07. 逃亡
奇術師改め、料理人チャップは満足していた。己の思い付きと半ば興味で始まった街が、順調に機能している。そして、その拘りは引き継がれ、住人によって進化している。
チャップは聖人では無い。避難民達はきっかけでしかなく、街づくりをしたのは善意によるものでは無い。興味が湧いたのだ。
彫刻家として己の作品の中を人々が行き来するという事。そこに独自の文化が芽生え特別な事が起こったら、素晴らしいのではないか? そうした興味から、街が存続していく術を考える、見た目だけで不便な街など、直ぐに廃墟となりかねない。あれこれやっていると夢中になっていた。料理を教え水周りも拘りを持って取り組んだ。その全ては誰であろう自分の為である。
単純な話、やりたいようにやったら皆喜んだというだけの事であり、恩に着せようなどとは全く思っていない。
腹も欲も満たされ、現在は寛いでいるところだ。
この後は、デザートで締めて、5階の何れかに宿泊。明日、魔獣の戦利品を売り、その足で街の工房でも覗いて見るか。しかし、大陸会議とやらが終わるまでは、王国領内を出ていた方が賢明か……そんな風な事を考えながらチャップは、他の2人に目を向ける。
ビガロは満足そうに口元を拭うと、目を閉じた。おそらくは先程の夜光石に浮かぶ街の様子でも、思い出しているのだろうと思われる。
一方ベヘルドは、何故か苦笑いを浮かべていた。正面に座るビガロと上座に座るチャップ、その間を抜けるように視線を定めたまま。
「あはは、チャップ、さっきの話。【真眼】を持つ奴のことなんだけどさ、一応有名な奴は調べたり、俺も気を付けてるんだぜ。でもさ、世の中にはあり得ない偶然もある訳よ」
唐突なベヘルドの言動に、チャップは直ぐに察した。
「くく、なるほど……いるのか? その手の奴が」
「ああ、こっち見てる」
「ふむ、知ってる奴か?」
「ああ、リベルタスの勇者だ。悪魔に取っては問答無用で厄介な奴だ、直ぐに斬りかかってくる……げ、笑った!」
「ふむ、店を荒らされるのは困るな」
ベヘルドは平静を保ちつつも、口角が引きつっている。その視線は徐々に近づく足音へと貼り付けたまま。
チャップは、ビガロの空になった皿を、左手でその顔に押し付けた。目を閉じたままニコニコしていたビガロは「ぶぇ」と静かに鳴いた。同じ様に自らの顔も皿で覆う。
「お前が奇術師だな、トカゲの悪魔……」
そう言いながら、腰に下げた剣を抜いていく勇者、その瞳の奥は既に燃えていた。
アレスタにとって悪魔とは、醜悪な悪意の塊であり、毒であり、一刻も早く滅しなければならない敵である。そして、それは場所を問わない。
「俺が奇術師? 何でだよ」
「こんな街を作れる者が、奇術師とやらが、人間である訳が無い。であれば悪魔以外考えられん」
「俺が奇術師だという理由になってねぇよ!」
「うるさい! 悪魔は斬る!」
アレスタはベヘルドの前に立つと、抜き身の剣を振り上げた。そこへ慌てて女が駆け寄って来る。
「アレスタ! ちょっと待ってよ、黙って勝手に進めないで、説明してよ」
「サアラ、こいつは悪魔。それで良いだろ」
「いやいや、こんな場所でいきなりはちょっと……捕縛するとかさ。それに他の2人は何なのかとか、聞きなさいよ」
アレスタを宥めるサアラが、ビガロとチャップを指差した。
2人は共に仮面を付けており、素顔が分からない。悪魔と知らずに、食事を共にしていた可能性はある、だがこの仮面は何なのだろう。
「貴方達は、この男が悪魔だと知っていたの?」
「え、えと……」
「うむ、知っている」
あわあわして言い淀むビガロに代わり、チャップはハッキリと告げた。それを聞いたアレスタに、一層剣呑さが増す。
「貴様……人間だろうと、悪魔に与する輩は同罪だという事、解っていないようだな」
「同罪? このトカゲは何かしたのか?」
「トカゲは悪魔だ! 悪魔は罪だ!」
「ふむ、悪魔は罪か……俺は逆に考える。罪が悪魔を生んだのだと。
要は悪魔は人間の罪から生まれ、重過ぎる罪を肩代わりする存在であり、その存在故に人間は人間として正しくあろうとする。言わば反面教師でもあるのだと」
「な、何という愚かな!」
激昂するアレスタは、チャップに詰め寄り今にも斬りかからんとするが、チャップは尚も続ける。
「因みに悪魔とは司る罪等を持つらしいが、悪魔を罪の生みの親とするならば、悪魔が死ねば罪も消えるという事か?」
「その通りだ! 人間を堕落させる悪魔を斬れば、罪たる欲望も消える。いつの日か全ての悪魔を討ち払い、人間を欲望から解き放つのだ」
「な、何という愚かしさ!」
今度はチャップが驚愕する。人間から欲望を取り去る。それは最早人間では無く、生ける屍に他ならない。おそらくは早々に絶滅を迎えるであろう。
そこへサアラが割って入った。
「違うの、アレスタはなんて言うか、偶に凄く真っ直ぐになるの。真っ直ぐ過ぎて思ってもない事を口走ったり、色々と可笑しな事になるの」
「サアラ! 馬鹿な事を言うな! それにそんな事を悪魔に言うなんてどうかしている」
「ふむ、俺も悪魔なのか?」
「悪魔の仲間は悪魔だろ!」
「その真眼に俺はどう映る?」
「悪魔だ!」
「どの様な?」
「人の皮を被った悪魔だ!」
「重症だな」
その一言を切っ掛けに、チャップは卓に右手を触れる。すると、卓がフワリと浮かび上がった。
突然卓が浮かび上がるという現象、それは誰しも初見であり、万人が唖然とする物である。例に漏れず、アレスタとサアラも目の前に浮いた卓をギョッと見上げる。
しかし例外はいた、チャップにはそれが可能であると知る者達、何度も奇術を目にした者達。つまり、ベヘルドとビガロである。
椅子に座ったままのチャップを見て、ベヘルドが直ぐに動いた。おろおろするビガロと荷物を脇に掻き抱き、チャップの椅子の裏に取り付く。
卓は、皆の視線を集めながら、何事もなかった様に元の位置に戻った。呆然とそれを見届ける周囲。しかしアレスタとサアラだけは咄嗟にチャップ達に視線を戻そうとした。
だが、卓が戻るや否や、チャップの椅子が抑圧された火山噴火の如く飛び立つ。しがみ付いたベヘルドは強烈な力に振り落とされまいと必死であり、ビガロは声にならない悲鳴をあげる。チャップの腰には、いつの間にやら安全棒が付いており、1人余裕で足を組む。
突然起こった事態に混乱しつつ、アレスタとサアラは振り向いた。僅かに開いた店の扉の隙間、そこを抜ける空飛ぶ椅子。そこからは何枚かの硬貨が零れ落ちる。理解は追い付かないが、何とか後を追うべく駆け出した。
何と言っていいか判らなかった。卓が浮いて、椅子が飛んだ。……どうやって?
店を飛び出した2人は、振り返っている人々を目印に後を追う。どうやら更に上へと逃げたようである。果たしてあんな物を捕まえられるのだろうか? だが追う以外の選択肢は無い。おそらくは、いや間違いなくあれは奇術師である。そんな確信が2人にはあった。
一方5階通路を突き進む空飛ぶ椅子。チャップは腕を組んだまま、右手の指先の微かな動きで舵をとる。
5階には、広々と贅沢な部屋が自慢の宿が立ち並び、テラスからの雄大な眺めも自慢であった。この時間、自室でワイン等を傾ける物も多かろう。
ふとそこに閃きを得たチャップは、更に屋上を目指す。
「店の人間や貴族連中を驚かせてしまったからな、これを全て余興としてしまおう! ベヘルド、戦利品の袋を貸せ」
チャップは、ベヘルドの手から袋を受けると、そこから魔獣の角や牙を取り出した。
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アレスタとサアラは屋上へと辿り着くと、周囲の様子を伺う。白の月が出ている為、比較的明るい夜であり、屋上の様子もよく見える。
屋上で目に付くのは、巨大な箱群と、幾多もの小屋。微かな鳴き声が聴こえる事から、鳥の小屋なのであろう。箱群に付いては、判然としない。だが、今はどうでも良い。奇術師である。何処ぞに潜んでいるのか、それとも既に街の外か? アレスタが耳を澄まし、気配を探る。すると、サアラが何かに気付き、叫んだ。
「アレスタ! あそこ!」
サアラが指差す方へ向くと、上空に浮かぶ影があった。5つの塔の中心に近い上空、もぞもぞと動いているように見える。
「ダメだね、全然届かない。というかさ、あれどうなってる訳? 何で浮いてるの? 見えない羽でも付いてるのかな」
「さぁな、だが判った。おそらくあの白い服が奇術師だ。悪魔に奇術師に……よくわからん女。これだけ情報があれば逃げ切れまい」
「いや、どうかな。仲間にトカゲが居て、女が居る。追加情報としてはこれ位じゃない? 仮面付けてたし」
アレスタが怒りの視野狭窄に陥っていると、浮かんでいた影は火を噴いた。火はどうやらトカゲが噴いているらしく、奇術師がそれに何かを近付ける。そして、火の着いた何かを夜空に放り投げた。
1番最初に放った物が、大きな音と共に爆発した、すると大量の火花が空に舞う。
奇術師達が、次から次へと同様に放ると、それは立て続けに起こり、夜空に無数の光の花を咲かせる。
大きな音を伴う爆発に、皆何事かと表に飛び出す。その目に飛び込んでくるのは、夜空に咲く大輪の火花。
危険を覚えた者達は隠れ潜むが、地に伝う衝撃や物が瓦解する様子も無く、どうやら被害を伴う物ではないと判断し、恐る恐る外に出て来る。
その後も夜空には大輪の花が舞い続けた。次第にそれらに魅入られた人々は、黙ってしまう。そして、その光景が脳裏に焼き付く。
「す、凄いわね……」
サアラも人々と同様に魅了されていた。それと同時に、この光景を作り出した奇術師とは一体何者なのか、本当に人間なのか、何故王国は敵に回しているのか。様々な疑問が駆け巡っていた。
だがアレスタは違った。その瞳には一層強く炎が猛っている。
「あれは、放っておいては絶対に駄目だ。人心を惑わす我等の敵だ。その証拠に悪魔の肩を持つような奴だ。奴は危険過ぎる」
花火が上空に伸びて行き、暫くすると収まった。すると、地上から凄まじい歓声が湧いた。奇術師の街は、その名の通りの印象を皆に刻みつけるのであった。