262.ハプニング
バルトロとオーフラーが引き上げて行くのと入れ替わるように、凄まじい咆哮がビリビリと空気を揺らし、思わず耳を塞ぐ。
な、なんだなんだ。
音がした方向は上……つまり空だ。
見上げるとくすんだ緑の巨大生物が首をもたげていた。尾先がハンマーのようになっていてトゲがびっしり生えそろった長い尻尾に華奢な体躯。ドラゴンに似た顔つき。尾を抜いた体長はおよそ7メートルってところか。
それが六……いや七匹、空を駆けてここまでやってきたようだった。
「あれ、飛竜だよな」
「そうじゃの。やたらと興奮しておるようじゃが」
もうちょっとこう、焦ったりとかソワソワしたりとかしないものなのか。この狐耳は。
俺なんて自分の立場がなかったら悲鳴をあげてる自信があるぞ。
すうはあすうはあ。よし、大丈夫。いける。いざという時は彼女がいるからな。
心のうちはともかくとして、平静を装い言葉を続ける。
「飛竜の群れは統制が取れているように見えない。バラバラだったら野生パワーでなんとかできそう? 獣を滑るセコイアで」
「滑るじゃなく、統べるじゃ。あやつらは竜族じゃから、ボクの管轄外じゃな」
セコイアはやれやれと呆れたように狐耳をペタンとさせた。
いやでもあれ、放置しておくとまずいんじゃないか。
飛竜は卵から育てると人にも慣れる。野生のものを馴致することは不可能と言われているが、あれらは野生の飛竜じゃないはず。
野生の飛竜が群れだってこんな街中まで来るなんて話は聞いたことがない。
凶暴そうな見た目につい焦ってセコイアに問いかけてしまったけど、あれで案外、祭りの演出なのかもな。
だったら、司会の人が先に説明してくれればいいのに。
ドガン。
試合をしている広場にオレンジ色の火球ブレスが突き刺さる。
「え、ええ……」
「ヨシュア様。アルル、護る」
アルルがギュッと俺の手を握りしめ、猫耳をピンと張った。
セコイアは相変わらずで、ふわふわ尻尾を上に伸ばして俺の鼻を攻めてくる始末。
会場に向けブレスを吐き出す飛竜が演出な訳がないだろ!
ぬがああと頭を抱えた時、チクチクとトゲが脛に刺さりセコイアをずり落してしまう。
なんだよと、上げた手を下に伸ばす。
チクチクの犯人はゲララだった。
さっきまで満腹で寝ていたのだけど、いつの間にやら起きていたらしい。
「ニクニク」
「起きて早々、食べ物かよ。運動をしてからとか、食べる以外にも何かあるだ……今はゲ=ララと遊んでる場合じゃない」
飛竜の来襲に会場は騒然となり、ついには悲鳴もあがり始めた。
このまま何もしなきゃ、飛竜による直接的な被害よりパニックによる被害が甚大になる。
「何から始めるか。飛竜には弓の名手オーフラーさんの手を借りつつ、バルトロや騎士団長たちに任せればなんとかなるか。アルル。彼らに伝えて来てもらってもいいか?」
「ヨシュア様は?」
アルルの問いは「俺の護衛をどうするんだ」ということだろう。
彼女にとっては会場より俺個人の護衛をどうすべきかが問題というわけだ。
仕事だからと言ってしまえばそれまでだけど、心配してくれる気持ちは嬉しい。
「大丈夫だ。セコイアもゲ=ララもいる」
「うん。エリーも? 呼ぶ?」
「そうだな。エリーは試合組のお世話をしているはずだから一緒に声をかけて」
「はい!」
会場内の警備兵も動き始めている様子だし、何より台覧試合に出場していた猛者たちもいる。
会場の動きは迅速だけど、準備が調うまで今しばらくの時間が必要だ。怪我人が出なきゃよいのだけど……。
「ニク」
ゲ=ララは小さな翼をはためかせ、俺の顔の高さまで浮き上がる。
「ニク」は落ち着くまで待てってば。
苦言を呈そうとした時に先んじて頭の中に声が響く。
『竜は誇り高く、義理を通す。あやつらにも事情があるのだ』
「覇王龍か?」
聞き返すが、ゴオオオオと空気を燃やす嫌な音が俺の声をかき消す。
え?
と気が付いた時にはもう遅い。
飛竜の吐き出した炎のブレスが目前にまで迫っていた。
「うああああ!」
セコイアが手を伸ばそうとして、その手を引っ込める。もう一方のゲ=ララは位置を調整しているのか、少しだけ右手上方に動く。
次の瞬間、ゲララにブレスが直撃し、はじけた。
「オレ、オマエマルカジリ」
ゲララはまるでダメージを受けてない様子で何を意味するのか分からない言葉を口にする。
『ほう、我が代理にも怯まぬか。ゲララよ。消すには惜しい。そう思わぬか』
「ニクニク」
会話が成立していねえ!
しかし、覇王龍とゲ=ララの間ではちゃんと意思疎通できていたようで、のそりと動き始めた。
そして、高く浮き上がったゲ=ララが大きな口を開け、バサバサと翼を動かす。
すると、飛竜の一群は明後日の方向へ飛んでいったのだった。
「相変わらず、眷属には甘いのお。リンドヴルムの奴は」
したり顔で両手を組み八重歯を出す狐耳は一人納得している。
「どうなってんだ?」
「あの飛竜らは人が飼い慣らしたものじゃ。飼い主……主人かの、の命を実行するために覇王龍にさえ立ち向かった」
「その勇気を覇王龍が喜んだ?」
「うむ。飛竜らはリンドヴルムにお目通りに行ったというわけじゃ」
「何が何やら、話を聞いても分からん……」
「飛竜のことは終わりになった。そういうことじゃの」
最初から最後まで何が何やら分からなかったけど、最近「ニクニク」しか言わずまともな言葉を喋らなくなった爬虫類が場を納めてくれたってわけだな。
お礼に肉を進呈しよう。彼にとって金銭や宝石類は意味をなさないものだから。
ネラックに戻ってからシャルロッテに相談して、おもてなしの肉を考えるか。
む。場が収まったかと思ったのに、場内からどよめきが。
何事だと思い……周囲を見わたしたら察した。
広場で壁が動いている。
どこから持ってきたんだろうね、あれ。そうだなあ。畳8枚分くらいかねえ。
畳と比べて分厚いし、素材もバーデンバルデンを彩る漆喰の壁に見える。
俺は見てない、何も見てないぞ。
「ヨシュア様! 飛竜のブレスから、御守りしますうう」
あの鈴が鳴るような声は、良く知っている。
でも、聞こえなーい。何も聞こえないぞお。
「ヨシュア。エリーが呼んでおるぞ」
「アルルならここから呟くだけで聞こえるかな?」
「猫娘なら、キミが指を鳴らすだけで来る」
「そ、そんなにか」
アルルの高性能っぷりに感謝。
こっそりとアルルをこの場に呼び、エリーに下がるように伝える俺なのであった。




