子泣き爺
“オバリヨン”と呼ばれる妖怪がいる。
この名はどうも「おんぶしてくれ」といったような意味であるらしく、夜中に歩いていると背中におぶさってくるのだそうだ。
こういった特性を聞けば想像できると思うかもしれないが、これは子供の妖怪で、その類、或いは関連があると思われる妖怪は多い。ゴギャ泣きは赤ん坊の声を発する妖怪だが、オバリヨンと同じ様に「負うてくれ」といってくる特性が伝えられているし、スネコスリに近い特性を持つオボという妖怪にもやはり似たような特性がある。その他、ウブメや座敷童などとも関連があるとされる。
この系統の妖怪には「連れて帰ると、財宝だった」といったような富と関連した特性も伝えられているのだが、かつて日本にあった間引き…… 子殺しの風習が関係していると言われてもいる。
もちろん、かつての日本人が好んで子供を殺していたとするのは間違いだろう。当時の食糧生産能力では、子供を育てるのにも限界があり、だから殺さざるを得なかったのだ。
大人達はその負担に耐え切れず、子供達を殺してしまったのだろう。
そして、そう考えて想像をすると、この妖怪は一気に怖くなるとも思う。
……君は夜中、道を歩いている。
他には誰もない、真っ暗な道だ。頼りになるのは月明かりくらい。その月明かりすらも流れて来る雲によって時折、覆い隠されてしまう。
雲が月明かりを遮る度に、辺りは真の闇へと落ちる。
やがて、何度目かの雲が月明かりを封じたところで君はこんな声を聞く。
「オバリヨン」
とても高い質の声だ。しかし、どこか狂気じみている。それは自分を憎んでいるようでもあり、反対に愛しているようでもあり、またまったく何の感情も持っていないようにも思える。
「オバリヨン」
それは君の背中に突然、おぶさってくる。
「ヒッ!」
と、君は小さく悲鳴を上げた。
この感覚を君は覚えている。
そう。
よく覚えている。
君は自分の子供を殺した事があるのだ。その年は凶作で、農作物があまり取れなかった。だから仕方なく殺した。子供という負担を負いきれなかったからだ。
「オバリヨン」
負うてくれ。
無理だ。許してくれ。
君はそう思う。
お前を育てられる余裕など、俺達にはなかったのだ!
だから、殺さざるを得なかったのだ!
許してくれ! 許して……
……或いは、この妖怪の出現には、そういった大人達の後悔と罪の意識が関わっているのかもしれない。
だとすると、その正体が財宝であるケースがある点は興味深いと言えるかもしれない。
子供は確かに負担になるだろう。しかし、子供を育てなくては、人間社会の存続は不可能なのだから。
それは間違いなく富をもたらしてくれる。
或いは、僕らには生物としての特性として、その負担を受け入れる本能があるのかもしれない。
……ただ、
もし仮に、そのオバリヨンの姿が、子供の妖怪であるはずのそれが、高齢者の顔を持っていたならどうなのだろう?
その違和感に少なくとも僕は気持ちの悪さを覚える。或いは、その感情の一部には、「それは負担を引き受けて、養うべき存在ではない」という想いがあるのかもしれない。
生物が生き残る為の仕組みとして、そんな本能のようなものがある可能性を僕は否定し切れない。
どうして、僕がこんな事を長々と語ったのかと言えば、居酒屋で知り合ったある男がこんなことを言ったからだ。
「“子泣き爺”が出るんだよ」
そう言ったその男は既に泥酔状態だった。
僕はそれを聞いて「そんな馬鹿な」と思わず言ってしまった。
男はそう言った僕を酩酊して充血した目で睨みつけて来た。
「んな事を言ったって、出るもんは出るんだからしょーがねーだろうが!」
いやいや、と僕は思う。
子泣き爺は、そもそも民俗学的に伝承されている妖怪ではない。赤ん坊の声を真似て徘徊する老人の噂が、オバリヨンの類の妖怪と混ざり合って誕生したものであるらしい。
だから僕はそう言おうとしたのだ。しかし、男の半ば自棄になっているかのような表情を見て止まった。
「子泣き爺が泣いている。
泣けば泣くほど、重くなる。
その重みにゃ耐え切れぬ。
俺は、一体、どうすりゃいい?」
それから男はそんなよく分からない歌を歌った。多分、即興で作ったんだろう。
そして、僕はその歌を聞きながら、曖昧な記憶を辿り、そこはかとない恐怖感を覚えていた。
男は高齢の父親がいた為、結婚を諦めたと言っていたのだ。父親は男尊女卑の思想を持っていて、女性を無料のお手伝いくらいにしか思っていない。その上、我儘も言うし暴力も振るう。そんな家で一緒に暮らしてくれる女などいないだろう、と。
「もっと早く、逃げていれば良かったかな? でも、あんなに長生きするとは思っていなかったんだよ」
そう言って、自嘲気味に笑う男はとても疲れているように思えた。
介護というのはとても過酷であるらしい。介護をしている人間の実に二割が、自殺を考える、という。
介護負担が原因の家庭内暴力も増えているのだとか……
……もし、オバリヨンの類が、殺してしまった子供に対する後悔や罪の念から生まれた妖怪であるとするのなら、そういった想いを抱えた人間が幻視したものであるとするのなら、子泣き爺を幻視している彼は、一体なにをやったのだろう?
子供の間引きは実際に行われていたが、姥捨て山は実在しなかった。しかし、現代と同じ様な高齢社会が昔の日本にあったのなら、恐ろしい風習が行われていた可能性は大いにあるのではないか?
男はそのうちに、酔いつぶれて寝てしまった。
もしも僕の想像通りの事が行われていたのだとしたら、僕はできるのなら彼を加害者とは呼びたくない。
被害者であると思いたい。
そして、もちろん、彼の父親も被害者なのだ。
――もっと早く、高齢社会に対応した社会体制を、僕らはつくり上げるべきなのじゃないだろうか?