9 暗 闇
フィオナ視点です。
月のない、真っ暗な夜が苦手だった。月を数えて、ちょうどなくなったとき、私はたくさんのものを失ってしまった。月のない夜を背にして、頭を下げるその姿をいまでも覚えている。いつもは大きく見えた背中がまんまるで、とても小さく見えた。ああ、なくなってしまったのだ、と納得をした夜だった。
あの頃の私はとても疲れていて、神経を尖らせて、送られてくる報せが恐ろしくて仕方がなかった。学園に居た頃や幼いころは、穏やかに、それでいて幸せで。当たり前に結婚をして、子どもを産んで生きていくのだと思っていた。
『フィオナ、すまない、待っていてくれないか』
学園を卒業したころ、彼のお兄様が倒れて、私たちの結婚は先送りになった。きっと迎えに行くからと言ってくれた彼を信じて、ただ待った。待って待って、彼からの手紙がどんどん増えて、それでも待って。「あと少し」を信じて。随分と家族に心配をかけてしまったと思う。
そうして、二年が過ぎたころ、彼は突然やってきて、頭を下げた。お兄様が、亡くなったのだと告げに。
『すまない、本当に』
―とても、疲れていたの。
私は静かに頷いた。さようなら、と告げると彼はとても悲しそうな顔をした。かなしいのは、私のほうじゃないのかしら、と思ったけれど、彼がもう一度謝るものだから「仕方ないわ」なんて慰めた。小さいころから、考えていることが表情に出やすい彼だったから、辛いのだろうということが伝わってきた。だって、彼が私に「婚約したい」と言ったのだもの。彼が、「待っていてくれ」と、そう、言ったのだもの。
貴方の願いを叶えた私の願いは、叶えてくれなかったのね。
***
「フィオナ嬢、こんにちは」
「テオドール様、いらしてたんですね」
最近、我が家に頻繁に訪れるようになったラングレー家のご子息テオドール様は今日もまたアルテリアに会いに来ていた。最初は私と同じように驚いていたお母さまやお父様も、今では「いらっしゃいませ」なんて軽い一言で挨拶を済ませている。ご本人がそれで構わないというのだから気にしないようにはしているけれど、本当にわが弟ながら、交友関係が幅広いと思う。
それでも、こうして家に招き入れたことのある人は片手で収まるほどの人数だった。最近はテオドール様ばかり。何を話しているかは知らないけれど、時々アルテリアが夜会に行くからテオドール様の相手をしてほしいと私に言ってくることがある。帰らないのかしら、とも思うのだけれど、アルが戻ってきたらまた飲みなおすらしい。
「テオドール様も、一緒に行かないのですか?」
「夜会に?」
「ええ」
今日もまた夜会に行ってしまったアルの代わりに、応接室でテオドール様とお茶をすることになった。テオドール様は気にしていないようだけれど、アルとお話をしに来たはずなのに私と話していても楽しいのかしら。ちょうどいい温度になった紅茶を喉に流しこめば、少しの沈黙が気になって顔をあげる。そんなにおかしな質問だっただろうか。
「実は、来月に我が家が主催する夜会があるんだ」
「そうなんですか」
「両親からは、俺も参加するように言われている」
主催が自分の家であれば参加するのは当然のことだろう。我が家はあまり夜会やお茶会を開かないけれど、ごく身内であれば集まって小さなパーティをすることもある。そういったものには私も参加している。筆頭公爵家ともなれば規模も招待客も違うのだろう。あまり夜会が好きではないというテオドール様には、憂鬱なイベントなのかもしれない。
そういえば、来月にはまたお母様がお茶会を開くといっていた。近しい身内と知り合いだけで行われるそれに、私も参加しなくてはならない。身内だけのものなら、楽しいのに。
「その、フィオナ嬢、貴女さえよければなんだが」
「はい?」
「本当に、よければなんだが、……その」
随分と歯切れの悪いテオドール様が珍しくてじっと眺めてしまった。数秒経って、失礼にあたるかもしれないと視線を落としたけれど、それからしばらく、続きの言葉は聞こえてこなかった。今日のテオドール様は少し調子が悪いように見える。大丈夫かしら、と窺い見ようとしたところで、ぱちり、と視線が合った。濃いブルーが私を見た。
「一緒に参加してくれないか」
「……え?」
「いや、その、わかっている。貴女が夜会などにはあまり参加しないことはわかっているんだ。しかし、我が家の夜会は今回同伴が必要なものであり、俺には知り合いといえば貴女くらいしか居ない。もしよければ、の話なんだ、本当に」
「テオドール様……」
喋り始めたと思えば一気にまくし立てられる言葉の海におぼれそうになってしまう。矢継ぎ早に飛んでくる言葉を精査すると、どうやら、私は夜会のパートナーとしてテオドール様に誘われているらしい。ここ数年、夜会に参加したことは数えるほどだし、誰かにパートナーとして誘われることももう随分なかった。本当に必要なときは弟のアルが一緒に居てくれたし、……どうしたら、いいものかしら。
テオドール様も夜会があまり好きではないということだし、お知り合いのご令嬢が少ないということで苦肉の策が私だったのかもしれない。
「ええと、その、……わたくしでよろしいのでしょうか?」
「! ああ、もちろんだ」
せっかくお誘いいただいているのをお断りするのも申し訳なくて、一応確認のために聞くと、ぱっと表情を明るくしたテオドール様が頷いた。アルに比べて大人っぽいテオドール様の年相応のような表情に思わず笑みがこぼれてしまう。よっぽど相手が見つからなくて切羽詰っていたのかもしれない。私も、アル以外でパートナーを見つけてきなさいなんて言われても難しいもの。
筆頭公爵家主催の夜会ということで、規模はそれなりに大きいものだろうし、新しいドレスを仕立てたほうがいいかもしれない。最近の流行なんてわからないから、アルに聞かなくてはならない。
「ドレスはこちらで用意するから、来週採寸に来てもらってもかまわないだろうか」
「えっ、いいえ、そんな、いただけません」
「俺から誘ったんだ、これくらいはさせて欲しい」
夜会に誘ったからドレスまで用意する、なんて聞いたこともない。それだったらアルはいったい何着のドレスを用意しなければいけなくなってしまうのだろう。さすがにそれは悪い、と固辞しようとしたところで、ぽん、と肩に手が置かれる。あまりにも突然で、びっくりしてしまって小さく悲鳴を上げてしまった。
振り返るとそこには夜会に出たはずのアルが居て、もうそんなに時間が経っていたことに戸惑ってしまう。いつのまにか、テオドール様とのお話の時間を、少しずつ早く感じてしまっているのだろうか。
「テオがくれるって言うんだからもらおうよ。きっと素晴らしいドレスを用意してくれるさ」
「アル! でも……」
「アルテリアの言うとおりだ。どうか気にせず受け取ってくれ、フィオナ嬢」
「……」
どう返事をしたものかと躊躇ってアルに視線を送れば、満面の笑みで頷かれた。このまま私が断り続けては、話が進まないとも目で語っている。夜会に誘っていただいた上、ドレスまで準備していただくなんて気が引けてしまうけれど、確かに好意を無碍にするわけにもいかない。
「……わかりました、お言葉に甘えさせていただきます」
「よかった。来週、ドレスの採寸に我が家に来てもらうことになるが、詳しい日時については追って連絡させてもらう」
「ありがとうございます。……精一杯、努めさせていただきますね」
やけに楽しそうなアルテリアと、どこかほっとした様子のテオドール様に礼を執って応接室をあとにする。気づけばもうすっかり外は暗くて、半分になった月が庭を照らしていた。来月、また夜会に参加しなければならない。ぎゅう、と胸が締め付けられるような不安が迫ってくる。
大丈夫、きっと大丈夫。月はまだ明るいし、彼は『彼』ではない。もう何年も経っているのに、まだ囚われている自分が、とても嫌い。
フィオナの一人称は心のうちでは「私」で、人と話すときは「わたくし」です。