わかった。おれ……某は浴槽が好きではないが、イゼナは好む。良きモノで……良い」
「うん、ありがとう」
「姉と共に。あ、あ……入るか?」
「い、いや。もう入ったから大丈夫だよ」
頑張って帝国語を使ってくれることには好感が持てるのだけど、意味合い間違えてないか?
もう風呂には入ったから問題ないけどね。
「こら、引っ張るな」
「さりげなく、この女ったらしめ。ボクというものがありながら」
「いや、なんともなってないし。誘ってもいないよね?」
「何をお」
タオルを返して。タオル。
仕方ないから、ブルブルして水気を切ったペンギンにタオルを借りた。
風呂上がりは護衛にセコイアをつけ、離宮の庭園を散策する。俺も用意された旅館の浴衣を着て、すっかり旅館の夜モードでリラックスしていた。
せっかくだから束の間のひとときを楽しまなきゃ勿体ない。
「二十メートル先、人の気配がするぞ」
「警備の人かな」
狐耳をピクリと動かしたセコイアセンサーに人が引っかかったらしい。俺? 俺は分からんよ。暗いし、提灯の灯りはランタンより光る範囲が狭いんだもの。
離宮の中はところどころ照らされているけど、庭園は真っ暗闇だ。照らしたところと後は月明かりでぼんやり見えるのみ。
20メートル先など暗くて見えるはずもなし。
ところがどっこい、向こうは見えているらしく挨拶をしてくる。声色からして女の子であることは間違いない。
「ヨシュア様ではありませんか。セコイア様も」
「え、ええと。イゼナさん……?」
声の主はツインテールを降ろしストレートヘアになったイゼナだった。
喋りながらも距離が縮まり、ようやく俺の目にも彼女の姿がハッキリと見える。
はにかんだ彼女は目を細め、コクリと頷く。
「左様です。まさかヨシュア様が暗い中、散策しておられるとは思ってもおらず。嬉しい驚きでした」
「イゼナさんも暗い中で」
失言だと思った時にはもう遅い。
こんな暗い中、わざわざ離宮へ何をしに来たんだと詮索するような感じに聞こえてしまったように思える。
もちろん、そのような詮索する気なんて毛頭なかったんだけど……。
対する彼女は柔らかな表情のままさらりと述べる。
「ホウライ人……額に角がある人は角が無い人より暗いところがよく見えるんですよ」
「そうだったんですか! それで灯りも少なかったりするんですか?」
「はい。その通りです。月明かりがあればつまづくこともありませんし、人影も見えます」
「連合国やレーベンストックには猫族という種族がいます。彼らは暗闇を見通せます。ホウライ人も似たような特性を持っているのですね」
「猫族の方とお会いしたことがありますが、ホウライ人は猫族ほど暗闇に適性があるわけではありません」
「そういうものなのですか」
「そういうものです」
はははと笑う俺と上品にくすりとするイゼナ。
それが気に入らなかったのか狐耳をピンとさせたセコイアが俺の袖を引っ張る。
「ボクも多少の暗闇なら見えるぞ」
「多少……なのか」
タラリと背中に嫌な汗が流れ落ちた。
この暗い中、20メートル先の人影が見えるのは多少じゃないって。
「多少じゃ。猫娘とボクの暗闇での視界はキミとボク以上じゃぞ」
「へえ。それは多少じゃあないな」
「じゃろ?」
「分かりやすい。褒めてつかわすぞ」
「ぬふぬふ」
涎が出てきそうになったので慌ててセコイアの頭から手を離す。
ひとしきりの会話が途切れるまでじっとこちらを見守っていたイゼナが口を開く。
「離宮まで散歩に来ていたのは目的があったのです」
「離宮の庭園に何かあるんですか?」
「はい。こちらです。足元にお気を付けくださいね」
彼女が案内してくれたところは池だった。
日本庭園にあるような岩で囲った人造池は鯉が泳いでそうな、材質は異なるが灯篭風のものまであるぞ。
暗くて色は分からないけど、たぶん木製で朱色だと思う。
「そこを照らしてみてくださいな」
「はい」
言われるがままに池の方を照らすと、池の中の何かに光が反射し模様が浮かび上がる。
桜の花びらが沢山集まったような……幻想的でとても美しい。
「魚じゃな。鱗が光を反射しておる」
見えない俺に分かるようにセコイアが解説してくれた。
「これを見に来ようとしていたのですね」
「はい。ヨシュア様がいてくださって提灯を灯す手間が省けました。ありがとうございます」
と言いながらくいっと提灯を掲げてみせるイゼナ。
彼女の意外な一面を見て何だか心が暖かくなった。




