第9話 マシンガン告白の果てに……
アリスのマシンガン告白の提案に少しばかり躊躇したものの、俺は毎時間、支配のぞみのいる場所に赴き、告白をした。
最初は屋上に呼び出さなければできないと思っていた告白も、回数を重ねるたびに、階段から、廊下、グラウンド、教室へと移り、放課後の今では特に何も考えず、出会った瞬間に告白できるようになっていった。慣れとは恐ろしいものだ。
「ごめんなさいです」
支配のぞみに丁寧に頭を下げられた俺は、今日だけで10度目の謝罪を受けていた
薄紫色の髪は、教室の窓から差し込む、夕暮れ時の赤い光に照らされ、藍色に染まっていた。
支配のぞみのクラスメイトは横目で俺たちに注目しながらも、口々に支配のぞみのクラスでの立ち位置を表すかのような言葉を呟きながら、一人また、一人と教室を出て行く。
「また、あの子、告白しているわよ。懲りないわね」「気持ち悪い、でか乳女のどこがいいのかしら」「絶対に、あの変態女の乳目当てだぜ、へへへ」「あははははは、変わり者もいたようね。でも、どうせ、性欲処理の肉便器でしょうよ」「臭い臭い、血なまぐさいわ、気持ち悪くなってしまう」「エッチ……」
数度告白した時点で、俺は何となくだが、支配のぞみの周りからの評価を感じ取っていた。
支配のぞみは周りから避けられているにもかかわらず、笑顔を絶やすことなく一人でいる姿を目撃するたびに、キリリと胸が痛んだ。
アリスが転校してくる前の俺と同じ。
クラスで浮いた存在。
孤独。
やがて、支配のぞみのクラスには、俺と支配のぞみの二人になった。
二人っきり。
支配のぞみは机の上に腰をおろし、興味津々といった瞳で、俺を覗き込むように見つめていた。
「私、友達っていないんです」支配のぞみは静かに語りだした。「クラスでは浮いていますし、いつも一人でいるんです」
支配のぞみが、以前の俺と重なって見えた。
窓から差し込む光は、不揃いの机や椅子、黒板、天井、そして床さえもすべてを赤く染め上げていた。外からはセミの鳴き声が聞こえてくる。
「だからといって、私が不幸せというわけではないんです。幸せは小さなことにどれだけ幸せって感じられるかが大切で、私はアマド君に今日だけで何度も告白されて、今、泣いちゃうくらいすごく、すごく幸せなんです」
支配のぞみの目はかすかに潤んでいた。
「なら、俺と何で付き合わないんだ?」
支配のぞみの気持ちがよくわからず、俺は彼女に付き合わない訳を訊く。
「だって、だって……怖い、ですから」
「怖い?」
「はい」支配のぞみは俯く。「男の人って、付き合うことで、女の人に乱暴をするって本に書いてありました」
かなり偏った内容の本だなと俺は思った。
「あと、付き合うことは、恋愛において終着点に向かう行為で、せっかく私に関心を持ってくれた人に対して、終着点に―――つまり、私……早く終わりに向かってほしくないんです。おいしいケーキをあまりに早く食べてしまうのってもったいないというかなんというか、じっくりと味わいたいんです」
比喩があまりにも抽象的でわかりにくいが、支配のぞみは背反したいくつかの性質を持ち合わせているのだと思った。
つまりは、他人から気味がられるような性質と、ごくまともな性質。
その気味がられる代表的な性質が、異常な記憶力がもたらす会話であり、ごくまっとうな性質が、今のようにゆっくりと関係を結んでいきたいという至極まっとうな性質だった。
それにしても、恋愛が終着点に向かう行為とは、いったいどこの誰が語った言葉なのだろうか?
「Hなことには興味があります。Hなことってどういうことなのか、よく想像もします。キスだって、最近だと、1週間前の夜中に近所の日高中央公園を散歩していたら、街路灯に照らされたベンチに座った、深神経敏感君とレストランさんが抱き合ってキスをしているのを見て、何度、布団の中で、その映像を反芻したことか……」支配のぞみは目を細めて、話し続ける。「敏感君とレストランさんはお互いの舌をからませ、二人とも両腕を蛇のように相手の体に巻きつけ、体を密着させ……」支配のぞみの息が荒くなっているのがわかった。支配のぞみの顔が赤く染まり、汗が浮かび上がっていた。「あの二人の行為が、エッチなDVDの場面と重なってしまって―――あわわわわ」
俺の存在を思い出し、支配のぞみは恥ずかしそうにキュッと口を結んだ。
そして、もう一度「ごめんなさい」と頭を下げて、謝る。
支配のぞみはごく普通の女の子だ。ただ異常な記憶力によって、少しばかりズレている女の子。アリスの事前情報とは大きく食い違っているのだとわかった。
アリスは支配のぞみについてこう言っていた。
「支配のぞみはね、変態だから、押せば何とかなるのよ。あの年頃の女の子は恋愛だとか性だとかに関心があるし、この変態女のように自信のないタイプの女には心理学の観点から言うと、何度も告白することで、『もしかしてこの人、本当に私を幸せにしてくれる白馬の王子様なのかも』って思い込むものなの」
俺はアリスのこの意見に素直に従った。
アリスはまがりなりにも女であり、同時に類まれなくらい読書家だと俺は知っていたから、自信満々に話すアリスの言葉が正しいことだと思ってしまった。
が――――よくよく考えてみると、自分自身に自信がなく、他人をどこかで求めつつも、拒絶しているような女の子が、話したこともほとんどない男子生徒に突然告白されたらどう思うだろうか?
普通なら戸惑ってしまうだろう。さらに、俺は支配のぞみよりも年下である。
俺は支配のぞみに告白した瞬間よりも、今、まさにこの瞬間、それも唐突に、すごく恥ずかしくなった。
度重なる告白。場所を選ばないマシンガン告白。
どうしようもなく恥ずかしい行為を俺はしてしまっていたのではと思った。
「どうしたんですか? アマド君」
支配のぞみはきょとんとした顔をしている。
「いや、別に、何でもないよ。気にしないで……」呼吸は荒く、顔は火が出るほど熱い。世界が揺れているようにも感じた。そして、俺は、今この瞬間に言うべきかどうなのかわからなかったが、こらえきれずに、つい言ってしまった。
「ごめん」
言わずにはいれなかった。
支配のぞみにとっては、俺のこの「ごめん」が何を指すのか、全くわからなかっただろう。何らかの文脈があったわけでもないし、まさに突然、俺の口から発せられた「ごめん」という言葉は、告白をし続けて、迷惑をこうむっていた支配のぞみからしたら、あまりにも今さら感のある言葉だったのだから。
しかし、支配のぞみは優しく言う。
「嬉しかったですよ。こんなにも私に関心を持ってくれて、こんなにも何度も、1日に10回も告白をしてくれる人がいるなんて、初めてです。みんな、告白をしてくれても1回で、私と言葉を交わしたら、お化けでも見たかのような引きつった顔をして、私の前からいなくなってしまったのに……」
支配のぞみは悲しげな声を漏らす。
俺は、改めて思う。
順序が違ったんだ。本来言うべきはこっちのほうだったんだ。
俺の口から、滑らかに次の言葉が発せられる。
「友達からじゃ―――ダメかな?」
ごくごく自然に、言うことができた。だけど、この言葉の方が「好きなんだ。付き合ってくれないかな」と告白することより、何倍も恥ずかしかった。
唇は震え、俯き、拒絶されたらどうしようと、俺は怯える心を固く握りしめる。
「あはっ、あはははは……」
支配のぞみの笑い声が聞こえてきた。
俺は顔を上げ、怯える心を押さえながら、支配のぞみの顔を見た。
支配のぞみの目から、輝かんばかりの涙が、頬を流れ落ちていた。口元を震わせ、両手を胸の前で抱き合わせ、肩を震わせて、支配のぞみは、
「うっうっうっうううううう……あはっ、はははははははは……」
咳を切ったように泣き、そして笑っていた。
どれくらいの時間、支配のぞみの泣き声と笑い声が木霊しただろう。
多分、支配のぞみの泣き声は今まで溜まっていた孤独や寂しさによるものだったのだろう。少し前まで同じ境遇だった俺には何となくわかった。
孤独。
疎外感。
一人ぼっち。
支配のぞみの泣き声はやがておさまり、涙に濡れた顔をぬぐいながら、「嬉しいです。嬉しいです」と言った。
俺は最初から友達になるために動けばよかったのかもしれない。
わざわざ、10回もそれも毎時間、支配のぞみのいる場所に赴き、告白する必要なんてなかったんだ。でも――――
俺はどこかアリスに感謝していた。
結果論かもしれないが、俺はこうして支配のぞみと繋がりを持つことができた。恐らくアリスが背中を押してくれなかったら、自分から告白することなんて人生でなかったかもしれない。アリスが新たな選択肢を与えてくれたことに、俺はすごく感謝していた。
支配のぞみは涙を拭い、幸せそうにボーと俺を見つめていた。
「こんなに、とても幸せな気分は3年前の7月21日、初めておねしょをしなかった時と同じくらい、ホカホカしています」
支配のぞみは中学二年生までおねしょをしていたことを知り、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「では、帰りましょう。一緒に……友達ですから……」
支配のぞみは机の上から飛び降り、スクールバッグを肩にかけ、俺に言った。
―――――その時だった。
まさに、その俺と支配のぞみが一緒に帰ろうとした時、計算通りと言わんばかりに、廊下をアリスが通り過ぎ、偶然、俺に気が付いたかのように、俺に向かって手を振ってきた。そして、俺は手を振り返してもいないにもかかわらず、まるで俺が手を振り返し、アリスを呼んだかのように、俺と支配のぞみの所に、アリスが駆けてきた。
「こんばんは。あなたが支配のぞみさんね」
礼儀正しくアリスが挨拶をする。
「あなたは?」
支配のぞみは記憶からアリスの情報を引き出そうとしているらしかったが、何も出てこなかったようで、言葉に詰まる。
アリスが転校してきてまだ一週間たらず、記憶にないのは当然かもしれない。
「私は、謎めいた―――アリスです。あなたと友達になりたいと思っていたの。どうぞよろしくね」
アリスは右手を差し出した。顔には子供のように無邪気な笑みが浮かんでいた。
支配のぞみはアリスの突然の出現に驚くこともなく、快く握手を交わした。
「こちらこそ。よろしくです。アリスちゃん」
アリスはおそらく、廊下で俺と支配のぞみとのやり取りを聞いていたのだろう。そして、俺が支配のぞみと友達になった道筋を上手に活用し、ここぞと言わんばかりに楽をして友達になった。
これも計算の内だったのか?
一日で二人も友達ができた支配のぞみは嬉しそうに廊下に駆けてゆく。そして、振り向きざまに俺とアリスに言った。
「今日はすごく嬉しい日です。二人もいっぺんに友達ができるなんて!!」
そのはしゃぎようには、微かな淀みもなかった。
アリスの笑顔が、微かに歪んだことに俺は気が付いていた。
打算的な笑み。
アリスが関わろうとする人間の定義は、
――アリスにとって使えると思われる才能があるオスではない人間――
この定義に当てはめると、俺は支配のぞみに対してどこか申し訳ない気持ちになった。
だが、そんなことを知らない支配のぞみは嬉しそうに駆け寄ってきて、突如、俺の腕に抱き付いた。
その突然ともいえる支配のぞみの行動に、アリスは目を見開きびっくりしていた。
「私、男友達が出来たら、従おうと思っていたマイルールがあるんです」
「……へえ~、な、何?」
アリスの険しい視線に、俺は内心ビクビクしていた。
「あのですね……」支配のぞみの胸が俺の腕に当たる。すごく柔らかい。「もちろん、男友達の好きな髪型にすることです!! どんな髪型がいいですか? アマド君!!」
「えっと――――――――――――」
この支配のぞみの提案は、俺が今日1日頑張ったご褒美だと、俺は自分に言い聞かせた。
窓から見える空は紫色に染まり、今日一日が終わろうとしている。
ついていないと思っていた今日が、終わりを迎えようとしている。もう、ついていないなどとは思えない。
「――――ツインテールがいいかな」
俺は支配のぞみに俺の好みを素直に伝えた。