151.バーデンバルデン
バーデンバルデン。
レーベンストックの中心地にして、部族の融和と絆を示す都市である。
この街は高い城壁に囲まれた堅牢な防衛機能を併せ持つ城塞都市としても有名だ。
そうそう、ネラックにも街を取り囲む城壁を住居の準備と併せて建築するつもりだった。
地域にもよるのだけど、必ずしも城壁は必要ではない。その証拠に公国の公都ローゼンハイムは、部分的にしか城壁を備えていないんだ。
元々、公都の三分の二ほどを城壁が覆っていたのだけど、劣化が激しくポイントを絞って補修した経緯がある。
熟考した結果、公都ではぐるりと街を取り囲むように城壁を備え付けるのをやめたのだ。
取り囲む費用対効果を鑑みて、防衛拠点を絞ることで十分対処できると判断した。
公都には警備兵に加え、衛兵、騎士団まで控えており防衛に人的リソースが割ける。
危急の事態が発生しない限り何もすることがなかった騎士団に、監視を統括させ警備兵、衛兵と協力して街の警備に当たるよう組織を改革した。
彼らにはまた、平民で構成された警備兵・衛兵から優秀な者を騎士団に推挙する役目も担ってもらう。
こうすることで防衛能力、治安維持の専門家たちを一つの組織にまとめることができた。
と同時に優秀な市井の者を騎士爵にまで登らせる制度も同時に完成する。
話が横に逸れてしまったが、ネラックでは今のところ急ぎで城壁を作るつもりはない。
当初はモンスターの襲撃を恐れ「はやくはやく」としていたわけだが、領民の急激な増加によって城壁が必要な範囲が変わってしまった。
その代わりに物見を数カ所作り、昼夜に関わらず監視を行なっている。
ここ数ヶ月の周辺事情から、大きな襲撃は無いと判断した。
もしモンスターの侵入があったとしても、事前に察知し街に入れる前に奇襲することにしようと決めたのだ。
本当は堅牢な城壁があって、城壁を挟んでモンスターと戦った方が良い。弓矢が非常に効果的だからな。
そんなわけで、部分的な防衛拠点は近く建築するつもりではいる。
この世界の城壁は地球のそれと意味合いが異なる。「防衛する」という点については同じなのだが、相手が人間じゃあなくてモンスターなのだ。
一部、人同士の戦争に使われていたりするんだけど……。
地球と違って人間以外の外敵が多く力が強いからな。他国との戦争なんてする余裕がない国も多い。
なんてことを考えていると、みるみるうちに高度が下がっていっていた。
現在は上空100メートルといったところか。
この辺りでいいかな?
「エイルさん、私たちはこの位置でしばらく待つ、でよろしいでしょうか?」
「はい。行ってまいります。お待たせし、申し訳ありません」
「いえいえ。いきなり飛行船がきたら何事かとなるのは当然です。進言して下さりありがとうございます」
「それでは、しばしお待ちを」
上品に礼をしたエイルがぱたりと一度だけ翅を震わせた。
ルンベルクに導かれ、出入り口の扉が開く。
外の風が勢いよく中に吹き込み、髪の毛が風に煽られる。
もちろん、こんな時もスカートを手で押さえないセコイアだった。
アルルがいないので代わりに俺が心の中で呟いておくか。
――青紫である、と。
「見たじゃろ?」
「見えたんだ。不本意ながらな」
「純白」
「それはエイルさんだ」
「見たじゃろ?」
「……」
青紫に突っ込まれた! 青紫は意識してなかったんだけど、エイルの方は仕方ないだろうに。
いくら飛べるって聞いていたとしても空の上からアイキャンフライなんだぞ。
飛べない種族である俺からしたらハラハラして固唾を飲んで見守ってしまっても仕方ない。
「ヨ、ヨシュア様は白がお好きなんでしょうか……」
「セコイアが変なことを言うから、エリーが混乱しちゃったじゃないか」
おずおずと上目遣いで恥ずかしそうに見上げてくるエリーに困ってしまった。
それもこれもセコイアが余計なことを言ったからじゃないかよ。
「して、エリーは何色なんじゃ?」
「し、知りません!」
セコイア……小学生の男子かよ。
彼女の言葉を受けたエリーは、ぴゅーっとこの場から逃げ出してしまう。
それでもメイドの本来の仕事を忘れなかったのか、わたわたした様子でお茶を準備し始めた。
彼女の様子を察したルンベルクが背筋を整え、会釈する。
「ヨシュア様。お待ちの間、ティータイムにいたしますか?」
「そうだな。エリーが準備してくれていることだし」
「承知いたしました。では、お茶菓子も用意いたします」
「ありがとう」
ルンベルクが飛行船に運び込んだ大きな箱を開き、皿を台の上に並べていく。
◇◇◇
お茶会が終わる頃、エイルが飛行船に戻ってきた。
彼女は相当急いで戻って来てくれたようで、大きく肩で息をしている。
「そこまで急がずともよろしかったのですが」
「お待たせ……するわけには……」
「失礼いたしました。エイルさんの責任感、レーベンストックの事情に考えが及んでおりませんでした」
「ヨシュア様! そのようなことは!」
エイルは俺たちを待たせたくないだけでなく、待ち焦がれているレーベンストックの領民たちをも待たせたくなかった。
だから、彼女は休みもせず全速力でここに戻ってきたというわけだ。
深刻な状況だとは分かっていても、現場をまだ見ていない俺にとって現実感が無いことも確か。
切迫していると何度も聞いているのに……。
ルンベルクに目配せし、エイルにお茶を出してもらう。
「息を整えてください」
「ゴク……ありがとうございます。アールヴ族の誘導がございます。地上にもレーベンストックの者が立っておりますのでそちらに着陸いただけますか?」
「承知です。セコイア、ルンベルク」
二人に目を向けると無言で頷きを返してくれた。
「ルンベルク。降りる時も手伝いたかったんだけど、すまん。一人で頼めるか」
「もちろんでございます。ヨシュア様のお手を煩わせずとも責務をこなしてみせます」
力強く礼を返したルンベルクは足音を立てずに踵を返し、機関室に向かっていく。
セコイアは……俺の膝の上に無理やり乗っかってきた。
ちゃんと操作してくれるならそれでいいんだけど……立った方が外がよく見えると思うんだけど。
突っ込むのはよしておこう。ちゃんと仕事をしてくれるのならそれでいいさ。どうせやるなら、気持ちよくこなしてくれた方が断然良い。
飛行船はゆっくりとゆっくりと高度を下げ、そよ風に吹かれながらやんわりと進んで行く。
米粒のように見えるアールヴ族に導かれ、しばらく進むとレーベンストックの城壁がハッキリと目に映る。
「いよいよだな」
「レーベンストックはヨシュア様ご一行に来ていただけたこと、感謝の念を禁じ得ません」
「いえ。こういう時はお互い様です。私も思わぬところで初のレーベンストック訪問となり、お恥ずかしながら不謹慎にも少し興奮しております」
「是非、レーベンストックの街もご観覧下さい。宿も準備しております」
すっと胸に手を当て頭をさげるエイルに向け、こちらも会釈を返す。
街はもう目前に迫っていた。




