15 貴女の手を
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当日の朝、家に迎えに来た馬車を見てフィオナは思わず言葉を失った。領地に向かうために作られたというその馬車は見たこともないほど豪奢で大きかった。何人乗りですか、とフィオナが聞くと、テオドールはこともなげに「今日は二人乗りです」と答えた。そういう意味ではなかったのだけど、と思いながらもエスコートされるままに乗り込んだ。
「……揺れない」
「馬車は大きいほど振動が伝わりにくくなるものだろう」
山道を行くのだからもう少し小回りが利く方がいいのではないかとおもっていたが、大きなタイヤのおかげか、それともふかふかのクッションのおかげか、馬車から感じる振動はほとんどなかった。本当に山道を走っているのかと小窓をちらりと覗いてみると、思いのほかスピードが出ていて驚いた。全てが珍しく思えたけれど、あまり内装をきょろきょろと見るのははしたないかと思って、いつものように澄ました顔をしてしまう。
そんなフィオナの様子を窺いながら、テオドールが口を開いた。
「……実は」
「はい」
「……あの本のことだが」
「『ロレンツォ冒険記』ですか?もしかして、読まれたんですか?」
「二巻までだが」
一つ頷く。その本はこれから二人が行く「仇討の丘」を一躍有名にした冒険小説のことだった。二巻にちょうどそのシーンが出てくる。本が好きだという共通点はあれど、テオドールは娯楽小説の類をほとんど読まなかったはずだ。ぱちり、とフィオナが一つ瞬きをする。どこか恥ずかしそうに言うテオドールがかわいらしくて少しだけ笑ってしまった。
「どうでしたか?」
そう聞くと、少し迷った様子で口を開いた。
「面白かった。……が、あれはいったいどの程度が本当の話なんだろうか」
「どの程度、ですか」
「巻末には『事実を基にしたフィクションです』と書いていた。つまりは嘘も含まれているということになる」
大真面目な顔をしているテオドールに、フィオナは眉を下げて苦笑いした。たしかに、そのような記述があることは確かだ。しかし、どの程度の割合で嘘が混じっているかなんて考えたこともなかった。それが本当であれ嘘であれ、物語というものは面白いのだから。
「テオドール様はどう思われますか?」
「え、……8割方は嘘じゃないかと」
「では、2割は本当と言うことですね」
「完璧なフィクションでないというのなら、どこかしらに真実はあるはずだ」
譲歩した結果が2割というわけだ。テオドールはこれまで娯楽小説よりも学術書や指南書、そして詩を好んでいたという。そんな彼がどこが本当でどこが嘘かなんて考えながらあの本に向き合っていたのかと思うとどこかおかしく感じてしまう。フィオナにとっては、本当と嘘の割合なんて重要なことではなかった。
「私は10割嘘でもいいと思っています」
「それでは巻末の記載が嘘になる」
「そう、それも含めて10割ですね」
「……なるほど」
フィオナはそれが屁理屈だとは思ったけれど、テオドールは興味深げに頷いた。学術書や研究所は事実こそが重要になるだろうけど、物語はそうではない。ただ楽しめばいいのだ。空想の上に成り立つ魔法世界や、現実では考えられないようなラブロマンス、かと思えば本当かどうか信じられないような体験記、それらすべてを総称して「娯楽小説」と言うのだ。それらすべてを、フィオナは愛していた。
「あ、ほら、あれじゃないですか?」
窓の外を眺めながらフィオナが声を弾ませる。人がまばらに集まった小高い丘が見えてくる。ご立派な石碑のようなものもたっていて、観光地然としていた。思っていたよりも人が居て、テオドールは自分が思っているよりもあの冒険小説が人気なのだと驚いてしまった。
ゆっくりと馬車が止まろうとスピードを緩めると、嬉しそうに周囲を見渡していたフィオナがすっと姿勢を正した。外にはいくつか馬車が止まっているのが見え、貴族も少なからずいるようだった。
(この人は、いつだって“淑女”らしい)
大好きな冒険物語の名所に来れたことにはしゃいでいたかと思えば、他者から見える可能性のある場所では淑やかに身を正す。その姿を見るにつけ、テオドールは不謹慎にもフィオナが引きこもりがちであったことに感謝せずにはいられなかった。人並みに夜会や集まりに参加していれば、遅からず縁談が舞い込んだことだろう。爵位やその見目ではなく、彼女自身に好意を寄せる者だって現れたはずだ。
(そうならなくてよかったと、浅ましくも思ってしまう)
きっと彼女は苦しんでいたはずだ。テオドールは知らなかったが、幼馴染の婚約者を失い、社交界では行き遅れと呼ばれていると言う。辛くないはずがない。だというのに、今この時までフィオナが誰のものでもないという事実が、どうしても嬉しかった。
馬車が止まると、従者が戸を開けた。テオドールは先に馬車を降りてフィオナを迎える準備をする。ラングレーの家紋の入った馬車が止まったことに、幾人かの貴族は気づいているようだった。そんな状況で、自分が誰かをエスコートする姿は周囲にどう映るだろうか。そんなことを考えながら、ゆっくりと手を伸ばした。
「ありがとうございます」
微笑みながらフィオナがその手を取る。日除けの帽子で影になりながらもそのブロンドの髪が緩い風に揺れた。
今この時、彼女の手を取るのが自分で良かったと、むず痒くも眩しい憧憬に塗れながら、テオドールはフィオナを見つめた。
お互いを慈しむようなそのやりとりを、多くの人々が眺めていた。のちに、これがちょっとした騒動につながることは、まだ誰も知らない。




