10 筆頭公爵家
当日の朝、わざわざ迎えに寄越された馬車に乗り込んだフィオナは気が重かった。テオドールからドレスの採寸の日程を告げる手紙を受け取ってから、この日が来るまでずっと緊張や不安で落ち着かなかった。流されるまま安易な気持ちで引き受けたパートナーとしての役割だったけれど、本当に自分で良かったのだろうかという気持ちが拭えないまま、当日を迎えてしまった。
「姉さん、そんなに不安そうな顔しないでよ」
そんなフィオナの様子を見ながら、弟のアルテリアがおかしそうに笑った。手紙には「アルテリアとお越しください」と書いており、二人で馬車に乗っている。一人よりもアルテリアがいる方が確かに気が楽だった。これで一人だったら公爵家にたどり着く前に不安で押しつぶされていたかもしれない、と思う。
テオドールは恐らく、本当にパートナー探しに困ってアルテリアの姉で未婚であるフィオナがちょうどいいと思い声をかけたのだろうが、フィオナからすればそれだけでは済まなかった。筆頭公爵家主催の夜会で、その嫡男のパートナーとして参加することが社交界でどんな噂になるか、『行き遅れ』と言われるフィオナを隣に伴ったテオドールがその場に現れたら皆何を思うか、そんなことばかり考えてしまうのだ。
「あ、あれだよ姉さん」
「あれ?」
「うん、ラングレー公爵家」
アルが指差した窓の外には、大きな屋敷が見えた。フィオナやアルテリアの家よりも遥かに大きく荘厳だった。幼い頃に訪れたことのある、母方の実家も大きかったけれど、それよりも大きいように見えた。今日公爵家に招かれていることは母であるエレノアにも伝えてある。公爵夫人とは古い知り合いらしくよろしく伝えて欲しいと言われている。
(お母様は、どう思ってるのかしら)
坂を登っているのか、少し緩やかになったスピードを感じながらフィオナは小さく息を吐いた。テオドールが家に来ることはもう気にしなくなっていたけれど、フィオナを夜会のパートナーとして選んだことを告げられた時は流石に驚いた。
(『行き遅れ』を公爵家の方々は受け入れてくれるの?)
どんどんと思考が深みにはまっていくことに気がついていたけれど、止めることができなかった。ただ夜会のパートナーに選ばれただけ。そう自分に言い聞かせても、これまでフィオナに向けられてきた言葉は年があがればあがるほどに好意的なものではなくなっていた。公爵夫妻は息子が連れてきたのが年上の行き遅れだと知ったらどんな顔をするのだろうか。
「姉さん、顔上げて」
「……アル」
「姉さんは少し考えすぎる癖があるよね、昔から」
急に何を言い出すのか、とフィオナは首を傾げた。向かいに座っていたアルテリアが、フィオナの隣に座りなおす。まもなく馬車は屋敷に着くだろう。フィオナの冷たくなった手を、温かいアルテリアの手が包む。体温が流れて、少しずつフィオナの手も温かくなっていく。
「僕は昔から、いろんな人に好かれることが多いんだ」
「……そうね、貴方は、明るくて優しいから」
「でもね、だからこそ深く付き合う友人は選んできたつもりだよ」
ぎゅ、とアルテリアが手に力をこめる。幼い頃はよく手を繋いでいたけれど、お互いが大人と呼べるようになってから繋ぐのは初めてかもしれない。いつの間にか、弟の手はこんなにも大きくなっていたのだとフィオナは気づかされた。
「テオは大丈夫、それから公爵夫妻もね。言ったよね、僕はいつもテオの家で飲んでたって。本当にいい人たちだよ、もちろん姉さんのことも知ってるし、酷いことを言うような人たちじゃない」
「……」
「だから安心して。俯かないでさ、どんなドレスにしようか考えよう」
僕は濃いブルーなんていいと思うんだ、と笑うアルテリアはすっかり大人の男性だった。きっとこういうところがたくさんの人を魅了するのね、とフィオナはその手を握り返して、微笑んだ。
「ありがとう、アル、少し元気が出たわ」
「そうこなくっちゃ」
二人で顔を見合わせて笑いあうと、馬車がゆっくりと止まった。そして馬車のドアがノックされる。公爵家に着いたのだ。これからドアを開けるという合図でしかないノックに、返事を待たずにドアが開いた。恭しく従者が礼をする。ドアの前には、テオドールが待っていた。
「フィオナ嬢、それからアルテリア、ようこそ我が屋敷へ」
「本日はお招きありがとうございます、テオドール様」
「ここに来るのはちょっと久しぶりだね」
礼儀正しく挨拶をするフィオナとは対照的にアルテリアはいつものように気安くテオドールに話しかけた。公爵家の人間の前でその態度はどうなのかとフィオナは内心慌ててちらりと迎えてくれた使用人たちを見たけれど、慣れているのか、使用人たちは何事もないようにそれぞれの仕事をしていた。
テオドールに案内される形で屋敷の中に足を踏み入れれば、そのエントランスの荘厳さにもまた驚かされる。いくら経済的に裕福とはいえ、伯爵家であるローズ家とは比較にならない。大丈夫だよ、というようにアルテリアがその背中をぽんぽん、と軽く叩いたと同時に、大きな音を立てて階段の上の扉が開いた。
「まあ、まあまあ! よく来てくれたわフィオナ!」
「どれ、おお、本当だエレノアによく似てるじゃないか!」
その音に驚いたフィオナは、弾かれるように階段の上を見た。扉からは両親と同じくらいの年齢の男女が出てきた。まくし立てるような言葉と同時に、階段を下りてくる二人にテオドールは「母上! 父上!」と諌めるように声を上げた。つまり、彼らこそがこの国の筆頭公爵とその妻であるのだ。アルテリアは慣れたように「お久しぶりです」なんて微笑んでいる。フィオナは慌てて礼を執る。
「ラングレー公爵閣下、公爵夫人、この度はお招きいただきありがとうございます。ローズ伯爵家長女、フィオナ・ローズと申します」
「まあ、礼儀正しいのね、そこはエレノアと似ていないのね」
「母からは、よろしく伝えて欲しい、と言付かっております」
「堅苦しいのはいいわ! 早速ドレスを選びましょう、フィオナは借りるわよ」
言うが早いか、公爵夫人は礼を執るフィオナの手をとり、そのまま階段をあがっていった。慌ててそのあとに着き、足がもつれないように階段を上るフィオナは助けを求めるようにアルテリアを見たけれど、肝心の弟はにこにこと笑顔を絶やさず見送るように手を振っていた。うらぎりもの、と内心泣きそうになりながらも、フィオナは公爵夫人に着いて行くしかなかった。
「よろしくお願いいたします、フィオナ様」
「……! あ、よ、よろしくお願いします」
通された部屋に居たのはドレスのデザイナーだった。物腰が柔らかそうなその女性を、フィオナは一度だけ見たことがある。ミセス・リジャス、この国で一番のデザイナーだった。彼女の作るドレスは美しく、そして誰の目をも魅了する。それ故に予約は一年先まで埋まっていておいそれとドレスを頼めないと聞いたことがある。そんな忙しいミセス・リジャスがフィオナのドレスを作るために来ている。改めて筆頭公爵家という看板の大きさに萎縮してしまう。
「ミセス・リジャス、とびっきりステキなドレスを作ってちょうだい」
「はい、勿論です」
まるで自分のことのように楽しそうにドレスの生地を選び始めた公爵夫人に、今回のお礼を言わなくては、とフィオナが口を開こうとしたところで、公爵夫人がくるりと振り返った。
「未来の“公爵夫人”なんですもの!」
更新頻度が遅く、申し訳ありません。
ですが、見てくださっている方がいらっしゃるようで、とても嬉しいです。
またそんなに間を置かず投稿できるように努力します。
よろしくお願いします。