12 まだ蕾だけれども
「フィオナ、少しかかるから、応接室に戻っていてちょうだい」
「はい」
公爵夫人とミセス・リジャスに挨拶をしてフィオナは部屋を後にした。
心臓がとくとくとすこし早いリズムで鳴っていた。この感覚を何と言うのか、フィオナは名前を付けられないまますこし早足に階段を降りる。お気に入りの新刊を読んだときとも、おいしい紅茶に出会えたときとも違う。それでも、それが自分にとって悪いものではないということだけはわかった。
「ああ、姉さん、ドレスは決まったの?」
応接室の扉をノックしてから開くと、中にはアルテリアが一人いるだけだった。フィオナはまっすぐアルテリアのもとに向かうと、ソファに座った弟を後ろからぎゅうと抱きしめた。そうしたくて仕方がなかった。何も言わないフィオナにアルテリアも驚いたようだったけれど、それを黙って受け入れる。
それから数分たっぷり抱きしめて、ゆっくりと離れた。アルテリアがフィオナを見上げれば、濡れた瞳が細められ、微笑まれた。その表情にアルテリアは息をのんで、その手を握る。
「アルテリア、ごめんなさい、そして、ありがとう」
少し途切れがちに告げられた謝罪と感謝に、アルテリアは覚えがなかった。否、感謝ならまだわかる。謝罪なんて、と立ち上がる。二人、背が高いアルテリアをフィオナが見上げる形になり、見つめあった。
フィオナは、いつも笑みをたたえた「淑女」だった。しかしその笑みはいつもとは全く違うもので、嬉しそうでいて悲しそうだった。形容し難くも美しいそれにアルテリアはなぜだか泣きそうになった。
「わたし、間違っていたみたい」
「間違えていた……?」
「わたしが受け入れれば、全て収まるって。そこには何のわだかまりもないと、そう」
そこではじめて、アルテリアはフィオナが言わんとしていることを理解した。
「大丈夫よ」と微笑むフィオナを、ずっと近くで見てきた。自分ではどうすることもできないもどかしさと、幼馴染に対する怒りを全部抑えてきた。当のフィオナが「大丈夫」というのだから。母も、父も、皆がもどかしさを心に抱えたままここまできてしまった。
「姉さんは優しすぎるんだ、あんなヤツ、姉さんが結婚する価値もなかった」
「……アル」
「囚われないで。姉さんには、幸せになる権利があるんだ」
くすぐったそうに笑うフィオナの手を握ったまま、アルテリアは数年間ずっといえなかった思いを並べる。自分でも驚くほどに言葉が出てきて、流石に言いすぎだとフィオナが止めるまでしばらく続いた。
「……貴方でも、そんなに怒ることがあるのね」
「当たり前だよ。大事な家族を傷つけられて、怒らない奴はいないさ」
ひとしきり言い切って、満足したアルテリアは、フィオナを引き寄せて抱き締めた。
手を繋ぐのも、抱き締めあうのも、本当に久々だった。大きくなったけれど、やっぱりかわいい弟だわ、とフィオナはアルテリアの背中をぽんぽんと撫でた。あやすようなそれに、可笑しそうに笑って、アルテリアは体を揺らした。ゆっくりと、体を離す。
「姉さんは幸せになれるよ、僕が保証する」
「まあ、頼もしいわね」
「本当だよ」
絶対に、と念を押すようにアルテリアが言えば、フィオナはそれに頷いた。これからきっと、少しずつ前向きになれるかもしれない、そう感じて。
二人が軽口を叩き合っていると、扉のほうからコホン、と小さな咳払いが聞こえた。驚いて振り返ると、そこに居たのはテオドールだった。フィオナは自分が扉を開けっ放しにしていたことに気づいた。恥ずかしさと申し訳なさから、顔を覆いたくなった。
「……入ってもいいだろうか」
「もう入ってるじゃないか、テオ、君ってもしかして空気読めないのかい?」
「なっ、……しばらく外で待っていたが、話は一段落ついたようだから、声をかけたんだ」
「え、聞き耳を立ててたの?」
「違う!」
訝しげな表情を浮かべるアルテリアにテオドールは慌てて声を荒げた。実際、テオドールは二人の話の内容までは聞いていなかった。少し離れたところで待機し、会話が途切れただろうタイミングを窺ってやってきたのだ。もちろんアルテリアもそれはわかっていた。ただ単純に、からかうのが楽しいだけで、疑ってなどいない。
「アル、あまりテオドール様を困らせてはだめよ」
「はあい」
フィオナもまた、アルテリアがテオドールをからかっているだけだと気づいていた。目を見て声を聞けばわかる。間延びしたような返事を聞いて、フィオナは困ったように眉尻を下げた。そしてテオドールに向き直り、一歩前に踏み出した。二人の距離はまだ少しあるけれど、その一歩で、フィオナが自分に何かを言おうとしているだろうことがテオドールにはわかった。
「テオドール様、この度は夜会へお誘いいただいた上に、ドレスまで、……本当になにもかもありがとうございます。わたくし、精一杯努めさせていただきますね」
『精一杯努めさせていただきます』その言葉は、テオドールがフィオナを夜会に誘った夜と同じ言葉だったけれど、全く違って聞こえた。感情を殺したような形式ばった返事ではなく、明るく落ち着いた、受け入れるための言葉に変わっていた。半ば無理やり誘ったようなもので、了承の返事を貰えただけマシだと思っていた。しかし、こんなにも変わるものだろうか。
テオドールは自分が戸惑っていることに気づいた。あのときよりも、ずっとずっと、フィオナに自分の横に立って欲しいと、そう強く思ってしまう。
「……俺も、貴女のパートナーとして恥じないよう、エスコートするつもりだ」
「はい、ありがとうございます」
そう言って微笑むフィオナに、今すぐ自分の想いを伝えてしまいそうになった。このまま全部ぶちまけて、交際を申し込んでしまいたい。しかし、テオドールにそれをさせなかったのはアルテリアの視線だった。まるで咎めるようにフィオナの後ろから目を細め、テオドールを見つめるその姿は、「言うな」と告げていた。
やがて、ドレスの最終確認のためにとフィオナが再度呼ばれるまで少しの沈黙が続いた。フィオナが二人に断って部屋を出ると、ぱたん、と今度こそ応接室の扉は閉まった。
「……君、言うつもりだったろう」
「お前……」
「全く、これだから初心者は。順序ってものを知らないのかい。君に夜会に誘われ、わざわざ家でドレスをオーダーメイドで作らせて、その場で告白? そんなんじゃ断れるものも断れなくなるだろう」
「そんなつもりじゃなかった」
む、と表情を歪めるテオドールにアルテリアは大げさにため息をついてみせた。へたくそ、不器用、いろんな言葉が頭に浮かんだけれど、それを投げつけるのはやめた。仕方ない、彼はこれが初恋なのだから。
「まずは夜会を上手く乗り越えるところからだよ。幸い公爵も公爵夫人も姉さんには好意的だからそこは問題ないけど、……あとは参加者だな」
ラングレー公爵家主催の夜会ともなれば、ローズ伯爵家が開く小さなお茶会とは比較にもならないほど人が訪れる。もちろん、未だに婚約者の居ないテオドールを狙う未婚の女性や娘を宛がいたい貴族もごまんと居るだろう。
「まずは姉さんを守ってくれよ、テオドール」
それが君の仕事だ、とアルテリアは笑った。
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