184.おやすみ、シャル
そろそろ落ち着いたかな。
オジュロが乱れきった髪の毛を手ぐしでぐわっと元に戻し始めた。ズレた片眼鏡も指先でちょいちょいと。
「オジュロ。突然どうしたんだ?」
「お願いがあって参りました」
同じことを繰り返しているけど、彼は興奮する前のことなぞ覚えていない。
稀に覚えていることがあるけど、自分が興味を持ったことだけだ。とにかくアクの強い人なのだが、腕は確かだけにタチが悪い。
貴族……特に封建領主は血筋による世襲だから、統治能力の無い人であっても領主をやらなくちゃならないんだ。無いなら無いで彼の様にお雇い文官と領地の幹部らに統治を全て任せる、とかできればよいのだけど、なかなかそこまで割り切れる領主っていないんだよね。
公国においても、直轄統治領は俺の手でガンガン改革していけた。封建領主が治める封土は改革の効果を見てからの対応になったので、発展が遅れたものだ。
例外はここにいるオジュロとザイフリーデンらごく僅かな領土のみ。
といっても俺は封建領主が百害あって一理なしとは思わない。封土とは国の中に自治領があるみたいなものだ。
なので封土は領域が狭い分、地域に合った独自政策が打てるってのが強みだな。
政治に完全に興味のない領主が資産を喰いつぶすだけってこともあるけど……ね。
オジュロは首をえらい勢いで傾け、外れた片眼鏡をぶらんぶらん揺らしながらクワッと目を見開く。
さっき整えたばかりだってのに!
「吾輩の領民をヨシュア様の街で住まわせてくださいませんか?」
「それは突然な願いだな。領民全てとなると穏やかじゃない」
「何やら公国北東部で大規模な災害が起きておりましてな。領民が大移動しておるのです。しかし、それだけの領民を抱え、対応策を打つにも限りがありまして」
「公国と揉めないのならよいけど。5000人くらいだったか?」
「6000? それくらいです。これを見てください!これこれです!」
袖から書類が出てきた。くしゃくしゃになっているけど……。
どれどれ。
『公国北東部の避難者について、希望すれば他国への移動も認める。その場合、相手国と領主の同意を必須とする。公領はその限りとしない。公国直轄地の領民は公都に移送し、指示に従うこと。移動の安全は公国騎士団が保証するものとする』
経済担当のグラヌールが本件の責任者か。
彼がよいというのならまず問題が起こらないだろ。
「オジュロ。明日昼まで待ってくれないか? 数が数だ。協議したい」
「ありがたき」
「公都のみんなは元気にやっているのか?」
「いつも忙しそうですな。聖女様以外は」
「聖女は何をしているんだ?」
「『いつも祈っている』とバルデス殿から聞きましたぞ。最近は深夜でも祈りを捧げ続けているとかなんとか」
「ありがとう。部屋を用意する。供のものは別室にはできるけど、まとめてになる。すまんな」
「いえいえいえ、このような夜更けに感謝です!」
聖女が祈り続けている……だと?
そいつは只事じゃないな。領民に顔を見せ、彼らと触れ合うのも彼女の仕事だ。他にも聖教関連の聖議やらいろいろ政務があるってのに。
「オジュロ……いや、明日また話をしよう」
「承知です! どんな話でもいいですぞ! いいですとも! ヨシュア様と熱い熱いいい談義を交わそうではないですか!」
「……おやすみ」
ちょっと興奮への閾値が下がり過ぎてないか? 久しぶりだから募るものがあったのかもしれないけど……。
◇◇◇
自室のベッドで寝転がり、目をつぶったものの逆に目が冴えてきた。
先ほどのオジュロとのやり取りが頭に残り、次から次へと考えが浮かんでくるからだ。
「ひょっとしなくても、あの件だよな……」
少し前にペンギンと一緒に考察した神託と予言がいよいよ牙を向いた……のだろうな。
『公爵がこの地に留まると不幸が起ころう。南東の外れへ向かうべし』
『尊き者の安寧はここにはない』
正確に覚えているその言葉を心の中で反芻する。
オジュロは公国北東部で何が起こっているのか、聞いているだろうけど頭に入っていない。
しかし、少なくともかの地で何らかの大災害が起こっていて、領民全てが避難する事態になっている。
予言と神託の示す「尊き者」とは聖教徒……言い換えれば公国領民が対象だったと見ていい。
「辺境までは災害の拡大がない。しかし、公爵というワードから、ローゼンハイムまで被害が及ぶ可能性もあるってことか」
災害の種類がどんなものかによるよな。
一時的なものならば、避難させて落ち着いたら帰還させることができる。
直下型地震で大火災が起きてにっちもさっちもいかなくなっている……なんてことなら火の手がおさまれば戻ることが可能だ。
全部が灰になっていて、復興が死ぬほど大変だろうけど。
しかし、この世界は地球ではない。
魔力が関わり思ってもみないハザードが起こっているかもしれないのだ。
たとえば、硫酸の雨が降り続けている、とか。
うわあ。想像しただけできゅっとなった。金星じゃあるまいし、硫酸の雨なんて降り注いだら逃げるどころじゃないよな。
「ぬうおお。考えれば考えるほどとんでもない災害が浮かんでくる」
たまらず頭を抱えてゴロンゴロンとベッドで転げまわる。
ガチャリ。
その時、扉が開く音がして誰かがやってきた。
ノックくらいしろよー。恥ずかしい姿を見られてしまったじゃないか。
「オジュロ。明日だと言っただろ」
「伯がいらっちゃるのでありましゅか」
呂律が回っていないこの声は、シャルロッテか。
彼女は何を思ったのか淀みない足取りでベッドの前までズンズンと歩いてきた。
「そこれありますか!」
「きゃあ!」
シャルロッテがベッドにダイブしてのしかかって。
そのまま馬乗りになった彼女は布団を引っぺがし、きょとんとする。
「てっきりここれあるのかと思いましゅたが」
「ど、どうしたんだ、一体」
「鎧れす。閣下がお持ちになっているにょかと」
「にょってないよ。置きっぱなしだったからエリーかアルルがどこかに立てかけてくれているんだと思う」
「しょうれすか……すやあ」
すやあじゃねえってば。
「どうしよ、これ」
馬なりになったシャルロッテはそのまま糸が切れたかのようにペタンと眠りについてしまった。
体が柔らかいんだな、なんて変な感想を抱く。
「そうか、俺が執務室のソファーで寝ればいいのか」
時間が時間だし、誰かを呼ぶのも悪い。
幸いというか何というか、鎧も小手も外しているからこのまま寝ても体を痛めたりはしないだろ。
え? お前が抱っこして運べば万事解決だろうって?
そうはいっても、今日はオジュロらが来ているから客室が空いていないんだよね。
だから、仕方なくだ。華奢なシャルロッテを抱き上げられないってことはない。ははは。
「おやすみ。シャル」
布団をかけて、そっと自室を出る俺であった。
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タイトル
外れスキル「トレース」が、修行をしたら壊れ性能になった~あれもこれもコピーし俺を閉じ込め高見の見物をしている奴を殴り飛ばす~




