134.考えるのをやめた
「リンドヴルムとのメイヤクに従い、オレサマ、オマエ、マルカジリ」
「待て待て。俺の様子を見にきたんだろ」
「そうだ。ニクニク」
お腹が空いているから、餌を寄越せって言いたかったのかよ。
確かまだ生肉の在庫があったよな。ルンベルクに目配せすると、彼は床に置いた大きなストック用の箱を開く。
続いて彼はチラリとこちらに骨付き肉を見せた。
頷くと上品な仕草で立ち上がったルンベルクが俺の元まで骨付き肉を持ち、膝をつく。
「ここに」
「地面に置いちゃってもらえるかな」
俺の言葉通りにルンベルクは骨付き肉を地面に置く。
すると、パタパタと小刻みに翼を震わせたトカゲが空から落下する勢いで骨付き肉にしがみ付いた。
骨付き肉とトカゲの尻尾を除いた全長がほぼ同じ30センチほどで、おお、ピッタリじゃないかなんて変なことを考えてしまう。
挨拶もまだだってのに、肉を黙々と喰らうトカゲにため息が出そうになる。見た目通りふてぶてしい奴だ。
でもまあ、食べ物優先な人は裏表のない傾向であることが多い。
こいつも単純で動物的ならいいんだけど。
隠し事やら裏でこそこそ動かれたりして、大失敗なんてことはよくある話だ。何事も誰かに相談した方がうまくいくことが多い。
――もっちゃもっちゃ。
汚らしく咀嚼するトカゲが大きな口を開け、バリバリと骨を噛み砕く。
骨付き肉を丸ごと食べちゃうらしい。
「マアまあだな。ニクニク」
「俺はヨシュア。君は?」
「オレサマ、ゲラ=ラ」
「よろしくな。ええとゲララ?」
「オウ」
右前足を器用に上にあげて応じるトカゲことゲラ=ラであった。
ゲラ=ラとの挨拶が終わった時、ちょうど魚が焼き終わる。
全ての用が終わった俺たちは撤収準備に入ったのだ。
満腹だからか、ゲラ=ラは俺たちが後片づけしている間ずっと目を瞑り伏せの態勢ですやすやと眠っていた。
ペンギンは動き続けているというのに。彼はじっとして海水の入った樽を見つめている。
海水も地球と同じなのかなあ。塩辛かったので塩化ナトリウムが含まれているのだろうと思う。濃度は不明だけど。
含まれている成分によって海水の浸透圧が変わる。ペンギンにとっては気になるところかもしれないけど、俺は特に興味がない。
浸透圧が異なろうが、サバやアジがいる。似ているだけな可能性も高いけど、味わいもそっくりなので特に問題はないさ。
最後に残ったガルーガとバルトロが大きな箱を運び込み、作業が完了となる。
「よおし、帰ろう」
俺の掛け声に反応して、それぞれが飛行船を動かす持ち場につく。
ゲラ=ラは起きなかったので、アルルに持ってもらって飛行船の隅っこに放置している。
それでもまだ起きようとしないあいつは大物なのかもしれない……。アルルはトゲトゲがちくちくすると言っていた。
そう言われると気になるのが人間の性ってもんだ。
スタスタと伏せの体勢で眠るトカゲの前でしゃがみ込む。
手を伸ばし、顎下のトゲトゲに触れてみた。
「確かに……こいつのトゲトゲ、指を怪我しそうだ」
「じ、自分も触れていいでしょうか……覇王龍様の眷属に恐れ多いでしょうか……」
俺と向い合せの位置に立ったシャルロッテが、右手の革手袋を左手で掴みそんなことをのたまったのだ。
相当トカゲのことが気になる様子で、いつもは俺としっかり目を合わせる彼女なのにトカゲと俺の間を視線を交互に動かしている。
「さっきもアルルに掴んでもらったし、特に触るなと言われているわけじゃあないから問題ないさ」
「そ、そうでありますか。で、では……ふ、触れても?」
コクコクと頷くと、シャルロッテがガバッとその場で腰を下ろす。余りの勢いに彼女の着ている白銀の鎧が高い金属音を立てた。
いそいそと革手袋を脱ぎ、鎧に挟んだ彼女は両手を開きゲラ=ラにじわじわと迫っていく。
指先がプルプルと震え、何だかとっても危ない感じなんだけど……少し息も荒いし……。大丈夫か? シャルロッテ……。
いよいよ彼女の指先がトゲトゲに触れようとした時――。
パチリとゲラ=ラの目が開く。
「……ニク」
「さっき喰っただろ!」
開口一番、細く尖った舌を出し呟いたゲラ=ラ。
あんまりな言葉に思いっきり突っ込んでしまったじゃないか。
一方でシャルロッテの動きがピタリと止まった後、苦渋に満ちた顔を浮かべてずるずると手をゲラ=ラから離した。
「そうだった。ニク、マルカジリ」
「肉は次の食事時間まで待て。あと、肉の礼と言ってはなんだけど、シャルロッテにトゲトゲを触らせてもらってもいいか?」
「オウ」
ゲラ=ラがぐいっと顎をあげ、首を後ろに回す。
真後ろまで首が回っているのだけど……痛くないのかな。トカゲってそこまで首を動かすことができるんだ。
感心しつつ、シャルロッテに「いいよ」と目で合図を送る。
すると、シャルロッテの凛とした顔に厳しさが増し、細い眉に力が入った。
唇をギュッと結び、先ほどと違って一気に手を伸ばしゲラ=ラの頭に触れる。
ますます眉間に皺が寄るシャルロッテと特に反応を見せないゲラ=ラに対し、俺の方がどうしたものかとハラハラしてきてしまった。
そんな俺の想いなど露知らぬ彼女は、さわさわと指先だけでゲラ=ラの頭を撫で、ちょんちょんと顎のトゲトゲをつっつく。
彼女の表情はそのままなのだけど、頬に僅かな朱がさした。
「とても……硬いであります」
「オレサマのトゲは木だって貫くからな。グゲグゲ」
下品な笑い声をあげるゲラ=ラに対し、シャルロッテの固く結んだ口元が僅かに緩む。
これ、ひょっとして、彼女なりに喜んでいるのか?
よく見てみると、苦渋に満ちているように思えた表情も緊張からと取れる。その証拠に頬が紅潮し目元は……凛として厳しい感じだな……。
あれえ。
いや、たぶん、きっと。楽しんでくれているに違いない。
「なんなら抱っこしてもいいぞ。な、ゲラ=ラ?」
「構わんぞ」
「は、はい!」
両手を伸ばし、ゲラ=ラを抱えたシャルロッテは彼を胸に抱く。
白銀の鎧が邪魔をしているのだけど、嬉しいものなのかな。犬猫を抱っこした時って、あのもふもふ感がいいものなのだけど。
と思っていたら、彼女はゲラ=ラを持ち上げて彼の真っ白のお腹に頬ずりしたのだった。
背中側は鮮やかなオレンジ色なのだけど、裏側は白なんだな。この辺は俺の知るトカゲとよく似ている。
腹側は背中と違ってトゲトゲも無いしゴツゴツしておらず、すべすべだな。触れるとひんやりとして気持ちいいかもしれない。
「シャル。しばらくゲラ=ラと遊んでやっていてくれ」
「ですが、風を起こさねばなりません」
「たまには休むといい。戻ったらまた動いてもらわないといけないから」
シャルロッテに風魔法で手伝ってもらっていたけど、彼女にも経験を積ませるためだった。
彼女は魔法に関してセコイアに遠く及ばないが、指導者として非常に優れている。
街にいる風魔法を使える者に飛行船での風魔法の使い方を指導するためというのが大きい。
正直、風を起こすだけならセコイア単独で事足りる、というか彼女なら片手間で起こした風魔法でも十分だと思う。
飛行船遊覧という束の間の休息も終わりだ。
戻ったら、激務が待っている……まずは来客からだっけ……それとも市政制度からだっけ。
俺は考えるのをやめた。