67. それぞれの空間にて
3部構成で5000字程度です。
宜しくお願いします。
マガツはサイラスを連れ、教会の前に居た。
「なぁ、そろそろ教えてくれよ。ここに来た訳を」
マガツは扉を開け放ちつつ、応じる。
「教会には加護があり、司祭はグリムの睡眠から免れたらしい」
「ほぉ」
教会内部はその多くが白で統一され、ガラス窓の色鮮やかさが目を惹く。所謂ステンドグラスである。
それらが齎すものなのか、それとも場所柄なのか、教会は静謐で厳かな雰囲気を湛えていた。
「天界が教会を指定し魔除けを施しているのか、または人々の祈りが魔除けとして機能しているのか。いずれにせよ、ここが悪魔に対して有効なのは確かだ」
そのほとんどが眠りの中にある街において、マガツの歩みが殊更「コツコツ」と響くと、サイラスは若干居心地悪そうにその後に続く。
「どなたですか?」
奥から声が掛かり、次いで全身に白を纏った男が現れた。それはホムンド大陸における信徒の服装。おそらくそれこそが司祭なのだろう。
「我々は明日の決闘に臨む者であり、少し頼み事があって来た」
「頼み事とは天に対してでしょうか? つまりは必勝祈願という事ですか?」
【聖魔大戦】の後、信徒の数は減少傾向にあるらしく、それは大陸における『祈り』の減少を意味し、つまりは天界が弱体化している事を意味する。
故に神聖国ハイラーンを始めとする敬虔な信徒達は、現在その復興の為より精力的であると言えた。
因みに、黒の法は破壊を齎すという特性故に、平和な時を経て衰退の憂き目にあったものだが、人の活性を促す白の法においては、教会を中心に広く普及し続けていた。
「必勝祈願か……ある意味そうとも言える」
マガツは正面に立つ彫像を見上げた。それは一目で天使とわかるものであり、翼を広げ胸を抱いている。
造形はやや甘い様に見受けられるが、そこからは歴史と確かな神性を感じる。
「この天使像、譲って貰えないか?」
マガツは唐突に持ち掛けた。
「そ、それは無理です」
「勿論タダでとは言わないのだが……」
「お金ではありません」
勿論その様な反応が返ってくる事は予想していた。
「だが悪魔との闘いにおいて、神性を宿した物はより有効な手段となる」
「しかし……」
「負けてしまえば、この像に限らず全てを失ってしまう……どうだろう?」
司祭は頭を抱えた。自身の中で、揺るぎない信仰心と現実として差し迫る事態がせめぎ合っているのだろう。
「ちなみにこの彫像の製作者も敬虔な信徒なのだろうか?」
「……それは判りませんが、神聖国の職人ではあるようです」
「ふむ。では俺が代わりを作れば良いと言う簡単な話でもないか……」
司祭は大いに悩む。そこは流石のマガツであっても理解し尊重する。急かす様な真似など出来よう筈もない。
暇を持て余したサイラスが、長椅子に身をよこたえて暫く経った頃、司祭はその顔を上げると、些かくたびれた様な表情を見せた。
「……国とその民を守る為ならば、天も許して下さる事でしょう」
「そうか、助かる」
マガツは像へと歩み寄ると、それに両手で触れ、目を閉じる。
「お、何か始まるのか?」
それは全くの初めての試み。そこに宿った神性、つまりは『祈り』を散らしたくはない。
「神性を留める教会の内部において、天使像はより一層の密度を有していた。しかし何も特殊な素材などは使われていない様子……」
天使の像を細かな無数の光が包んでゆく。
「思いが物質に作用する世界……逆もまた然り。形もそれに即したものであれば、尚良いと考えられる。ならば、それそのものも信仰の対象となる様な……」
天使像たる光は、ゆっくりとその形を変え始めた。
「奇術師であり、彫刻家でもあると……改めて恐れ入るな」
サイラスがチラリと見やる先では、司祭が凝視したままに顎を落とし硬直している。
「慣れって怖いねぇ」
マガツにしては随分と時間を掛けたそれは、完成と共に光から解放されると、元々の像が立っていた台座へと突き立った。
「大分縮んだな。剣か? にしても随分とでかい部類だな……」
それは細部まで装飾を施された、傍目にも神々しい大きな剣。天使や神と思しきものが象られた『聖剣』とも呼べそうなそれは、豪奢であり、美しさと気品をも兼ね備えていた。
「おそらくは、対魔武装とはこういう物を言うのだろう」
「奇術師は鍛治師でもあったという訳か?」
剣を眺めながら、やや呆れた様にサイラスが口にした。
「次はお前の物を試してみよう」
マガツはそう言うと、多種多様が収められたサイラス専用ホルスターを取り出した。
そこへ、剣同様に意匠を施してゆく。
「ここには祈りが満ちているからな」
その言葉にサイラスは周囲を見回した。だが特段得られる物は無かったらしく、無言で己の首筋を掻くに留まる。
「元々威力などには重点を置いていないが、これは念の為だ。祈りが定着してくれれば少しは底上げにもなるだろう」
神の御業とも見紛う現象を経て、天使像は何とも神々しい『聖剣』として生まれ変わった。そして司祭は未だ目を離せずにいる。
「それらを明日までここで保管してもらいたいのだが——」
司祭は一にも二にも無く、繰り返し大きく頷いた。
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真っ白な空間において、イヴァラは大きな男を見つけると、その場へ駆け寄る。
人々の間を縫って次第に見え始めたその足下では、給仕服を纏った少女がこちらに手を振る。
「イヴァラおかえり!」
「ただいまニーナ」
イヴァラは少女の頭を撫でようとして、そこが夢の中であった事を思い出す。
「して、どうだった?」
目印でもあった大男たるロダンが、イヴァラへと尋ねる。
「やはりラトリス様はおられない」
「そうか」
「良かったぁ!」
それは無秩序な空間を何度も往復確認し、ようやくイヴァラ自身の納得を経た結論であった。
「なら姫様は一晩中起きていたという事か?」
「どうでしょうか? まぁ何にせよ、不幸中の幸いですね」
ロダンの疑問に、見習い騎士然とした若者クラークがそう口にする。すると、元来無気力なランツが、珍しく自ら口を開いた。
「向こうにはマガツもいる。いざとなれば姫様位簡単に逃がすだろ」
「ビガロちゃんも!」
「あーはいはい」
それらを横目に、ランツ、サイラスと共にこの地へとやって来た女は、今改めて思う事を口にする。
「……何で私らここに居んだろ?」
「……マガツの所為だろ」
「私ら、ただの裏町のチンピラの筈でしょ? これはどういった展開な訳?」
シロンの言葉に、ランツがフッと息を漏らした。それに対しシロンは肘で小突こうとしたが、この空間において接触は適わない。
「……何が可笑しいのよ?」
「サイラスなんか悪魔と決闘だぞ。可笑しいだろ」
シロンは、帝国側のロダンとクラークを見やり問い掛ける。
「本当にサイラスなんかで良かったの? マガツは勇者にするとか言ってるけど、実際あれはただのチンピラだよ?」
すると二人は顔を見合わせ、再びシロンへ向き直ると、それぞれに肩を竦めて見せた。
「俺には判らん。だが陛下が了承なさり、我等が姉さんと重鎮たる先代も頷いた。ならそれが勝つ為の最善なんだろ?」
「奇術師殿をかっておられますから。その御仁の推薦なさる方ならばという事なのでしょう。それに何やら策があるようでしたし」
潔いと言うか、従順と言うか……シロンは呆れた顔でランツへと首を振る。
「俺は今だに悪い冗談だと思ってる」
「そうよ。……でもまぁ、変人の策が嵌る事を祈るしか無いでしょうね」
同じく夢の中、シロン達ともそう離れていない場所において、ドールマンは真剣な様子で目を瞑っていた。
そこで想い描くのは、椅子に腰掛け眠る自らの姿。腕は腕、足は足、首は首。夢と現実を重ね合わせ、存在するはずの感覚を探る。
(現実の肉体を動かす事は出来ないものか)
その際に椅子から落ちるなりすれば、その衝撃が切っ掛けとなり、もしかしたら覚醒に繋がるかもしれない。
現状を打破すべく、持て余した時間でドールマンは足掻いていた。
しかし……
「無駄な努力ご苦労様です。はい」
それを見透かすかの様に、グリムの声が響いた。
「五月蝿いのが動き出したか……」
空中を漂う悪魔は、動かなくなったかと思えば、時折思い出した様に活発になり、煽る様に悪態を吐く。
そんな悪魔に対し、一部は辟易し、別の人々は恐怖に駆られ、また他では罵声が張り上がる。
唯一全ての人々に共通するものは、膨れ上がっていく、この悪魔に対する“恨み”である。
「グリム」
ヴェルフリードが口を開いた。
「はいはい何でしょうか? 眠れる長よ」
「……我々は行く末を左右する決闘を見れないのか? 」
「ふむ、これは失念しておりました。流石は皇帝。人を使うのが上手い」
ヴェルフリードは意にも介さず、そのやり取りを通して悪魔を観察し続ける。
「では準備致しましょう」
グリムが宙を漂うままに再び動かなくなるが、ヴェルフリードはそれから目を離さない。
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ベヘルドは黒い暴風が吹き荒れる世界にて、先程まで瞼を吊り上げていた天使に詰め寄られていた。しかもその背後には大天使を名乗る存在。
「黒蜥蜴! 貴様もこいつの仲間なのだろう!」
アルメレルの言う「黒蜥蜴」は、今のベヘルドを見たままの言葉であり、現在はより本質に近い悪魔体となっていた。
「馬鹿な事を言うな! 俺が“これ”の仲間? 誰のおかげでここに落ちたと思ってやがる!」
ベヘルドのそれは正しく難癖であった。
「そんな事は知らん」
「二人とも落ち着いて。アルメレル、私は何?」
「『愛』と『調和』を司る大天使であらせられる、マイナエル様です」
アルメレルが跪くと、マイナエルはそこに手を翳し頷いた。
「そう『調和』なのです」
(はいはい、勝手にやっててくれ……にしてもかなり不味いな)
ベヘルドは周囲の光景とその現状に頭を悩ます。
『おやおや……』
不意に何処からともなく、声が鳴り響く。
『面白い物が掛かっていますね、はい』
大きく辺りを見回し、それらしい者が居ないか探るが見当たらない。一方で二人の天使は空を見上げていた。
ベヘルドもそれに倣い空を見上げれば、黒い暴風の向こうに何か……どころでは無かった。それは空を覆う程の巨大な存在。それがまるでガラスに顔を擦り付ける様にしてこちら側を覗いていた。
「誰だよあんた! そういうのは俺の専売特許だぞ!」
驚楽の悪魔は、見知らぬ相手の不意打ちに膝を叩き悔しがった。
『まったく……同じ悪魔でありながらここへ落ちるとは、嘆かわしい事です』
唸り声を上げるベヘルドを制し、マイナエルが空へ問い掛ける。
「貴方は何者なのですか? そしてここは何処なのでしょう?」
空の者は口元を大きく歪め嘲ると、次いで溢れ落ちそうな巨大な眼球を三人の下方へと向ける。
『私はグリムと申します。夢の支配者といったところでしょうか』
「こいつが……」
『そしてそこはストゥルの夢の中……の更に奥。今は私が押し込めている意識の中』
地獄の釜を開けた様な光景。そこでは、怨念たる集合体が不細工な柱を形作り、一様に空を目指している様にも見える。
『女……かね……クイモノ……』
「随分と欲深い連中だな。まぁいいや、それよりもここから出してくれ!」
ベヘルドの言葉に、グリムは溜息を零した。
『残念ながら無理です。何故ならばそこは“魂の牢獄”。落ちたら最期、それらと溶け合う他に行き着く未来などありません。はい』
ベヘルドはグリムに向かって大きな火球を吐き出した。が、それは黒い暴風の前において、ともし火にすらならない。
『しかし寂しがる事はありません。直ぐに沢山のお仲間が訪れるでしょう』
「……それはどういう意味だ」
『くふふ、そのままの意味です。……おっと、こちらではまた別のお客様の様です。忙しくなって来ましたね。それでは御三方、御機嫌よう』
グリムの告げた終焉に、常人ならば動揺せずにはいられない状況。しかし、そこにいるのは使命の遂行を至上とする天使。
「ルミリエール様にお伝えせねば」
アルメレルは成すべき事を成すだけと、淡々とした面持ちでその手を翳した。