195.活路
一旦別れて一人になったわけだが……状況は全く変わってない。
う、ううむ。
魔力の流れをスローに、理想を言うとコマ送りにできればなのだが、ここにはスーパースローモーションカメラなんてものはない。
どうしたものか。
うーん。
考えたところで何一つ浮かんで来やしねえ。意地になって目を凝らし何度も何度も雷獣の毛に魔力を流す。
本日だけで数十回目の魔力実験を行うも、ため息の回数が増えただけだった。
一方、トーレ作の顕微鏡は調整することで、雷獣の毛に流れる魔力の流れをハッキリと捉えている。毛の細胞にある魔力回路なるものに魔力が奔っていることは分かるんだ。
しかし、捉えきれん。
複雑な迷路に高速で水を流すみたいなものだ。流れたことは分かるのだけど、迷路の作りがまるで分からんのだよ。諸君。
はあと顔をあげたところで、にこりと微笑むエリーの顔が目に映る。
「ヨシュア様、そろそろお昼にされるのはいかがでしょうか?」
「だな。一緒に食べようか。そうだな。せっかくだし、気分転換に川辺でピクニック感覚で行こうか」
「はい。準備いたします」
ぱたぱたと動き始めたエリーの後ろ姿を眺めつつも、頭から顕微鏡が離れぬ俺であった。
俺も動こう。メモ帳を持ったまま進もうとしたが、動きを止める。
食事の時くらい研究のことはすっぱり忘れよう。メモ帳を机を置き、苦笑いする。
ん、メモ帳。
待てよ。
もしかしたら、前に進めるかもしれない。
「ヨシュア様、準備が整いました」
「すぐ行くー」
でも、後にしよう。切り替えは大切だからな。決して休む気になったのにお仕事に戻りたくないという気持ちからではないのだ。
仕事を効率よく進めるためには適切な休憩が肝要。疲弊した頭では良いアイデアは浮かばないのだ。ははは。
薄茶色の麻布を地面に敷いて、その上にエリーが藁で編んだバスケットをストンと置く。
「毎日ありがとうな」
「いえ。ヨシュア様がこれだけ励まれているのに、私は」
「いや、エリーには護衛という立派な役目があるじゃないか。みんなそれぞれ自分の持ち場で頑張ってくれている。俺が何か言わなくても自発的に。それってすごいことなんだって俺は思う」
「そ、そうでしょうか」
「うん。そうだよ。お、サンドイッチか」
「はい。本日はハムとチーズ、バターが手に入りましたので、キャッサバパンを使ったサンドイッチにいたしました」
何気なくたまたま仕入れることができた、なんて言っているエリーだけど、俺にだって彼女が意図的にこうしたことは分かる。
さりげない彼女の気遣いに疲労感でささくれだった心が少し暖かくなった気がした。
お、ハムとチーズが使われているものもあるけど、具材のバラエティーが豊富だな。
ちゃんと麻布まで準備した状態で俺にお昼だと声をかけてくれたんだよな。エリー。
心の中で再度彼女に礼を述べる。
それにしても、エリーは軽々持っていたけどこのバスケット大きすぎないか?
俺一人じゃ食べてもせいぜい二個か三個だぞ。エリーは俺より食べないくらいだし。これだと残り半分どころか2割も食べられてない。
「エリー。残った分はみんなに?」
「はい。みなさんがいつお食事にされるか測りかねましたので、作ってしまいました」
「よっし、じゃあ。みんなを誘おう。お昼だぞーって」
「よろしいのですか?」
「うん。みんな俺みたいに頭がパンパンだろうし。熱中しちゃう人たちだから、呼んじゃおう」
そんなわけで、鍛冶場にいるみんなをこの場に呼び寄せることとなった。
◇◇◇
お腹が膨れた後は昼寝……ではなく再び顕微鏡とにらめっこ……ではない。
すぐにまた顕微鏡と過ごすお時間となることに変わりがないけどさ。
「ヨシュア様、僕は一体何をすればよいのでしょうか?」
「どうしようか。ええっと、顕微鏡を見てもらえるか?」
呼び出したのはガラムの弟子の一人である少年ネイサンである。
年少ではあるが、さすが職人志望だな。トーレ作の顕微鏡に興味津々と言った様子。
覗き込むことは望遠鏡と同じだから説明せずとも分かると思うのだが、彼はつまみのところへ指先をあてふんふんと頷いている。
「顕微鏡の作りじゃなくて」
「ご、ごめんなさい。ヨシュア様。トーレさんの業についつい引き込まれてしまい」
「うんうん。トーレはさ、俺が言葉でちょこっと概要を伝えただけで精微な図を描いてしまった。本当にすごい職人だよ」
「はい! ガラムさんもトーレさんも、ティモタさんも僕の憧れです」
「ネイサンはどっちを目指しているんだ?」
「僕はガラムさんに師事しています。だから、将来、自分で鍛冶をやりたいと思ってます」
「剣とかを作りたいのかな?」
「いえ。道具をと思っています。ハサミとか包丁みたいな、誰もが日常的に使うものです。そのような些細な誰もが使うものにこそ、僕は魅力を感じています」
「ネイサン、君の夢。とても素敵だと思う」
「そうですか! 変な目標だなって友達によく言われちゃうんです。そう言ってくださったのは、ヨシュア様とガラムさん、トーレさんだけです」
俺が子供の時……いや、俺と比べても仕方ない。
少年時代って何か大きなものに憧れるものだ。職人だったら、いつか自分の城を建てるとか。最強の剣を鍛えるんだ、なんてことを考えるんじゃないかな。
だけど彼は街のみんながいつも使う道具にこそ価値があると言った。
道具を使ってもらえることが嬉しいのだろう。職人の気持ちってのは俺じゃあ想像でしかないけど、ドラゴンを倒した剣を作ったとなれば大変名誉なことだ。
でも、ネイサンはそうじゃない。
うまく言えないんだけど、どこにでもいる人が笑顔になれる。そこに喜びを見出す彼を素敵だなと思った。
「すまん。職人らしいことを頼みたくて呼んだんじゃないんだ」
「分かっています。浄化ですよね。それと顕微鏡が関係しているんですか?」
「かもしれないしそうじゃないかもしれない。ネイサンの『浄化』は認識しているかどうかなんじゃないかって思っているんだ」
「認識……ですか?」
「うん。まあ、とりあえず顕微鏡で雷獣の毛を見てみてくれ」
今度は言われた通り顕微鏡を覗き込むネイサン。
彼の持つ浄化のギフトはペンギンが超お気に入りである。
俺やシャルロッテも彼のギフトには随分と助けてもらったものだ。
海水の話を覚えているだろうか?
海水には様々な成分が含まれているのだけど、「浄化」は水と塩に分けることができる。
でも、水が純水なのか塩が純塩なのかというとそうじゃない。
曖昧に分かれているんだけど、水の方は限りなく真水に近いものだと推測される。一方の塩は海水から水分を除いた残りになるんだ。
そこで俺とペンギンは仮説を立てた。
ネイサンが水だと思うものが水なんじゃないかって。つまり、浄化……言い換えると分解のギフトはネイサンの認識次第なんじゃあないかって。