第13話 ライフルと儀式
《ライフル》がアリスの言うところの仲間に加わったことを知ったのは、俺が悲惨なテスト結果を突きつけられた、その日のことだった。
俺はテストについて気にするつもりはないと思ってはいたものの、テストが直接人生の方向性を決めつけるという現実も、まあ感じてはいた。
なので、心の痛みを癒すために、すべての授業が終わった後に、グラウンド脇に設置されたベンチで一人寝転がり、空を仰いでいた。
クラブ活動にいそしむ生徒たちの声を耳にしながら、俺は藍色に染まりつつある空を見ながら、悲惨なテスト結果を記した紙を開いた。
数学41点、科学52点、言語学20点、国語34点、現代社会16点、世界史18点、計600満点中、181点――3割も取れていない。
忙しさのあまり勉強ができなかったと言い訳をしたいところだが、勉強ができなかったわけではない。あえて、しなかったのだ。
俺たちは将来何になるかが決まっている。
―――戦争のための兵士。
その現実からは、いくら努力しても逃れられない。
例え、勉強をしたところで配属先が微妙に変わるだけだ。
前衛か後衛くらいの差でしかない。
なら、何故勉強をするのか?
限られた未来しか用意されていないのに。
―――そんなことは俺にはわからない。
わからないからこそ、俺は勉強をしなかった。
本当に不器用だ。不器用にしか生きることができない。
「あっ!! いたいた」
甲高い、元気な声が聞こえてきた。
声を耳にした瞬間、誰だかわかった。
アリスだ。
ただ、グラウンドを歩く足音の数がいつもよりも多い気がした。
俺はベンチから起き上がると、アリスと支配と、もう一人、小柄な女子生徒が俺のもとに歩み寄ってきていた。
身長は130㎝前後、髪は灰色、表情は乏しい。というかほぼ無表情。
季節外れの冬服、もちろん、スカートも長い。
俺は彼女が誰だかすぐに分かった。
ライフルという名の女子生徒。クラスは一年E組。ちなみに、俺とアリスは一年A組。
ここ最近、アリスがロックオンをして、仲間に加えるためにいろいろと作戦を練っていた女子生徒である。
俺は支配の時とは違い、仲間に加えるための、アリスの言うところの『作戦』に乗り気にはなれなかった。というのも支配の時に、散々告白をさせられた苦い記憶があるので、仲間に加える『作戦』に簡単に参加する気にはなれなかった。
さらに、言うと、ちょうどその時期はテスト期間ということもあり、俺なりの葛藤を抱えていたこともあり、アリスには「テストがあるからな」と言い、俺は参加を断っていた。
アリスは支配がいるからだと思うが、さほど俺を強引に誘わなかった。ただ、
「男の癖に、テスト程度でびくびくして、情けないわね」と言った言葉は毎日のように俺に吐き捨てられた。
俺は地面に視線を落し、憂鬱な気分でアリスの言葉を待った。
しかし、アリスは言葉を発するよりも前に、俺が握っていたテスト結果の紙を奪い取った。
「お、おい!!」
という俺の叫びむなしく、アリスはしげしげと俺のテスト結果を見る。興味津々と言った様子で、支配も横から俺のテスト結果を覗いていた。
ライフルは全く興味なさそうに、表情の乏しいぼんやりした目を地面に落としていた。
「何よ、この点数は!! 勉強してこの程度なの?」
「しょうがないだろ。山が外れたんだからな」俺は言い訳をする。もちろん山などは張っていない。勉強自体していないのだ。「なら、お前はどうだったんだよ」
俺の言葉を待っていましたと言わんばかりに、アリスは腰に手を置き、「そんなの決まっているわ。100点ばっかりだったわよ。当然でしょ。科学100点、言語学100点、現代社会100点、世界史100点……」
反論する言葉を一瞬、俺は失ってしまうが、アリスのテスト結果は限定的だと俺には分かっていた。「なら、数学や国語はどうだったんだよ」
「は? そんな教科は私の辞書にはないわよ。必要ないのよ。必要ないから点数がどうであろうが、私には関係ないわ」
アリスが数学や、国語が苦手だと俺は知っていた。
アリスの言葉で言うと、「数学を見ると目が痛くなるの。それに数字で世界を理解するのはナンセンスだわ。だから、できなくても、私は何も感じないの。数的不感症なのよ」と言っていた。その癖、科学が得意なのは意味不明だった。科学も数字を扱うのに。
加えて、アリスが国語を苦手なのは、相手の心情が読めないためだと、自信満々に俺のテストの結果を、依然バカにしているアリスを見ながら思った。これもアリスふうに言うと「相手の心なんて知らなくていいの。私は私がしたいことだけ満たせれば十分なの。相手は私の願望をかなえるロボットみたいなもの。一生懸命と私のために労働すればいいのよ」といったとこか。
「―――それで、何の用なんだよ」
「相変わらず、鈍感な男ね。そんなもの、いつもと違うメンバーがここに一人いるんだから、私がどんな用で、どんな思いで、ここに来たかくらい想像できるでしょ」
テスト結果同様に馬鹿なんだから、とアリスは付け加えた。
硬式ボールを打つ甲高い音が響いた。
「つまりは、彼女を俺に紹介するためだと……」
俺はひざ下まである長いスカートをいじくっているライフルを見る。
「へえ~、意外と察しがいいじゃない。アマドのくせに……驚いたわ」
バカにしている。
「嬉しいでしょ。ロリコンのアマドにとって、ストライクゾーンど真ん中の小さな体をした、ライフルをわざわざ紹介してあげたんだから」
ライフルはアリスの言葉を聞いていないかのように、ぼんやりとした顔をしていた。
何を考えているのか全く分からない。
感情が現れない顔。
「もう、ライフルちゃん、すごくドキドキの趣味をしているんですよ。私、ドキドキしすぎて、もう刺激的で、もっと、ライフルちゃんの言うところの儀式をしたくらいです」
支配は楽しそう、ツインテールを揺らしながら言う。
「儀式って?」
俺の疑問にアリスが答えてくれる。
「ああ、この子、仲間に加わるためには儀式が必要だと言ったの。それも一対一でないと嫌だとか……そうすることで、たぶん、深いところが理解できるのね。つまりはあれよ。裸をさらけあって腹心の友になるってやつよ。だから、もう、私と支配は儀式をすましたから、後はアマドだけ……そのために、わざわざ、アマドを探していたのよ。感謝しなさいよ」
裸をさらけ出すって、俺は男なのだが……。
ライフルはぺこりと頭だけ小さく下げた。
相変わらず無表情だった。
そんなこんなな理由で、俺はライフルの望む儀式を行うために、ライフルと二人きりになった。
アリスと支配は儀式の内容を語ることもなく、どこかへ行ってしまった。
俺はライフルの後ろを、自転車を引きながらついていった。
校門を出ると、いつもとは逆方向に折れた。
右側には、垣根越しに校舎がそびえ、左側には、色をおとした並木が連なっている。並木の向こう側に見えるグラウンドには、部活動で汗を流していたすで生徒はおらず、ただひんやりとした広大な平面が広がっている。
「で、どこに行くんだ?」
自転車の車輪からこぼれる、カラカラという音が響く。
車幅灯だけを灯した車が、横を通り過ぎた。
「私の家に行きます」
初めて聞いたライフルの声は、体に似つかわしくないほど大人びたものだった。
「そこで、儀式をするんだ」
「はい」
ちょうど100メートル程歩いたところで、古びたアパートに着いた。
木造の二階建てアパートだった。
一階と二階に3戸ずつしかない小さなアパートで、手入れも行き届いていないのか、外壁には、所々ヒビが入っていた。
どの部屋も雨戸が閉め切られており、住人がいるのかさだかではない。
俺はライフルに続いて階段を上り、廊下の突き当たり、一番奥にある201号室に俺は通された。
1Kのこじんまりしたその部屋に入って、まず目に飛び込んできたのは。畳中央に置かれた布団だった。
部屋全体の印象は無機質。部屋は住んでいる人間の内面を表すというが、そこで、ライフルが生活していると言われれば、納得しただろう。
アリスの夢見の部屋同様に、畳の上には制服や、雑誌やら、ごみやらが雑然と散らかっていた。ただ、不思議と掃除をしたくてしょうがないといった衝動がアリスの部屋ほど生じなかった。
散らかっているのが、部屋にあっていたからかもしれない。
俺は靴を脱ぎ、畳をあがると、すぐ左手にワンボックスの冷蔵庫が置いてあった。冷蔵庫の脇にはキッチンが据えられていた。
錆が浮いたシンクには、皿が四つとコップが二つ、水の張った洗い桶に浸されていた。コンロには元が何色かわからないような黒く変色した鍋が一つだけ置かれていた。
最低限の生活臭しかしない。
ライフルはゆっくりとした足取りで、キッチンの前に行き、コップを洗い、水道水を注ぎこんだ。
「で、ここで、何の儀式をするんだ?」
俺は、壁に掛けられた制服から、畳の上に脱ぎ捨てられた制服へと、視線を移しながら言う。
二着の制服。
ライフルは俺の言葉に何か言うわけでもなく、足音ひとつ立てることなく静かに、布団の前の小さなスペースに正座した。
ライフルの向かいに、一人分だけ座るスペースがある。
無言で俺にここに座れと言っている―――ような気がした。
俺は何も言われるわけでもなく、そこに座った。
ライフルは俺が座るのを見ると、俺の気のせいかもしれないが、少しだけ表情を変化させた。それは、二枚のライフルの顔写真を並べても、わからないほど小さな変化だった。
「で、ここで、何の儀式をするんだ?」
俺はもう一度訊く。
相変わらず、ライフルは何も答えない。
窓から射し込む夕陽が、壁を赤く染め上げていた。部屋の明かりをつけていないため、
部屋は少しずつ薄暗くなる。
ライフルは窓からぼんやりと外を見ていた。
俺はライフルが振る舞ってくれた水道水を飲みながら、ライフルが口を開くのを待った。
沈黙には慣れている。長い期間、思い出せないくらい長い時間、誰とも言葉を交わすことなく、学校では沈黙と寄りそいあいながら、生きてきた。
だから、ライフルの沈黙に対して、それほど苦痛を感じずに待つことができた。
「夕日が綺麗です」
ライフルの声には、どこか哀しみが含まれている。
けど、相変わらず表情は無表情。いや、心なし目が細まっている。
「ああ、夕日が綺麗だな」
太陽は西の空で真っ赤に輝いていた。
空気の流れや淀みを表現しているかのように、太陽は空に赤い光を滲ませていた。
「世界はすごく綺麗です。なんて美しい世界なんでしょう」
まるで、死を間近に控えた人間のセリフだ。
「夕日が好きなのか?」
「好きです。なんか、切ない気持ちにさせてくれます」
「そうか……」俺は言う。「で、どんな、儀式をするんだ?」
ライフルにやっと俺の言葉が届いたのか、じっと見つめられる。
その瞳は髪の色とは違い黒色で、どこまでも澄んでいた。他人と目を合わせるのが苦手な俺でも、不思議と目をそらさずにいることができた。
視線を合わせること10秒、やっとライフルが口を開く。
「お話をしようかと思って……」
「どんな?」
「なんでもいいんです。それだけで、私には十分ですから……」
「そうか、なら……」俺は畳の上で開かれた雑誌に目を移した。部屋の隅にも、雑誌が山積みになっている。そこから、ライフルのある傾向を見て取れた。「武器とかに興味があるの?」
俺の言葉に、ライフルの体はビクリと跳ねた。
目を見開き、口元に笑みを描き、頬を赤らめ、待っていましたと言わんばかりに、せきを切ったようにライフルは突如、話し始めた。
「はい、私、ものすごく武器が好きなんです!! もう好きで、好きでたまらないんです。あのですね、この本を見てくださいよ、アマドさん」ライフルは雑誌の一つを手に取り、俺に見せてくれた。その表紙には『過去の兵器大辞典』という名のタイトルがつけられていた。「昔の兵器を見て、時代の流れを感じて、ここ最近、正確には三日ほど、すごくわくわくドキドキ、楽しんでいたんです。精巧さや、重量感、質感、反動、爆音……ん~~~~~、想像しただけでもたまらないです。あ、それにですね、私、こう言っちゃなんですが、武器を扱うのも大好きなんです。特にマシンガンタイプが好きで……あの見かけといい、弾丸が途切れなく飛び出す射撃音だとか―――もう最高です!」
ライフルの言葉は留まることを知らず、あまりにもマニアックな話に突っ走り、俺は話しについていくことができず、頷くことしかできなかった。
頷く。頷く。頷く。頷く。
およそ30分、ライフルが話し続けただろう。そして、思い出したみたいに、ライフルは立ち上がり、「アマドさんに、私のコレクションを見てもらいましょう」と言い、押入れを開けた。
そして、押し入れの中には―――、
武器の数々が、隙間なくおさめられていた。
目につくものだけで、ハンドガンX333、マシンガンC777、グレネードランチャーZD232、デザートイーグル、ベレット、さらに段ボール箱には、手りゅう弾や、何らかのガス弾、ショットガンの弾丸などが収められていた。
どれも一時代昔の武器だった。
「どうしたんですか?」
ライフルは俺の表情の変化に気がつく。手にはハンドガンX333を握っていた。
今から、戦争でも行く気なのだろうか? にしても、こんな昔の武器では全く戦力にならないけれど。
「本当は、マシンガンC777を打ちたいんですが、もう時間が時間ですから、ハンドガンC333だけで済ませておきます。銃を手にしてしまうと、全弾打たないと気が済まなくなりますから……」
とのっぺりとした声で言い、銃口をためらいうことなく―――俺に向けた。
窓の外から聞こえる蝉の鳴き音が、部屋の静寂さと対照的で、耳に響いた。
ゴクリと唾を飲み込んだ。
長さ30センチほどの銃身をしたハンドガンC333の黒光りする銃口は、確かに俺の額に照準が合わせていた。
まさに額の中心に。
「痛いと思いますか?」
ライフルは抑揚のない声で言う。
どういった意味だろうか? 本当に俺を撃つつもりなのだろうか?
「……痛いんじゃないのかな」
俺の声が裏返る。
「いえ、痛いですよ。本当に痛いんです。でも、痛みは多く教義教訓を教えてくれます。さらに、生きている実感も抱かせてくれます。世界を照らす夕焼けが素晴らしいものだと、生々しいくらいに教えてくれます。つきつけてくれます」
ライフルは親指で安全措置を下げる。
人差し指はトリガーにそえられ、
「……生きていたいですか?」
ライフルは目を細め、口角を上げ、幸せそうに、実に幸せそうに笑った。
生きていたいかどうか訊かれて、俺はすぐに答えることができなかった。
未来が見えない。どう生きたいのかもわからない。またどう生きられるのかもわからない。
少なくとも俺の未来は混とんとしていた。
闇しか見えない。
それも、深く深く、どうしようもなく濃く沈殿した闇。
「どうして、答えないんですか?」
「……わからない」
俺は銃口を額の中心に向けられてもなお、どうしようもないほどの恐怖にかられることがなかった。
それはおよそ一か月前、アリスが転校してきたその日、暗闇の中、『洞穴に続く道』の道中で、アリスに後ろから抱きつかれ、シャーペンシルの先を、ナイフの切っ先だといい、喉元に突きつけられたあの時と同じように、どこか頭は冷水をかけられた時のように、はっきりとし、クリアーだった。
ライフルが俺を撃たないとわかっていたわけではない、ただ、どうしようもないくらいに生きることに執着がなかったためなのかもしれない。
「アマドさんは、なんか私に似ています」ライフルは、スッと目を細める。「生きることに執着していないんです。でも、しかし、それは死というものが実感できていないだけで、私とは違います。死がどこか、違った世界の出来事のようで、自分には降りかからないと思っているだけで、ただ、何となく、惰性に、今を生きているだけなんです」
「そう、かもな……」
「はい……」ライフルは笑顔をこぼす。「私は今こうして銃をアマドさんに向けています。今すぐに殺すことができます。少しだけ人差し指に力を込めるだけで、アマドさんは額を撃ち抜かれ、簡単に死んでしまいます。でも、しません。できないわけじゃありません。あえてしないんです」
「そうか……」
「はい」
ライフルは俺の額から銃口をずらし、窓を開けた。
開けた窓から、新鮮な空気が入り込み、俺は詰まった息を吐き出した。
「見ていてください、アマドさん」
ベランダの柵の向こう側、多数の瓦屋根の上に走っている電線に止まった鳥たちに向かって、ライフルは―――ハンドガンX333を放った。
轟く銃声。計7発。
最初の一発で、一羽が地面に向かって落下し、電線に止まった鳥たちが一斉に飛び立った。それから、ほぼ一拍おいて、ライフルは続けざまに6発撃ち込んだ。
さらに、三羽落下してゆく。
薬莢がカラカラと音をたてて、畳に転がった。
「残念です、三発も外しました。薬が切れたのかもしれません」
畳に落ちた薬莢に交じり、薬が入っていただろうPTP包装がいくつも落ちていた。
ライフルは窓を閉め、ハンドガンの銃弾を装てんして、押し入れに無造作にしまった。押し入れの扉を閉め、俺の前に再び、正座で座る。
「世界は残酷で、冷たいです。やらないと、やられてしまいます」
ライフルは平坦な声で言う。水道水の入ったコップを両手で抱きしめるように持ち、おいしそうに水を飲む。
世界が危険なのは知っている。だが、実感がわかない。
身近に死が寄り添っていると、どうしても感じないのだ。




