0-0 男は空を飛んだ
17/11/04 第三者なのか主人公なのか視点がばらばらだったので統一するために大幅に修正しました。
『恐怖の魅力に酔いうる者は強者のみである』
これはフランスの詩人ボードレールが残した言葉だ。
「恐怖」それは一般的に忌避すべきものである。
一番わかりやすい例が拳銃の銃口を突き付けられた時だろう。
持っている株が大暴落した時、連帯保証人の相手が逃げたと知らされた時、就活の役員面接当日に寝坊して起きた時など、人は様々な場面で恐怖に遭遇する。
人の一生で一度も恐怖を感じることがなかった者などいない。
そして恐怖を感じた瞬間、後悔する。
あの時売り抜けておくべきだった、あいつを信用すべきじゃなかった、もっと早く寝ておけば良かった。
望ましくない未来から目を背けて過去にとらわれる。
それが普通だ。
決して歓迎すべき物ではないはずだ。
では「恐怖の魅力」とは何か。
金か。
興奮か。
未知か。
それとも死か。
・・・
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~~~ SIDE ??? ~~~
「おい恭也!そんなぽっと出の奴なんかに負けんじゃねーぞ。」
「任せとけ。金の使い道でも考えながら気楽に待ってろよ。」
恭也と呼ばれた若者は自分を応援してくれる仲間たちに威勢の良い言葉を告げ、勢いよく車に乗り込んだ。
都内から50キロほど離れたこの場所は、関東では珍しいほどの綺麗な海があり、夏場には多くの海水浴客で賑わう。
近くには海の打ち付けにより大きくえぐれた崖があり、立ち入り禁止とされているが釣り人には関係がなかった。
だからなのだろうと浜辺を管理する地元の組合は考えていた。
身分不詳の水死体がたびたび打ち上げられる原因は。
時刻は午前3時10分前。
季節は冬に差し掛かろうとしている頃で、海から冷たく強い風が吹いている。
しかし、多くの場所で賑わっていた。
集まった人の目的は海ではない。
多くのギャラリーと車に囲まれるように停まっている2台の車だ。
今から始まるのはヤクザ主催のチキンゲーム。
あらかじめ引かれた白いラインを目指して車を動かし、より崖先に近いところで停車させたほうが勝ちという単純な度胸試しゲームである。
ただし非合法組織の代表であるヤクザが主催者なだけに勝者への報酬は破格だ。
1ゲーム勝つごとに1千万、2連勝すれば3千万手に入る。
時給換算でこれ以上の仕事?は世の中に存在しないだろう。
しかしヤクザ達にはこれでも大きな収入源となる。
破格の参加料と賭けの胴元。
富裕層の暇つぶしとして開催するだけで毎回1億円以上を売り上げていた。
敗者への制裁も苛烈だ。
ロシアに飛ばして蟹工船の船員にさせる、南米に飛ばして麻薬の製造をさせる。
死んでもかまわない人間の使い道なんていくらでもある。
「俺はこの手の勝負は何度もやってきて崖から海に飛び込んだ馬鹿も見たことがある。悪いこと言わねーから早めにブレーキを踏むことをお勧めするぜ、あれは悲惨だ。大丈夫だ、さすがに奴らも無意味にお前を殺したりはしないだろーよ。」
恭也は今時珍しい手回し式のサイドウィンドウを開け、もう一台の車に向かって助言をしているようだ。
相手は聞こえているのかいないのか、恭也に帰ってくる反応はなかった。
恭也は大きく舌打ちし、運転座席に戻っていった。その直後に2台の車のライトが照らす中高級そうな黒のスーツを着た男が姿を現す。
「これよりゲームを始める。見えないかもしれないがこの先には崖があり、その100メートル手前に白線が引いてある。白線手前で停車もしくは崖を飛び越えた者は敗者、崖とラインの間で停車させ且つ相手よりも崖側に停まった者を勝者とする。また、アクセルとブレーキはベタ踏みしか認められずそれ以外の行為が発見された場合には敗者とする。どうせばれないだろうと思ってやってみてもいいが、そんな馬鹿を見逃したことは一度もないためやめたほうがいいとだけ言っておく。今日はギャラリーの方々がいつもより多く来られているため、白熱した勝負を期待する。それではカウントダウンを始める。」
スーツの男はルールを足早に説明しさっそく両腕を高く上げてカウントダウンを唱え始めた。
恭也は余裕綽綽な様子、一方の乗り手の表情からは何の感情も伺い知れない。
「5!」
2台の車がブォンブォンとエンジンをふかしながら今か今かとカウントダウンを待つ。
「4!3!2!1!」
スーツ姿の男は一定のリズムで数字を刻む。
そしてすべての指が折られ、腕が振り下ろされた。
「0!」
2台の車が崖目指して爆進する。
両者ヘッドライトが照らすわずかな範囲に神経を研ぎすませながらデコボコした道とは呼べない場所を登っていく。
差はほとんどない。お互いにアクセル全開のようだ。
・
・・
3時ちょうどのスタートから30秒が経過した。
白線はまだ見えない。
300メートルくらい先かもしれないし、20メートル先かもしれない。
いつ訪れるとも分からないタイミングに全神経を研ぎ澄ませながら2台は並走を続ける。
このチキンレース、過去10回行われているのだが、実は勝者が出たことは一度もない。
皆途中でアクセルを緩めるか、崖下に落下するかの2択を選ぶ。
それはなぜか?
実は計算上、最高速度(仮に一般的なタコメータの上限値180km/h)で走らせた場合に100メートルで停めることは不可能なのだ。
まず、車にブレーキをかけ始めて停止するまでにかかる距離は「空走距離」と「制動距離」の合計で表される。
「空走距離」とは白線に気づいてからブレーキを踏んで、ブレーキがかかり始めるまでの距離、制動距離」とはブレーキが利き始めてから完全に停止するまでの距離を示す。
「空走距離」は反応速度、車速依存のもので最小に縮めたとしても10m程かかる。
「制動距離」は車速と路面摩擦係数で計算される。車速は180km/hとして、摩擦係数はどう見積もっても0.5以上はないだろう。
この条件下での制動距離は『255メートル』となる。
タイヤの消耗具合や、ブレーキを踏んでから効き始めるまでの時間をも考慮するなら300mでぎりぎりだろう。
つまり、理論上勝者になる者は永遠に現れない。
この事実に気づかない馬鹿は崖を飛び越えて海にダイブし、気づいたものはアクセルの踏み込みを浅くして停まる。
もちろんアクセルを緩めるなんてことは許されるはずがない。
アクセル全開かブレーキ全開の2択しか許されていないからだ。
10秒ほどたった頃だろうか、並走していた一方の車が遅れ始めた。
恭也の車だ。
もちろん全く同じ状況など99%ありえない為何らかの要因が働いて遅れることもあるだろうが、恭也は開始当初の表情からは考えられないほど顔から血の気が失せていた。
極度の緊張状態に耐えられなかったのか、それとも勝てないことに気づいたのか。
恭也が以前行ったと言ったのはブラフだ。
所詮チンピラの一人である恭也に命を懸ける勝負事など早々できるものではなく、それを乗り越えるだけの技量と精神力もない。
借金まみれの生活に蜘蛛の糸をつかむ気持ちで飛び込んだ今日の勝負掛け。
頭の中では「死にたくない」以外のことが考えられなくなっていた。
途端白線ラインがライトに照らされて姿を現した。
それを見て恭也の車は白線から少し先に行ったところで停車した。
もちろん敗者だ。
崖から飛び降りたとしてもほぼほぼ死は免れない。
逃げたとしても逃走防止用に取り付けられた爆弾が起爆するだろう。
ヤクザに捕まった方が生の確率が高い、そんな考えで恭也は生き延びられることに安堵してしまっていた。
生より死を願う事になるとも知らずに・・・。
一方の車はスピードを緩めることなくラインを超えた車は、案の定勢いよく崖から飛び出した。
ただ、今までとは違い急ブレーキ特有の甲高い音がしない。
つまり、ラインを越えてもアクセル全開だった。
男ははなからブレーキを踏む気がなかったのだ。
男が望んだことはただ一つ。
死への恐怖だった。
満足そうな笑みを浮かべた男を乗せた車は、暗く冷たい海に消えていった。