182.素数は大事だぞ
冬とはいえ、作物を育てていないわけじゃあない。
小麦は難しいけど、キャッサバや大麦はこの季節でも余裕で育つ。何となくヨーロッパ風な感がする辺境国であるが、マイナス何度にもなる厳冬とは程遠い。
南欧……とは少し違うけど東京よりは暖かく、カラッとしている。雨が全く降らないわけじゃないけど、冬場は降水量が夏の半分くらいかな。
あくまで今年は、という注釈がつくけどね。
と言っても冬は冬。寒いのである。
コタツにミカンとしゃれこみたいところだが、まだ用意できていない。
コタツはともかく、ミカンってあるのかな……。コーヒーはあるんだよね。遠方から輸入されたものを飲んだことがある。
前世では毎日飲んでいて、もういらねえと思ったものだけど、無いなら無いで寂しいものなんだよな。
ネラックで育成できないか検討してみるか。苗木を輸入することは難しくない。
農家のみなさんは大変だけど、一年中主食が収穫できることは心強い。
大麦はともかく、さすがキャッサバ。その生命力恐るべしである。
この世界のキャッサバは温帯性キャッサバという地球にはないものだが、キャッサバという名に相応しく痩せた土地だろうが夏でも冬でも変わらず生育するのだ。
そんなわけで、キャッサバがあれば飢えることはない。冬対策で食糧をそれほど溜め込まずとも、最悪キャッサバだけで凌ぐことができる。
キャッサバ万歳! チート植物万歳!
あ、大麦ね。育てた大麦の多くはビールになると思う……。誰かの陰謀でいつの間にか大麦を育てていたし、行き先も推して知るべしである。
戻って来るなりシャルロッテが大量に書類仕事を持ってきて。
いやあ、ネラックでも紙が生産できるようになったんだなあ……という感動などすぐに吹き飛び、ひたすら書類に目を通しサインを行う。
最後の方はやけになってきて、ぬっがああああとか変な声が出てしまったのはご愛嬌。
ちょうど飲み物を持ってきてくれたエリーに聞かれてしまったんだけどね。ちょっとだけ恥ずかしかった。
紙だけじゃなくサインするためのペンもインクもネラックの職人が作ってくれたものを使い始めている。
元々屋敷の中にあった日用品もまだ残っているのだけど、厚意で職人から頂いたものだしありがたく使わせてもらっているというわけだ。
よ、よおし。もう少しだ。積み上がった書類をポンと叩きご満悦な俺である。
ドサアアア!
きゃー。書類がああ。
でもいいもん。あと少しだし。こんな可愛いハプニングはちょっとした清涼剤みたいなものだ。
「閣下。お手伝いいたします!」
「お、おう」
床に落ちた書類を拾っていたら、開けっ放しにしていた扉からシャルロッテが入ってきていた。
二人でやればすぐ終わるさ。
いそいそと書類を拾い、机の左側に乗せていく。右がこれから、左が処理済みにしているのだ。
「あれ、書類の位置がおかしくないか?」
「いえ。閣下の印が入ったものはこちらです」
「いつの間に」
「先ほどです!」
積み上げた書類をシャルロッテが持っていってくれるのかあ。
そうかあ。
じゃあ、この積み上がっている書類は何なんだろうー?
きいいい。分かっているよ。分かっているさ。
置かれている書類の位置は「右側」だ。つまり、彼女が一緒に書類を拾ってくれる前に置いたってことだろ。
「それにしても書類が増えたな」
「はい。製紙の魔道具も準備できましたし、ネイサン少年も大活躍でした」
「ネイサンはトーレたちのところで修行に戻れたのかな」
「もちろんです! 稀にお願いすることはありますが、一人前の職人になるべく精進すると笑顔で言っておりました」
「おお。夢に向かってってことだな」
「貨幣制度を導入し、『決まり事』も増えて参りました。ですので、この書類なのです」
「分かった。ちゃんと書面を残しておかないとな。税の時はもっとえらいことになる……」
「それまでには文官を準備いたしましょう!」
「だな!」
喋っていても書類は減らない。
行くぜえええ。見せてやるぜ、俺の本気を。
◇◇◇
何て思ったはいいが、二時間くらい経過すると俺のライフはゼロになってしまった。
今日のところはこれくらいで許してやろう。
「閣下!」
「どえええ」
サボろうとしたのがバレたのかと思い、ビクッとした。
またか、また来たのか。書類が。
しかし、シャルロッテの手に書類はない。
その代わりにお盆へドリンクを乗せていた。
「お飲み物をお持ちいたしました」
「ん、牛乳じゃないんだな」
「牛乳がよろしかったですか! し、失礼いたしました。さすが閣下、まだまだ書類を」
「い、いや。今日のところはもういいかなと。ここで昼と夜を食べちゃったくらいだし」
執務机の上にコトリと置かれたドリンクを手に取る。
「ごきゅ……。ん、こいつはグアバか。でもこのグアバは強烈な酸っぱさがないな。いけるいける」
「そうでしたか。自分もご一緒してもよろしいでしょうか?」
「うん」
「すぐに参ります。お代わりもお持ちいたします」
開きっぱなしのドアから出て行ったシャルロッテは、ちょうど俺がグアバジュースを飲み干す頃に戻ってきた。
喉が乾いていたし、ちょうどいい酸味でリフレッシュ効果抜群だ。なので、一気に飲んじゃった。
「乾杯ー」
「乾杯であります!」
執務机ではなく、シャルロッテとソファーに横並びに腰かけコップをコツンと合わせる。
ソファーの前にはローテーブルが置いてあって、コップを置くのに便利だ。
二杯目もごっくんごっくんと飲んでしまう。
ん、心なしか体がポカポカしてきた気がする……。これひょっとして。
ハタとなり隣に座るシャルロッテに目を向ける。
首元から桜色になった彼女は、目がトロンとしていた。
「シャル」
「な、なんれすか」
「……グアバジュースと間違えてグアバ酒を持ってきただろう?」
「へ、そうだったんですか?」
だ、駄目だ。完全に出来上がっていらっしゃる。
呂律が回っていないじゃないか。
「シャル……」
「かっかあ。鎧を脱がしていたらけませんか? うまくできなくて」
シャルロッテの鎧はそれほど重たくはない。だけど、服に比べたら錘をつけているようなものだものな。
コートなんかと比べても断然重量がある。
見た所、フラフラだろうし、なるべくなら軽い方がいい。
カチャカチャと彼女の鎧を脱がし、テーブルの上に置いておく。
鎧を脱いだところ、熱い吐息をついた彼女は俺にしなだれかかってきた。
「大丈夫か? 寝ころんだ方がいい」
「暑いので、脱がしていたらけますか?」
「これ以上脱ぐと、いろいろまずい」
「分かりましたあ。自分で脱ぎますう」
「いやいや、待て」
両手で服の裾を掴んだ彼女の両肩に手をやり、ブンブンと首を横に振る。
と、とりあえず寝ころばせれば何とかなるはず。たぶん、きっと。
そーっと彼女の体を後ろに押し込んで、ソファーに頭をつけさせる。
「暑いだろうけど、そのまま目をつぶってみてくれ」
「へ。はいい」
「いいかあ。素数を数えるんだ。素数は孤独な数字、気持ちを落ち着けてくれる」
「よく分からないれすであるます……」
素数を一つたりとも数えなかったシャルロッテであったが、すぐに寝息を立て始めた。
彼女に酒を飲ませてはいけない。そう誓いながら、毛布を取りに自室に向かうことにした。
また新作を準備しておりますが、お時間ございましたら以前ご紹介させていただきましたこちらを暇つぶしにでも、どうぞー。完結済み、内政戦記ものですー。
また近く、新作をここでご紹介させていただきます。
目が覚めたら誰もいねええ!?残された第四王子の俺は処刑エンドをひっくり返し、内政無双で成り上がる。戻って来てももう遅いよ?
リンクは下からー。