160.俺は自由だー
黒い湖を抜け山を越えると、ネラックの街が見えてきた。高度を落とした飛行船はゆっくりと発着場に着陸する。
何事もなく到着できてなによりだ。
もし事故が起こった場合に備え、パラシュートなどの緊急退避策を準備した方がいいかもしれない。
いつもいつもセコイアが乗船するとは限らないからな。今後、飛行船で定期便を運用しようとした場合、安全対策は必須である。
対応策を練ることができるまで、彼女に毎回風の魔法を使わないとしても乗船してもらわないとな。
今のところ、無事に飛行できているので出番はないが、万が一落ちた場合は彼女の魔法頼りになる。
尻尾をピンと立て得意気に「10人くらいまで余裕じゃ」なんて言っていたけど、実際に試したわけじゃないからなあ。
彼女の緊急退避用の魔法は空を飛ぶわけではなく、落下速度を軽減するだけと条件がつくけど。
発着場でセコイアと別れ、屋敷に向かう。
彼女にはレーベンストックからの客人を仮住まいまで案内してもらうことにした。
仮住居は鍛冶場付近に並んだ家だ。
綿毛病の時に隔離用に作ったのだけど、今は一部空き家になっている。
一部というのは、ガラム、トーレ、彼らの弟子たち、セコイアはここに住んでいるから。
セコイアの提案で、今晩は客人を彼らにもてなしてもらうことになったのだ。
俺が直接お相手しようと思っていたのだけど、「キミじゃあ気が休まらないじゃろ」やらなんとか。
セコイアもセコイアなりに気を遣ってくれたというわけだ。ありがたい。
屋敷に戻るとすっかり日は落ち半月が空を照らしていた。
ネラックの街は燃焼石と魔石の供給をようやく開始したところで、屋内はともかく街灯はまだまだ少ない。
各家庭も屋外にランタンを吊るしている家は殆どない状況だ。今度、ランタンを含めた灯具や魔石が安定供給していくことで、ネラック風の夜が産まれてくることだろう。
半年後が楽しみだ。その頃には、居酒屋とか飲食店も経営を始めてるかなあ。
ガーデルマン伯らとの交易が始まれば、この辺りは一気に活性化すると思われる。
ルンベルクが屋敷入り口扉を開き、エリーと並んでどうぞとばかりに洗練された礼をする。
エリーも彼と同じく慣れたもので、ルンベルクの動きにばっちり合わせて頭を下げていた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。ヨシュア様!」
猫耳をぴこぴこさせ、尻尾をピンと立てたアルルが満面の笑みで俺を出迎える。
ニコニコする彼女に会釈をして、指を一本立てた。
「バルトロは?」
「いるよ! もうすぐ、できるって」
「ん?」
「お食事!」
「バルトロがか。それは楽しみなようなそうでないような」
「これでもなかなかのもんなんだ、ぜ、って」
「ほほう。では賞味してしんぜよう」
何様だよって我ながら思う謎のセリフで返した俺はアルルと並びさっそく食堂へ移動する。
ルンベルクとエリーも誘ったんだけど、後から行くとのこと。お家を1日空けていたから、欠かせぬ家事があるのかな?
いや、ひょっとして持ち帰った荷物を……?
荷物なんて明日でいいのに。
いや……エリーのパワーなら一瞬で終わるか。
彼女の馬鹿力を体験したのは、ルビコン川の向こう側へ初めて行った時のことだった。向こう岸までの距離は20メートルほどあったのだけど、エリーが俺を抱えてジャンプしてさ。あの時は驚いたのなんのって。しかし、よりによってお姫様抱っこしなくてもいいのに。
そういや俺、他にも同じように抱っこされた気がする。いつだったのかもはや覚えていないけど……。
お、俺だってやろうと思ったら姫抱きくらいできるぜ。見てろよ。今度セコイアを抱えてやるんだからな。
◇◇◇
バルトロの出す料理は男の野外料理って感じだった。こういう大雑把な料理もよいものだ。
いつもはルンベルク、エリー、たまにアルルが交代で料理番をしている。彼らの料理の腕は抜群で、一流ホテルのシェフと比べても遜色ないんじゃないか……は言い過ぎか。
とにかく、手の込んだ料理が多く、味付けも繊細で複雑な感じなのだ。
一方でバルトロの料理は、肉の塊を串にさして塩だけ振って豪快に焼いたものであったり、最近ようやく収穫できたニンジンをざっとあらってそのまま輪切りにしたものと野菜、ソーモン鳥を煮込んだものみたいなものだった。素材一つ一つが大きくて、一口じゃ食べきれないほどなのだけど、これはこれでまた良い。
「おいしいよ。バルトロ。ありがとうな」
「おう。ヨシュア様の口に合って良かったぜ。冒険者時代によく作っていたんだ」
「へえ。そうなのか。冒険かあ、楽しそうだなあ」
「楽しいぜ。散歩がてらに冒険に行かねえか?」
「冒険者気分で探索しつつ散歩か。いいな。明日……いや明後日……三日後にしよう」
「おう。楽しみだ。ガルーガも連れてきていいか?」
口の端をあげるバルトロに向けコクリと頷く。
続いて、じっと聞き耳を立て耳がそわそわとしていたアルルへ顔を向ける。
「アルルも行こう」
「いいの!」
「お留守番だったからさ。一緒に行こう」
「うん!」
大きな瞳を細めるアルルに俺の口元も綻ぶ。
ガタン。
その時、外で大きな音がする。
やっぱり荷物を運び込んでいるんだな。止めに行っても俺が寝室に行った後とかにやっちゃいそうだし、そのまま何も言わずにいておくとするか。
大きな肉の塊にかぶりつくと、じゅわっと中から肉汁があふれ出す。
うーん。おいしい。
◇◇◇
この世界には電話というものはない。セコイアがペンギンに対して使っているような魔法を利用すれば長距離通話もできるかもしれないけど、今ここにそのような魔道具を持ち合わせていないのだ。
なので、レーベンストックに旅立った俺がいつ戻って来るかは戻って来てからしか分からない。
といっても、だいたい最大どれくらいの期間不在にするかはシャルロッテらに伝えている。
到着したのが夜だったこともあり、俺を今か今かと待ち構えている人はいなかった。
「そんなわけで俺は今自由だー」
謎の雄叫びをあげつつ風呂にどぼーんと浸かる。
いやあ。屋敷万歳。風呂万歳だぜ。魔道具があれば風呂にだって入ることができる。
魔石の供給もできるようになったし、今後は一般家庭にも風呂が設置されていくことだろう。
公衆浴場は先日完成し、ようやく領民のみなさんも風呂に入ることができるようになった。
「よお。ヨシュア様。待たせたなー」
「おー。片付けまですまなかったな」
「アルルも手伝ってくれたし、すぐだったぜ」
バルトロが素っ裸で浴室に入ってくる。
時間もあることだし、たまには一人じゃなく他の人とゆったりとした風呂タイムを楽しみたかったのだ。
そんな俺の我がままを彼は快諾してくれた。
バルトロは冒険者をやっていたというだけに、引き締まったよい体つきをしている。
でも、彼の体は大きな傷跡どころか細かい傷さえなかった。
「ん? 何か気になることがあったか?」
「冒険者ってモンスターと戦ったりする危険な職業なんだよな」
「おうそうだぜ。大怪我をすることだってある。ガルーガの片目は冒険の時にだってよ」
わしゃわしゃと頭を洗いつつバルトロが軽い感じで応じる。
「ひええ。バルトロも沢山のモンスターと戦ったんだよな」
「まあ、そうでもないさ。何度か骨折したり縫うほどの怪我をしたけどなあ」
「そうなんだ。でも、傷跡が綺麗さっぱり残ってないよな」
「すぐに冒険に出たかったからよ。高っかいポーションを買ったんだよ」
「すげえな。ポーション」
「まあな。仕組みなんてとんと分からんが、傷がみるみるうちに塞がるんだぜ」
ばしゃーと頭を洗い流し、ニカッと微笑むバルトロであった。




