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第3話 ナイフとマンション

「動かないで!!」


 アリスは叫んだ。

 俺は何故、アリスに羽交い絞めされているのかわからなかった。

 アリスの吐く息が首筋にかかり、くすぐたかった。


「どうしたんだ? アリス……」


 心臓の音ははちきれんばかりに高鳴り、汗がカッターシャツを濡らしていた。

 アリスが、ゴクリと唾を飲んだのがわかった。

 続いて、俺の耳元で静かに囁いた。


「今、私はあなたの喉元にナイフを突きつけているの。少しでも動けば、あなたの喉をスッパリと掻っ切って、痛い思いをすることになるわよ」


 アリスの衝撃的な言葉を理解するのに、俺は数秒を要した。


「くくくくく、あなたって愚かな人よね。バカみたいに私のことを信用してついてきたのに、こうして殺されそうになっている。私が《殺人鬼》だとも思いもしなかったの?」


 俺は何も答えることができなかった。


「そうよね。思いもしないわよね。あなたを見た時、私にはすぐに分かった。こいつなら狩れる。こいつなら誰にもばれることなく私の欲望を満たせるって……さて、どう殺そうかしら、単純に刺し殺すってのはつまらないわね。致命傷一歩手前まで傷つけて、声を出せないようにし、土に埋めるってのは、悪くはないわね。あなたはこの深い深い森の奥で、土に埋められ、誰にも気づかれることなく、腐って死んでいくの」


 土の香りが鼻腔をくすぐり、気持ち悪くなった。

 ひんやりとした抑揚のないアリスの言葉が棘のように俺の心に突き刺さり、俺の頬に冷たい汗が零れ落ちる。


 冷水をかけられたかのように熱していた頭が急速に冷え、生々しい呼吸音と寄り添う静寂が俺のすべてとなる。

 人は混乱の臨界点に達した時、体が石のように固まり、微かに声がこぼれるだけなのだと、俺はこの時知った。


「いいわよ、その声。絶望を感じている時の声ね。私が殺した何百もの人間も同じような、助けをこい求めるような声を発していたわ。今、あなたには2つの選択肢がある。今、ここで私に殺されるか、私に従うかのどちらか二つよ」


 実質、選択肢がないに等しかった。


「何で? 俺を……」


 死の間際にいるのにやけに冷静に訊いている自分がおかしかった。

 自分の中にあった高い壁を乗り越えたような気がした。


「へえ~、質問に質問で返すんだ……意外と度胸があって驚いたわ。殺されるかもしれないのに、よくそんなこと聞けたわね。でもその度胸に免じて答えてあげるわ。誰でもよかったのよ。誰でも殺せればよかったの。血に飢えるって感覚がわかるかしら? ヴァンパイアはお腹が減ったら、人間の生き血を吸うでしょ。それと同じように、人を殺したくなったから、私は人を殺すのよ。正直、誰でもよかった、殺せるなら……。けど、私があんなに魅力的な自己紹介をしたにもかかわらず、誰も私に近寄ってこなかった。だから仕方なく、放課後、教室で一人残っていたあなたに声をかけたというわけ」

「そんな理由で、俺を……」


アリスはフッと笑った。「十分よ。十分すぎる理由よ。人を殺すのに多くの理由なんて必要ない。深く関われば情が湧き、躊躇が生まれる。躊躇は『殺したい』という欲求を押し殺し葛藤を生むだけ。なら、よく知らない相手を殺すのが一番いいのよ」アリスの自信に満ちた言葉にはやけに説得力があった。「で、アマドはどちらを選ぶ? 私に殺されるか、私に従うか、どっち?」

「――――従い、ます」


 別に死ぬことが怖かったわけじゃない。何度も死にたいと思ったことがあった。

 だけど、同時に生きていたら、もしかしたらいいことがあるんじゃないかと思えたりもした。


 人生は長い。長いと思いたい。そして、長いと信じたい。


 俺はたぶん戦争で死ぬだろう。


 どんな死に方かはわからない。少なくともそれはまだ一年は先のこと。

 俺にとっては遠い未来だ。


 アリスは俺の言葉を聞いて静かに笑い、「なら、歩いて……」と言う。


 俺はアルスに羽交い絞めされながらも歩いた。

 アリスのスカートが時々足に絡まったが転ぶことなく歩いた。

 喉にはひんやりしたナイフの切先が突きつけられていたが、不思議と、俺の喉を裂くことはなかった。


 100メートルも歩いていないだろう。


 オレンジ色の光が目に入ってきた。

 光がはっきりとしてくると、目の前にはマンションがそびえ立っていた。


 外見は普通のマンションに見えた。

 ただ上の階ほど階段状の段々になっており、ベランダの広い作りになっていた。

 駐輪場もなければ、駐車場もない。

 階数を数えると、13階だった。

 マンションのエントランス上部には、『洞窟へようこそ』と銀色の文字で記されていた。

 おかしなマンション名だ。


 エントランスに足を踏み入れると、アリスは俺への羽交い絞めを解いた。


「ふう~疲れたわ」


 アリスは額の汗をぬぐい、スカートをバタバタし、中に風を送っていた。


 俺は肩をまわし、振り返り、アリスの顔を見た瞬間、ゲッと思ってしまった。


 アリスの目には暗視ゴーグルがつけられていたのだ。さらに、ゴーグルに髪がかからないように、前髪ごとまとめて、黒リボンで髪をまとめていた。


「ん?どうしたの?」俺の視線にアリスは気がつく。「ああ、これ? これをつけるとね、暗闇でもはっきりと物が見えるのよ」アリスが暗視ゴーグルを外すと、目の周りにはくっきりとした跡が残っていた。「にしても暑いわね。興奮したのかしら……」


 アリスは髪を束ねていたリボンをほどき、首を左右に振る。

 目を凝らすと、アリスの顔は大量の汗で濡れていた。だが、アリスの顔を濡らしている大量の汗よりも俺が引きつけられたのは、アリスがシャープペンシルを手に持っていたことだった。

 ナイフはどこへいったのだろうか?


「さあ、一大イベントもすんだことだし、行きましょうか?」


 アリスはシャープペンシルを胸ポケットに刺し、マンションに入っていた。


 両開きの自動扉の先には、銀色に輝く両開きの扉がもう一つ設置され、監視カメラが俺とアリスをとらえていた。


「この扉はね。弾丸すら通さないんだから……」


 扉脇に設置された機械にアリスがカードを通すと、扉が開いた。


 ホールの中央には、噴水が流れ落ちていた。噴水周囲にはソファーが並べらえれており、ホール全体をぐるりと見まわすと、すみには花がいけられていた。いい香りがするわけだ。

 アリスはホール最奥のエレベーターの前に立つ。脇の機械に、同様のカードを通すと、エレベーターのドアが開いた。


「このカードがこのマンションの鍵なのよ。このカードさえあれば、マンションのどの階にもいけるし、どの部屋にも入れるの」


 アリスが俺に掲げたカードは、銀色をしていた。

 キラカードに混じっていたら、見分けがつかないだろう。


 アリスに続いて、俺はエレベータに乗り込んだ。

 階数表示ボタンは13個あり、アリスは迷うことなく13のボタンを押した。


 ドアが閉まるとともに、わずかばかりGを下に感じた。

 俺とアリスの間の沈黙に入り込む。


 俺はエレベータの壁に、ぼんやりと反射する自分の姿を見つめながら考えた。

 こうして、素直にマンションに入ったのはいいが、アリスの隙をついて逃げると言う選択肢もあったんじゃいのか? なのに、俺は逃げ場もないエレベーターに乗り、アリスと共に最上階に向かっているなんて、何を考えているんだ。


 自分の不器用で真面目な性格が憎らしくなった。しかし、そのドロドロした感情は、すぐにスッと消えていった。


 あのどうしようもなくわがままでビッチな姉のもとで15年も生きてきたために、諦めることに慣れていたためかもしれない。

 人生にはどうしようもないこともある。


 エレベーターは上昇してゆく。


「俺を殺すのか? たまたま隣の席になっただけで……」


 ふと、アリスに訊いてしまった。


「殺さないわよ」


 アリスは壁に寄りかかり、腕を組みながら、天井を見つめていた。


「なら、俺はお前に従い、何をすればいいんだ? どうせ、お前の考えている仕事を終えたら、俺を殺すんだろ」

「大丈夫よ。仕事は永遠に続くから安心しなさい」


 永遠に続く仕事? 一体、どんな仕事なのだろうか?

 ぞぞぞ、という恐怖を感じた。


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