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母ちゃんのソース焼きそば

作者: 餅角ケイ



「あんた、そんな塩ッ辛いのばかり食べてたら心臓おかしくなるよ」

 それがお袋の口癖だった。お袋が中学生の頃に祖父(お袋の父親)が心疾患で早逝そうせいしたことを知ったのは俺がもう少し大きくなってからだったが、当時そんなこと知る由もないガキの俺は、おやつをいいところで取り上げられてギャン泣きした。


「あとで分けてやるから」

 なけなしの小遣いでこっそり駄菓子屋に通っていた2番目の兄貴がポテチをこっそりくれたこともあったが、無事にお袋に見つかった日には兄弟共々ボコボコにされた。

「ほどほどにしなさいって言ってるでしょ!」


 そんなこともあってか、小学生の頃はポテトチップス一袋を独り占めにするのが将来の夢だった。それを学校の作文で正直に書いたら、真面目にやらんかと担任に一発怒られて立たされた。





 土日にお袋がパートにいくとき、決まって昼に用意されていたのがソース焼きそばだった。とは言ってもモヤシとか刻んだ人参とか嫌いなピーマンなどでいいだけカサ増しされていて、全然と言っていいほどソースの味がしないやつだ。

 1番目の高校生の兄貴は友だちと遊びにいくとか言って、家に居ないこともしばしばあった。7歳も年が上になったらきっと外で好きなご飯が食べられるんだなぁ、と非常に羨ましく思っていた。2番目の兄貴も中学の部活で昼にはほとんど帰ってこない。その代わり、土日は会社が休みの姉貴に面倒をみてもらうことが多かった。


 ある日いつもの味に耐えかねて、俺は食事中の姉貴に文句を言った。

「姉ちゃん、母ちゃんの焼きそばおいしい?」

「え? おいしいよ」

 当たり前みたいな顔で姉貴は麺を啜っていた。

「ぼくおいしくない。野菜ばっかりだし味うっっすいだもん」

「そんなこと言ったらお母ちゃんが悲しむよ。お野菜がいっぱい入っているから、体にいいんだよ」

「でもおいしくないもん。今度は姉ちゃんがご飯作ってよ」


「……多分、私が焼きそば作っても母ちゃんとおんなじ味になるけどいいの?」

 姉貴は笑いながら子どもの俺に根気よく接してしてくれていたが、

「おいしくない! いっつもこれ! おいしくない!」と俺が癇癪を起こすと

「そんなに言うならもう食べるんじゃない! このバチ当たり!」と怒られて俺はまたギャン泣きした。

 今思い返せば、姉貴は仕事で不在がちだったお袋の代弁をしてくれていたのだろうと思う。だがこの一件で、ガキの頃の俺は本気で女を悪魔か何かだと思い込んでいた。親父はともかく、まだ兄貴たちの方が優しかったからだ。

 ちなみに残したら勿体ないので、結局ぐしゃぐしゃの顔のまま焼きそばは完食された。







 時が流れ、アルバイトができる年齢になると、俺は貯めた金を惜しげなくレコードの数々につぎ込んだ。真夜中、椅子に座ったまま窓に足を投げ出す。大して歌詞の分からない洋楽を垂れ流しながらそれを口ずさみ、星を観ながら感傷に浸ることが何よりの悦びだった。大学受験前にもその習慣を止められず、ちゃんと勉強してんのかと親父に部屋まで乗り込まれた思い出もある。


 深夜の勉強中に腹が減って、コンビニで初めてカップ焼きそばを買ったときの感動は忘れられないものがあった。家族にバレないようにお湯を用意して、バレないようにこっそり湯を切って、口に入れたときの「ちゃんと、濃い」ぬってりした味に衝撃を受け、これが本物のソース焼きそばだったのか! とズルズルかきこむ勢いでカップ目掛けて喰らいついた。


 ある日その空容器とビニールをお袋が見つけて、ちょっとした騒ぎになった。

「あんた、そんな塩ッ辛いのーーーー」といういつもの構文から始まって、最終的には

「そんなに夜中に腹空くなら、お母ちゃんが同じの作ってやるから」

という話になった。

 俺はたまらず

「あんなクソマズいもん食えるかや!」

と怒鳴ったら、お袋は何も言わず台所へ戻っていった。

 当時の俺は反抗期真っ只中だった。兄貴たちだって俺が小さいころは味の薄さにあれだけ文句垂れていたくせに、今では「お袋の気持ちも考えろ」だの、急に大人ヅラされたことも気に食わなかった。

 それから暫くは食卓に出るのが気まずくなり、受験勉強を理由にして購買の買い置きやコンビニ弁当で済ませたりしていた。



 滑り止めは問題無かったものの、第一志望の合格発表欄に俺の番号はなかった。家に帰って「駄目だった」とだけ言ったら、押し黙っていた親父に「訳分からん音楽ばかり聴いて怠けとったからだろうが!」と怒鳴られ何度もボコボコにされた。抵抗すれば勝てたかもしれないがそんな気力もなかった。もう止めてとお袋が仲裁に入ってくれるまで、突っ立ったままずっと殴られていた。親父に殴られたからではなく、色々な無念や悔しさが底から突き上げてきて、その場で涙が両目の縁から漏れそうになった。勘違いされるのだけは嫌だったので、唇を噛んでなんとかこらえた。


 俺は暫く自室でうずくまっていたが、俺と親父をひとまず離してくれたお袋に対して急に申し訳なくなり、階段を降りて台所に向かった。

 お袋はソファで一休みしていた。

「母ちゃん。母ちゃんの焼きそば、食べていいか」

 そう尋ねるとおもむろに立ち上がり、すぐにエプロンをしてくれた。

「8分かかる。ちょっと待っといて」


 久しぶりに目の前にしたお袋のソース焼きそばには、かつての俺が忌み嫌っていたモヤシも人参もピーマンも入っていなかった。それらが隠れていないか箸で掻き回していたら、行儀悪いことしないとこの歳で怒られた。


 一口食べて、やっぱり違和感があった。当時のお袋の言葉ですぐに謎が解けた。

「あんたの好きなベーコン入れたよ」

 それは見れば分かるのだが、

「あんたに嬉しく食べてもらえるように、ちょっとだけ味も濃くしといたから。ちょっとだけ、ね。……久しぶりにもりもり食べてくれて、母ちゃん一安心だわぁ」

 その言葉を聴いて、俺はなんてガキだったんだと自分自身を激しく断罪した。俺は母親にどこまで気を遣わせて、どこまで心配させていたのか。


「今までごめん。ごめんなあ、母ちゃん」

「はあ? 今までって何が。」

 お袋は困ったように笑っていたが、俺はまた顔を濡れ雑巾のようにボロボロにしながら

「お母ちゃんのソース焼きそばが一番美味いから」

と嗚咽交じりに返すのが精一杯だった。


「そう、ありがとう」

 食べ終わったお皿はそこに置いといていいから、と言ってお袋は台所にいった。






 それから俺は大学進学の関係で上京せねばならず、お袋の手料理を口にできる頻度も滅多に減っていった。たまに帰ってきても「帰省だから」などといういささか分からない理由で手の込んだ料理を出され、それはそれで勿論美味かったのだが、あの質素なソース焼きそばの味が恋しくなっていた。


 多分あれは、若い時よりも、歳をとるごとに更に美味しいと感じられる類の味なのだ。そう実感し始めたのは、そのまま上京先で社会人になってからだった。外食にありがちな脂っこいものや塩辛いオンパレードの後に無性にシメで欲しくなる、お袋のソース焼きそば。具材の背景程度に香るソースと、あの野菜マシマシが口にも胃にも優しい味わいなのだ。特に息子がそれなりに大きくなってからは、顕著にそう感じるようになっていった。



 妻子を連れて俺が地元に戻ってきたのは、兄貴たちや姉貴の代わりに70を超えたお袋の面倒を見なければならない為だった。


「ソース焼きそばがいいなあ」

 皆で食べる昼飯の注文を聞かれたので答えると、お袋は笑顔を見せて台所に向かっていった。妻が「私も手伝います」と慌てて立ち上がったが「いいのいいの。簡単なもんだから」とお袋にあしらわれていた。

 お袋は全く動けない訳ではなかった。むしろ身体はピンピンしていた。



「できたよ。いつものやつね」

 お袋はそう言ったが、明らかに麺がソースの原液にどっぷりと浸かっているような、麺や具材の見えない真っ茶色の焼きそばだった。…………姉貴から電話で話は聴いていたが、現実を目の当たりにして改めて受けるショックというものがある。然るべきときが来てしまったのかもしれない。

「おばあちゃん、これしょっぱいね」

 息子が正直な感想を言う。

「え? そう? あー本当だしょっぱいね……。もう、なんでこうなっちゃうんだか…………」


 お袋はとても困り果てていた。どのようにフォローすればよいのか分からず、

「よし、今度は俺も一緒にキッチンに立とう。お袋のソース焼きそばの大ファンとして手伝うよ。なっ」

 と、お袋に対して笑顔を向けるくらいのことしかできなかった。同時に、息子に向かって「父さんはソース焼きそばのプロフェッショナルだからな」と強がってみせたが、12歳の反応はいまいちだった。

「えぇ〜〜。あのいつも父さんが作ってるうっすいやつ?」

「あの薄さがいいんだろ。お前も歳とったら分かるようになるよ」


 まるで意味分かんね、とでも言いたげな顔だ。きちんと完食した後の息子はスマホに夢中になっている。もうそろそろこいつも反抗期に差し掛かってくる年齢だろうか。いや、まだ早いか? こいつも、いつかの俺と同じようにこのソース焼きそばを嫌悪して、いつかの俺と同じようにその良さにハマってくれたらなと思う。いやいや、これは親の押し付けか。



 過ぎた時は戻らないし、一度濃く煮詰まったソース焼きそばもなかなか薄くはできないだろう。現段階でのお袋にこれから寄り添っていかなければならない覚悟はある。それでも俺は、あの口癖と共に思い出される、お袋のソース焼きそばの味をいつまでも懐かしまずにはいられないのだ。




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― 新着の感想 ―
[一言] 家庭の味ってほかでは再現できない安心感と思い出と温かさと、それぞれの思いが詰まっていて離れがたいんですよね。 お母さん自身がもう作れなくなっても、一度はそれを嫌悪した息子が同じ味を引き継い…
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