202.やめてやめておちるからああ
トーレとセコイアが協力して得た飛行船の新たな性能は、上空に滞留すること。
風魔法の力を借りなければならないのだけど、船の錨を下ろすかのごとく動かぬままその場に留まることができるようになったのだ。
そのまま飛行船を滞留させるとなれば、セコイアの負担が大きい。そこで彼女の負担を軽減するためにトーレがひと肌脱いでくれた。
「では、錨を降ろします」
「頼む」
リッチモンドの表現は正確ではない。だけど、船のように錨を下ろすと表現した方が全員にイメージが伝わるので敢えてこのように表現することと決めていたんだ。
ルンベルクとリッチモンドが魔道具の回転盤をグルグル回すと船が変形し風を受け流すように外に備え付けられた帆が動く。
トーレ曰く「帆船の技術を使った」とのことだけど、よくもまあ考えたものだと感心するよ。
船の帆は風を受け推進力を得るためのものだけど、これはその逆の仕組みになっていた。
船の帆を作ったことがあるので容易いことだってさ。
彼は「ほっほっほ」なんて朗らかに笑っていたけど、そこんじょそこらの職人じゃ、ちょいちょいと作ってしまうことなんてとてもじゃないけど無理だ。
更にロープか何かを地面に固定すればよりセコイアの負荷を軽減できるのだけど、大聖堂に錨を下ろすわけにもいかないからな。
ロープが千切れてしまうこともあり得るし。
「準備はできたかの?」
「ええっと」
ルンベルクらの方へ目をやると、二人揃って流麗な礼を返してきた。
「良いみたいだ」
「行くぞ、ヨシュア」
「え、もう? いきなりなの? ルンベルクとリッチモンドさんはどうするの?」
「一緒に連れていくかの?」
「四人一気に行けるのか?」
「問題はないが、誰も残さずよいのかの? 船を動かすに二人は必要なんじゃろ?」
「風魔法もいるけど」
やんややんやとセコイアと問答を交わしていたら、ルンベルクが膝を付き申し出る。
「ヨシュア様。不肖ながら護衛に付き従いたく愚考しておりましたが、飛行船に残ることをお許し頂けませんでしょうか?」
「いやでも。俺は飛行船よりルンベルクとリッチモンドさんの安全を優先したいんだ」
言わんとしていることは聡明なルンベルクとリッチモンドならこれだけで分かってくれると思う。
高度を下げているとはいえ、大聖堂の尖塔から50メートル以上高い位置に飛行船を滞留させている。
つまり、地上から200メートル以上はあるんだ。
もし何らかのアクシデントがあって飛行船が制御不能となれば、この先は語るまい。
俺の言葉に対し、ルンベルクはハラリと涙を流す。
ルンベルク、君が飛行船を護りたい気持ちは分かったから、不甲斐ないとか君の能力が不足しているとかそんなことじゃないんだ。
「二人が頼りないからとかそんな意味じゃないんだよ。ただ、二人の身を案じて……」
「存じております! ヨシュア様のお優しさにこのルンベルク、感激いたしました。カガクの叡智の結晶に比すれば我が身など路傍の石のごとく」
「そんなことはない!」
「はい。そのお考えに胸が熱くなりました。ですが、ヨシュア様。我が身、加えてリッチモンド卿のことでしたらご心配なさらず。何が起ころうが、再び御身の元に馳せ参じることを誓います」
「う、うん……分かった」
彼の決意に何も言えなかった。
「飛行船と心中する気はない」と言い切る彼の言葉を信じる。
これ以上、彼の意思に反して、俺が彼の身を案じるのは逆に彼の崇高な想いを汚す。
セコイアとトーレの技術は万全である。
万が一が起こればとまで心配していたけど、ルンベルク、リッチモンド、ここは任せたぞ。
「決まったようじゃの」
「うん。ちょ、そこから行くの?」
窓を開けようとするセコイアをむんずと後ろから掴む。
そこを開けたら強風が吹きこむだろうに。
そもそも窓が開く構造にしていたかも分からない。強引に開けて窓ガラスが割れたら嫌すぎる。帰りもあるんだからな。
セコイアは平気かもしれないけど、上空高くなると空気が薄くなるのだ。
あ、風魔法で飛行船を包み込めば平気なのかも? しかし、わざわざ窓ガラスをぶち破る必要はないだろ。
「どこから行くのじゃ? 入口を開けるかの?」
「機関室の床を開ければいいんじゃない」
「ふむ。そう言えばそんな出入り口があったような気がする」
「あるある」
メンテナンスや縄梯子を下ろしたりと何かと便利に使えるんだぞ。
機関室に移動し床板を外す。
下を見た。
「何をしておる。とっとと行くのじゃ」
「無理です。先生、僕、無理です」
「何を言っておる。そもそもボクはキミの先生ではないし」
「それは言葉のあやってやつだ。ま、待って。マジ待って」
下を見たのがいけなかった。
高い、高いって。高すぎるってええ。尖塔の先まであれほど距離があるのかよ。
地面に至っては霞んでる。マズイ、これはマジでまずいんだよ。
ちょ、セコイア。俺の服を掴むんじゃないって。
「服が伸びるだろ」
「情けない奴じゃの。残ると言った勇敢な二人を前にしてよくそのようなことが言えたものじゃの」
「ここからだと二人には見えないもん」
「ええい。めそめそするんじゃない。キミが拗ねても誰も喜ばんわ。もっとしゃきっとしないか。なら」
「なら?」
「ボクが鑑賞して楽しめるかの」
「うわあ……ちょ、待って、いいいやあああああ」
「ええい、うるさい」
引っ張るな。引っ張っちゃダメよおお。
もうさっきから、股間がきゅんとして……お、落ちる。落ちるってええ。
セコイアが空いた穴に飛び込む。すると、服が引っ張られ俺もズルリと床下に。
「ぬううあああああああ」
「だから、うるさいと言っておろう」
「だあああああ。セコイアあああ。尖塔が迫ってる。刺さる、刺さるぞおお」
「まだまだ先じゃ。ちゃんと見るがいい」
「見せるなあああ。後、俺をちゃんと掴んでくれええええ」
「抱きしめられるのも悪くないのお」
セコイアの手を起点に彼女を引き寄せ、力一杯抱きしめた。
もうダメだあああ。落ちてる。速度がグングン増してるうう。
ぶつかる、ぶるかるって。
セコイア、早く、早く、魔法を。
もう無理です。
かゆ、う、ま……。
「ヨシュア、そろそろ速度を落とす……気絶しておるじゃないか」
セコイアの言葉が聞こえた気がした。
ペシペシ。
小さな手に頬を叩かれ、覚醒する。
「う……」
「清々しいほどに情けないの」
「お、おお。床がある。地面だ」
「よいか。下を見るんじゃないぞ。ちゃんとしがみついておくのじゃ」
「もちろんだ」
下は見ない。
どこまで降りたんだろう?
前だけを見て、察することができた。
どうやらここは尖塔の付け根のようだな。
となれば、まだまだ下に降りねばならない。高い建物の上に柵も無しで立っていることを想像して欲しい。
……想像したら、寒気がしてきた。
「それでセコイア。ここからどうやって降りる?」
「飛び降りる」
「……いや、壁を伝って降りるとかあるだろ」
「ボク一人ならともかく、キミじゃあ無理じゃろ?」
うぐう。
確かに厳しい。尖塔の付け根はひし形になっていて、降りるとなれば45度の急斜面をロッククライミングしなきゃならん。
途中で落ちる自信がある。
どうせ落ちるなら、飛び降りた方がということか。
「魔法を最初から使ってくれ。ゆっくり、ゆっくり降下しよう」
「全く。また気絶されても面倒じゃ。仕方あるまい」
パラシュート仕様で降りるなら俺でも平気だ。ははは。
セコイアをがっしと抱きしめ、準備完了。
さあいざ行かん。愛すべき地面に。
「セコイア、進んでくれ」
「自分で踏み出すがよい」
「……足が嫌がっている」
「全く」
「きゃああああ」
「だから、うるさい」
だって、宙に浮いているんだぞ。
飛びたいと言ったことがある。だけど、これじゃない。落ちるのと飛ぶのは違うんだあああ。
風船がゆっくりと落ちていくくらいののろのろとした速度だから、俺でも何とか平気だ。
尖塔の下は、大聖堂だっけか。
大きな窓があって、そこから祈りの間が見えるはず。
おや、誰かいる。
純白のヴェールに法衣姿ってことは、聖女かも。
祈る姿勢のまま顔をあげた彼女と目が合う。
思った通り、特徴的なヴェールは聖女その人だったのだ。




