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第2話 俺の名前は、北アマド

 アリスは、ずいぶん長い期間、空席であった俺の隣の席をあてがわれた。


 アリスと友達になる最高のチャンス到来ではあったものの、入学して以来、ほとんど会話という会話をしたことがない俺にとって、アリスとの1メートルに満たないこの距離は、とほうもない距離に感じた。


 しかし、躊躇すればするほど、友達になる機会を逸してしまうと俺には分かっていた。

 あれほどインパクトの強い自己紹介をしたアリスに、クラスメイトが興味を持たないはずはない。

 もしアリスに友達ができれば、俺がアリスと友達になるのは、より困難になる。

 躊躇している暇などないのだ。


 と、意気込んではみたものの……さて、どうしたものか? 

 …………、

 ……、

 そう言えば、アリスの自己紹介って、俺がした自己紹介と同じくらいインパクトがあったよな。


 俺は新学期早々にした自分の自己紹介を思い出す。

 アリス同様に教壇脇に立ち、クラスメイトの一人、また一人と自己紹介していった。あの時は、入学したてということもあり、みな緊張した面持ちをしていた。

 そして、自己紹介は俺の番になった。


 俺は制服のポケットに片手を突っ込み、伏し目がちに、震える声を押し殺して自己紹介した。

  ――――「うへっ、趣味は、知らね~よ。特技? もちろんなし。好きなタイプ? 女なら誰でもOK、ていうか、穴があれば誰でも……あ、それを言えば、男でもいいのか。将来の夢は、神になること。えっと、最後にみんなへの一言は、俺についてこい!! 以上!!」――――


 自己紹介の終わりには、床に唾を吐いてやった。

 もちろん、放課後、雑巾で綺麗に拭いたが。


 あれは完璧な自己紹介だったはず。

 なのに、俺は中学同様にぼっちになっていた。


 離れ小島のような窓際一番後ろの席に座り、誰にも話しかけられることなく、誰かと目が合えば、すぐさま視線を逸らされる始末。

 女子生徒が―――呪われる、どうしよう―――と友人に耳打ちしているのを聞いた時は正直、ショックだった。


 やはり、慢性的な睡眠不足のせいで、目の下にできているクマがいけないのかもしれない。

 そのせいで怖がられているのかも……。


 考えれば、考えるほど、何故俺に友達がいないのか理解できなかった。

 同じ考えを堂々巡りし、気が付くといつも、何時間も経っていた。

 今日の授業はすべて終わっていた。


 窓から射し込む、オレンジ色の光が教室を染め上げていた。机と椅子だけが、俺に静かに寄り添っていた。クラスメイトは、すでに教室にはいない。カラスの鳴き声がやけに胸に響いた。


 考えすぎて、今回も結局、行動ができなかったか……。

 転校生が隣の席になるという最高のシチュエーションを用意されても、何もできなかった。

 なんと、臆病なのだろうか。


 窓の外を見下ろすと、グラウンドでは部活動にいそしむ生徒たちが目に入って来た。

 ボールを追いかけまわしていた。

 いまさら部活に入るのもな。


 部活動に入れば否が応でも他人と関わる必要がある。

 特に入りたい部活がなかった俺は冒険の匂いがしたワンダーフォーゲル部に入部した。しかし、入ってみて唖然としたことに、部員は俺一人しかおらず、入部してそうそう部長になってしまったのだ(もちろんすでに幽霊部員)。


 いったい何がしたいんだろうな、俺。

 小さくため息を一つつく。


「どうしてため息をついているの?」


 透き通った声が隣から聞こえてきた。


「あ……うえ?」


 ぼんやりした意識の中、声がした方を見ると、隣の席に座ったアリスが俺を見つめていた。

 寝ぼけた意識が一気に覚醒する。


 アリスは、興味津々といった目で俺を下から覗きこむように見つめていた


「ねえ、どうしてため息をついているの?」


 アリスはもう一度同じ言葉を繰り返す。


「えっ、えっ、えっ……」あまりに久しぶりに姉以外の人と話をしたことから、俺は言葉がすんなりと出てこなかった。クラスには俺だけだと思っていたが、どうやらアリスはずっと俺の隣にいたらしい。気が付かなかった。「い、いや、その~、そう言った気分だったから……」


 何とか言葉を出す。

 声が濁っている。咳ばらいをしたいくらいだった。


「ふ~ん」アリスは口をとがらせて、何かを考えているようだった。差し込む夕日がアリスの体に陰影を作り、絵画のような不思議な魅力を醸し出している。アリスは、背筋を伸ばし、天井を仰ぎながら、「そうよね。夕時って、夜が来るから、少しばかり暗い気分にさせられるもんね。闇はどこか不気味で死を連想させられるから……」


 アリスの言葉の意味は分からなかったが、俺は頷く。

 アリスはニコリと笑った。そして、学生鞄を持って、立ち上がる。


「じゃあ、行きましょうか?」

「ん? どこに?」


 あまりに突然の言葉に俺は動揺した。


「どこにって、そりゃあ、面白いところよ。わからないの?」


 あまりに友好的な言葉に俺は何も言うことができなかった。ただアリスの言葉に従い、スクールバッグを肩にかけ、教室を出て行くアリスに付いていくことしかできなかった。


 廊下を歩き、階段を下り、下駄箱で靴を履き替え、校舎を出ると、闇が世界を覆い始めていた。電信棒に灯るライトの白い光がアスファルトへと落ちており、部活動をいそしんでいた生徒たちが部室へときり上げていく。


 俺はアリスの後ろを早足でついていった。


「どこに行くんですか?」


 敬語になってしまう。


 自信を持った足取りで歩くアリスは、「いいわね。あなた、気に入ったわ。そう言った言葉使いはルイスに似ているから、なおいいわ」

「ルイス?」


 知らない名前が出てきた。


「ええ……あっ、これは言ってはいけないんだったかしら……まあいいわね」アリスは独り言のように呟く。「執事のルイスよ。彼があなたに似ているの。いえ、あなたが彼に似ているのかしら……まあどっちでもいいわね。どっちでも一緒よ」


 アーチ型の校門をくぐり抜け、左に折れる。

 横を、何台も自転車が通り過ぎた。

 道の右側には、桜の木がたち並んでいた。春にはピンク色の花びらをつけていたのだが、今は緑色の葉を茂らせている。

 入学当初、期待と不安に満ち溢れた気持ちでこの道を歩いたのが懐かしい。今の気持ちはその時に近い。


「で、今から、どこに行くんですか?」

 

 俺は、もう一度アリスに尋ねる。


「ああ、今から私の家に行くのよ。あなたを招待したいと思っているの。そう言えば、あなた、名前はなんていうの?」


 大通りに出る。道沿いには商店がたち並び、帰宅途中のサラリーマンや、夕食の買い出しに来ている主婦、学生などごった返しになっていた。


「俺は……」自分の名前が忘れてしまうも、すぐに思い出す。「アマド……俺の名前は、北 アマド」


 切れ切れになりながらも、何とか自分の名前を言えた。


「へえ~、アマドていうんだ。ゴキブリやナメクジくらい変な名前ね」

 

 酷いことを言われたようだが、俺の耳に入っては来なかった。それよりも、何故、俺がアリスの家に招待されたのかについて考えを巡らせていた。

 たまたま席が隣になっただけで、家に招待しようとするだろうか?。

 もしや俺が、ぼっちだったからか?

 それで、俺に共感して……いやいや、むしろぼっちでいる俺なら、簡単に誘えると思ったのでは?

 もしや、もしや、アリスは――――俺を狩るつもりなのでは?


 そうだ。自己紹介の時に言っていたじゃないか、趣味は人間狩りだと。


 約30万人が生活している日高町では、毎日1000人以上が亡くなっていた。

 事故であったり、殺人であったり、寿命だったりもするのだが、死は極めて日常的なものであった。


 殺人だって、普通に行われているし、銃声だってしばしば耳にする。

 運がいいことに、俺はまだ死の危機に瀕するような事件には遭遇したことがない。

 だから、実感がわかないのだ。死が寄り添っていると……。


 ……考えすぎだ、アホらし。


 俺はアリスが殺人鬼なのでは?という考えをすぐに捨てた。


 気が付くと、人通りが多い繁華街から、細い道に入っていた。赤い鳥居がそびえる神社の横を通り過ぎ、森林におおわれた砂利道に入った。


 そこは人を通ることを想定していない道だった。まったくといっていいほど人通りはない。


 闇が深くなってゆく。

 周囲は木々で覆われ、セミの鳴き声がやけに耳に付き、濃厚な植物の香りが鼻をつく。


「ほ、本当にこの道で合っているのか?」

「ええ、もう少しよ」


 アリスは確かな足取りで歩いてゆく。枯葉を踏む音が不気味に響いている。闇がさらに深くなり、前を歩くアリスの黒い影だけを頼りに俺はついてゆく。


「おい、まだかよ」


 心なしか俺の声は震えていた。恐怖が、俺の言葉使いを普段通りにする。


「もう少し……」


 砂利道に入ってから、すでに10分は経過していた。

 実際はもっと短かったかもしれない。


 俺はアリスに同じことをもう何度訊いただろうか? おそらく10度は訊いていたと思う。


「おい、まだなのかよ?」


 アリスからの返答がなかった。


 もう周囲は何も見えなかった。

 俺は宇宙のあの深い闇の中に放り出されてしまったかのような孤独感を抱いていた。


「おい、アリス!!」


 俺は叫んだ。

 だが、やはりアリスからの返答はなかった。


 暗闇の中、両手を伸ばし、情けない格好で手探りしながら、歩いてゆく。


 まさか俺を置いて行ってしまったんじゃあ……いや、さっきまで返事をしていたのに急に返事を返さなくなったんだから……俺に返事をするのが煩わしくなったのか?


 引き返すこともできたが、俺はバカの一つ覚えのように、歩を進めた。


 アリスの返事がなくなってから、1分。

 いや、俺にはもっと長い時間に感じられた。


「アリス!! 返事ををしろよ!!」


 もう一度、叫んだ。


「何?」


 真後ろから、アリスの声が聞こえてきた。


「アリス!!」


 アリスの返事が聞けた嬉しさのあまり、俺はアリスを抱きしめようとしてしまった。

 が――――俺は振り返るよりも先に、アリスは後ろから俺を抱きしめた。


 アリスは俺の両脇に腕を入れ、羽交い絞めをする。

 両腕をロックされた俺は身動きが取れなくなった。


 アリスの長い髪が俺の頬に撫で、背中にはアリスの胸が当たっていたと思う。

 それくらいまでに、俺とアリスは密着していた。

 

 そして

 ひんやりとした《何か》を喉元に感じた。先が尖った鋭利な《何かが》俺の喉元に食い込んでいた。


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