204.わたくしと私
「俺はさ。今回の神託と予言についてこう考えている。誰が悪いとかそういう話じゃないから、俺の意見を聞いてくれないか?」
「はい」
聖女が例の笑みを湛えたまま、コクリと頷く。
ちょっと唐突だったかなと思ったけど、聞いてくれるようだし結果オーライだ。
「神託と予言は公国北東部に起こる大災害について警笛を発していた。ここから先は捉え方次第だけど、辺境に退避せよと示していたんだと思っていたんだ」
「神託の示すことは大災害だったということですね」
「うん。そこは間違いないと思う。じゃあ、何でわざわざ『公爵』。つまり俺を名指ししたんだって。最初は公国全体のことを示すために公爵と表現したのかと思っていた。だけど、それだけじゃないと考え直したんだ」
「……」
「俺は辺境で出会った。神は俺にその人と出会わすために俺は必ず辺境にという意味を込めて公爵と表現したのかもなとさ」
「何がおっしゃりたいのか、わたくしには理解できません……」
「追放刑にして俺を辺境送りにしたことを気に病むことなんてないって言いたかったんだ」
辺境でペンギンに出会ったのは導きだったのかもと思わなくもないんだ。
この世界には実際に意思のある神がいる。
神は超然としていて、人の世のことを把握し理解するなんてことはしない。
だけど、あの場にたまたまペンギンがいて、俺と出会い、技術革新を行うことができた。今もまだ継続中だ。
よくわからん曖昧な神託と予言を寄越しやがってと思う気持ちがなくはない。
といっても聖女や枢機卿に対し、俺が思うところがあるのかと言えば、全くないと言い切れる。
だからどうか、追放刑にしたことに胸を痛めないで欲しい。
彼女らが追放刑にしたのではない。神託と予言を寄越した神が俺を追放刑にしたんだ。
辺境で俺はいろんなものを得た。
かけがえのない仲間たちが辺境にいる。生活も成り立ってきて、街も大発展中だ。
何も憂うことなんてない。俺の労働時間以外はね。
え?
聖女の両目からとめどなく涙が流れているじゃないか。
言い方が悪かったのか?
声をかけようとすると彼女が先んじて口を開く。
「ヨシュア様はわたくしではなく私を見てくださっているのですね」
「聖女になったとしても、アリシアはアリシアだろ。追放刑のことを気に病むとしたら、聖女じゃなくてアリシアだからさ」
聖女としてのわたくしならば、感情を持たない。
彼女が彼女である限り、心を失うことなんてないだろ。
その証拠に彼女は自分で言ってたじゃないか、「あなたをここから追い出したのはこのわたくしです」って。
それで、俺は気に病まないで欲しいって言いたくて。
そうしたら、泣かせちゃったわけで……。
何が言いたいのか自分でも分からなくなってきたけど、彼女の涙は止まらないでいた。
「私の名を。私の名を……ヨシュア様……」
うわごとのように呟く彼女にいたたまれない気持ちになる。
抱きしめて「大丈夫だよ」と言いたくなる衝動になるが、グッと堪え彼女の名を呼ぶ。
彼女はアリシアであって聖女だからな。必要あって指先が触れる程度ならまだしも、抱きしめるなど言語道断である。
俺は敬虔なる聖教徒でもないから、まあ、いろいろあるんだよ。宗教上の理由ってやつが。
「アリシア。ずっと苦しんでいたんだな。俺が辺境に行ってから、いろいろあったんだろ?」
「はい。ございました。私は何もかもを見て見ぬふりをして、聖女としての勤めを果たそうと」
「アリシアが聖女たらんと頑張った結果じゃないか。気に病むことなんてない。むしろ、病なんて国難がある中、聖女として振舞ってきたんだろ」
「ヨシュア様……私は。私は……いえ」
「心の中で溜めていることがあるなら、吐き出してしまった方がいいさ。俺は誰にも言わないし、後ろの狐耳だってここであったことは聞かぬ存ぜぬだ」
セコイアもある意味、国家とか宗教とかの枠外にいる。
俺は彼女のように何者にも縛られぬ自由な存在じゃあないけど、宗教や身分に関して他の人とは異なる考え方を持っているから。
いや、理由なんてどうだっていい。彼女が俺のことを信頼してくれるかどうかだけだな。
聖女……いや、アリシアはフルフルと首を振る。
艶やかな長い髪も彼女の動きに併せて大きく揺れた。
この仕草は聖女のものではない。アリシア本来のもの。
彼女は両手をぎゅっと握りしめ、顔をあげ目を伏せる。
「ヨシュア様。私を抱きしめてくださいますか?」
ここで「いいのか?」と聞くほど間抜けじゃあない。
彼女に向け両手を広げると彼女から俺の胸に顔を寄せてきた。
ギュッと抱きしめ、彼女の頭に右手を置く。
しばらくそうしていると、彼女が顔をあげ微笑む。
怜悧な聖女ではない朗らかなアリシア本来の顔で。
「私は聖女としてあるまじき考えを抱いてしまったことがあったのです」
「どんなことを思ったんだ?」
柔らかな声で聞き返す。
すると彼女は長いまつ毛を落とし、絞り出すように言った。
「聖女の役目とは。聖女として求められることに疑問を覚えたのです」
「疑問か」
「はい。聖女とはこのようなものだと学びました。神の巫女として相応しく」
「アリシアも先代の聖女もそのまた先代も同じような感じだったと聞いている」
「私など、先代様のようには」
「君も立派に聖女をやっているよ」
「嘘でも嬉しいです。ヨシュア様にそう言って頂けるなんて。私は疑念を抱きました。聖女が感情を捨て去り、神の使徒として振舞わねばならないのかについて」
「それだよ。アリシア。俺もそこには疑問を持っていた」
「ヨシュア様が?」
「うん」
アリシアを抱きしめたままコクリと頷き、聞き役に徹しようと思っていたのだけどついつい持論を説明してしまう。
神託で告げられた言葉は強力に過ぎる。
だから、政治的に利用されないように聖女は振舞わねばならない。賄賂やら私情で神託を歪めちゃ神託なんて無い方がいい。
長い歴史上、神託が政治利用されず、今も絶対的な言葉として聖教国家の間で信奉されているのは、これまでの聖教と聖女の努力の賜物だ。
彼らの努力をあざ笑うつもりも批判するつもりもないのだけど、ものには限度ってものがあると俺は思う。
宗教的指導者や国の象徴となる人には、一定以上の人格やお作法が求められる。
だけど、決してその人の人間性まで否定するものじゃあないんだ。聖女も人間であって、奴隷ではない。
「すまん。つい熱くなって語ってしまった」
「いえ。ヨシュア様のお考えと私の疑念は近いもので、不謹慎にも少し嬉しくなってしまいました」
結局持論を全て語ってしまった後、彼女に謝罪する。
対するアリシアは先ほどまでの暗い顔はどこへやら、ふんわりとした笑顔を浮かべた。




