66. 捜索する者共
5構成で文量は普段の1.5倍程です。
よろしくお願いします。
『商団明星』の代表を務める少年ハンザ。彼は自身に降りかかる度重なる不幸に対し、それ以上に周囲の人々に助けられて来た過去がある。ハンザはそれを自覚し、常日頃から感謝を忘れない。
そしてそれはいつしか、自身も人の助けになれればという考えを生み、今回トレノ親子を帝国まで運ぶという選択に到った。
「しかしこれは一体……」
帝国領の西門にて、ハンザが呟く。
そこは同業者や旅人、様々な人々でごった返していた。
「余程の事があったんだろうな、とにかく通しちゃくれねぇよ」
道端で横になった見知らぬ男が、ぶっきらぼうに告げた。それを以って更なる前方を見れば、現在帝国領への入り口が閉ざされている事が判る。
「どうしようか……」
「顔馴染みの兵士がいるんだ。話を聞いてみよう」
ハンザは一人の兵士を捕まえると、状況について尋ねた。
「詳しい事は言えないが、【ベルーガ】で問題が起きてな。現状フリーデンの民以外は通せない事になった。これは皆の為でもあるんだ」
「問題ですか……しかしそれは帝都のみなのでしょう?」
「……正確には【ベルーガ】を“中心に”だ。だからやはり通せない。それにここから先で『橋』が掛かったというのもある」
「橋? ですか……」
「帝都まで直通で行ける様になった分、ここでの検閲は厳しくなる。まぁ何にせよ、どうしたって今は通れない。商人に関しては帝国側からギルドを通して直接ここへ派遣される者達がいる。商いならばその者達と頼む」
「そうですか。しかし『橋』とは、いつの間に……」
物流には敏感な筈のハンザ、そんな大規模な建築が知らぬ間に成されていたなどとは、とても信じられなかった。何となしにルカの顔を見やる。だがルカに何が解るはずもなく、肩を竦めるばかり。
「……ではいつまでこの状態は続くんですか?」
「恐らくは明日か、そこで全てが決する」
何やら兵士から決意めいたものを感じる。大仰な口振りは、それに即した事態である事を窺わせた。
「ラトリス様は無事かな……」
「そうだね」
心配そうなルカを横目に、ハンザは荷台にも目を向ける。トレノは額に手を翳し、時折開かれる門の向こうへと目を凝らす。
一方で、旅の吟遊詩人は、見知らぬ人物と会話をしている様子。それは眼鏡を掛けた聡明そうな女性であった。
「ラキさん、お知り合いですか?」
「まぁね。彼女はリリといって、家族みたいなものだよ」
女性は軽く会釈をした。
「ところで、僕は少しばかり離れるよ。彼女と確認したい事が出来たから」
そう言うと、旅の吟遊詩人は、リリという女性と共に去って行った。
「僕等は……待つより他無さそうだね」
ハンザは、道端に商品を並べる商魂たくましい同業者を見つつ呟いた。
「それで、マイナエルが目覚めないって?」
吟遊詩人はその背から白い翼を露わに、空高く舞い上がった。
「はい。ソラエルからその様に」
追従する女性も、やはり同様である。
「そっか、それは苦しいね」
「苦しい……ですか?」
「ソラエルはマイナエルを心配している。それは苦しみだよ。人は情を分けた相手を思いやり、時に苦しむ」
「ソラエルは天使です。心配の対象は使命であり、そこに支障を来たすという恐れでは?」
「ソラエルは愛を司るマイナエルの庇護下の天使。それに彼女は“母性”というものを理解している。マイナエルへもそれは適用されているのさ」
「はぁ、そうですか……しかし管轄外のラキエル様がそれらを理解する必要性は感じませんが」
「リリエル。僕等は学ぶべきなんだよ、人というものを」
遠く眼下に望む巨大な峡谷。そしてそこに架かるのは長大な橋。
「凄い物を作るね。面白いよ」
「過ぎた発展は堕落も生みます。面白いとは……些か不謹慎では?」
「リリ、“規律”は大事だ。だけど物事は良くも悪くも変化し続けるもの。でなければ“時間”という概念は意味を成さない。導き手である僕らだってそうだよ」
リリエルは表情には現さないものの、僅かな間で以ってそこに困惑を窺わせた。そしてそれは直ぐに呆れた様な溜息へと変わる。
「……ラファエル様にも同じ様に仰るのですか?」
ラキエルは頰をかく。
「んー……彼の方は恐ろしい。言葉は選ぶさ」
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ルミリエールは闘技場の前に居た。時折慌ただしく駆け抜ける兵士達が、不思議そうな視線を寄越す。それは、天使だからといった理由ではない。彼女は現在その羽を隠している。
故に、目を引く別の理由として、現状兵士以外で『起きている者』という事。更にはそれが誰も居ない通りの向こうを睨み続けるという『理解不能な行為』の為である。
そんな中、彼女に平然と声をかける者があった。
「ルミリエール」
チラリと見やれば、天界の同胞たる『運命』の大天使ラキエルと、その庇護下の天使であった。
そのラキエルは闘技場を見透かす様に一瞥すると、内部の存在を悟った。
「大変な事になっている様だね」
「【嫉妬】だ。向こうには【憤怒】も居る」
ルミリエールの言葉に、その視線の先を伺うと、姿こそ見えないものの、その方角に大きな存在を感じ取った。ラキエルは苦笑いを浮かべる。
「応援に来たわけではなさそうだな」
「マイナエルが消息を絶った」
ラキエルは幾分申し訳なさそうに頰をかき告げた。
「……そうか」
ルミリエールは腕を組み、思案顔を浮かべた。一方で、その視界の中では【憤怒】が街を見下ろすようにして陣取っており、時折寄越す視線が、こちらの監視に気付いている事を知らせている。
「最早人の手に委ねられる段階は過ぎたのか。多少の犠牲を払ってでも直接——」
「【憤怒】側の正確な居場所は分からないか?」
無遠慮に割り込んで来たのは、白髪と赤の貴族衣……奇術師である。
ルミリエールにしてみれば、現状を打開する重要なピースである事は確かだが、未だ測りきれずにいるそれは、何とも胡散臭い。にも関わらず、天使たるルティエルと必要以上に近い気がする。天使が人間に篭絡されるなどある筈もないが……
現状において敵という認識は無いが、そもそも味方でも無い。それは注意を払い続けるべき要注意人物である。
「……【憤怒】がその巨大な気配を撒き散らし邪魔をしている。奴以外、この街は靄の中だ」
「そうか、まぁ何となくは察して居たが。しかしそうなると、今現在魔王は単独と見て良いのか?」
「……そうだ」
素性が不明であり、いまいち掴み所の無い
奇術師。それは、時折それが本当に人間であるのかと疑ってしまうほど。
現にこうして、大天使を前に大罪魔王達と対立し、国の命運すらも左右する状況において尚、薄っすらと笑みを浮かべている。
そんな者の思考を読み解く術は、流石のルミリエールも持ち合わせていない。
「白の法とは信仰で得られる術」
奇術師はおもむろに切り出した。
「思いが現実に、物質に作用する世界。俺の知る場所では迷信めいたものであった」
その背後に立つ大柄の筋肉質の男が、奇術師を覗き込む。
「何だ? 見捨てられた地か?」
「ふむ。見捨てられたのか、はたまた自立したのか……」
そこに嫌味と思える程の意思は感じないが、事実天界を煽るような言葉であり、中々に挑戦的ではある。
だがルミリエールはまともに取り合わない。この男は相手の反応を引き出す為、敢えてこの様な態度を取る。それは常套手段。
ルミリエールからすれば、そのやり口は些か軽薄にも見える。結局の所、この男と向き合う度に抱くのは、『気に食わない』という事に尽きる。
「お前に天界を敬う心は無いだろう。ならばそれらを実感する事は生涯あるまい」
「俺は隣人に信仰を捧げたりはしない。そこにあるのは対等な交流だ」
ルミリエールは改めて思う。
(この男は何なのだ?)
だがその一方で、ラキエルは笑いを堪えた様に肩を震わせていた。その背後では、リリエルが座った様な目で以ってラキエルを見つめる。
「何処へ行く」
通り過ぎてゆく奇術師に、ルミリエールが問う。
「教会だ」
ラキエルはマガツの背を見送るままに告げる。
「線でもなく面でもない。例えるならば裏返した無。つまりは……よく解らないな」
「何ですかそれ」
「裏返した無、それは全てとも言える……かな」
ラキエルの言葉に、ルミリエールはついこぼした。
「気に食わん」
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賢者は複雑な紋様の描かれた木製の杖を、自身のこめかみへと添え、目を瞑る。そして何事かを呟いてゆくと、その最後に、剣老の耳にも届く声で唱えた。
『聴力向上、視力向上、予感拡張』
賢者の身体が淡い光を纏う。
「黒の法の為の陣を施した杖で、白の法を扱う為に祈る……賢者と呼ばれる所以か、器用なものだな」
ウルガスとリンキンスは帝都の通りをゆく。
「しんどいのぉ」
「危急の事態。仕方があるまい」
その口振りに反して、二人には疲れや焦りの気配は全く無かった。
「しかし、対悪魔装備がどこまで通じるか。ヴァモヴァモじゃったか? 陛下はあの者との遭遇の際用いたと聞いたが」
「今あるものは大陸会議の際にハイラーンより齎された物。それ以前の試作よりは数段良質」
「まぁ本場とも言える神聖国産であれば、帝国の物とは比較になるまいか。こちらでは試す機会など限られておるしのぅ」
「対天使装備も同様。ラムド程には扱えん」
「個人では負ける気はせん」
「爺いが張り合うな」
「いづれにしろ通用しなければ敗色濃厚。果たして人たる種は、この事態を招いた時代に追い付けているのかのぅ」
「……我等は成すべき事を成すだけだ」
そう言うと、ウルガスは立ち止まり腕を組んだ。そして「さて」と切り替える。
「悪魔とはその多くが個で生きる。つまりは戦術の何たるかなど理解、共有していまい」
「うむ。そうじゃな」
「更には、聞く限りグリムとやらは多分に人を見下し、その主張はかなり強い」
「うむ」
ウルガスは帝都上部を見上げる。
「上だ」
「では行くとするかのぅ」
僅かな破砕音を伴い、集う風が両名を巻き上げる。
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日中において陽の届かない闇の中、アルメレルはそこに潜む存在を確認した。
天使には闇に対する恐怖心などは無い。だがこの場においては二の足を踏む。それは闇の中の存在から放たれる不気味な気配ゆえであった。
(もう少し接近しなければ、視認出来る距離まで……)
ルミリエールより監視の任を言い渡された
アルメレルは、その対象に迫るべく、濡れた柱や壁の陰を慎重に進む。
(見えた!)
それは何をするでもなく、闇の中ただひたすら呆然と佇んでいた。
頭から被ったボロを全身に纏い、その表情は窺えない。
(何をしているんだ?)
「命……」
時折呟かれる言葉に力は無く、何やらふらふらとしている。その様子から、アルメレルには、この者が単独で何かを成せるとは思えなかった。
「いのち……」
(気味が悪いな。やはり悪魔など碌なものでは——
不意に引き寄せられる感覚がアルメレルを襲う。咄嗟に伸ばした手は目の前の柱を透過した。
——これは!?)
「イノチ……」
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大声を伴い両肩に衝撃を伝えると、悪魔は狂喜し、天使は崩れ落ちる。
「たっはっは!」
何とも憎たらしい奴。
ルティエルは目の前の悪魔を睨みつける。
「余程暇みたいね」
「暇? 馬鹿言うな、マガツのお使いの最中だ」
悪魔の言葉に、ルティエルは表情を苦々しいものへと変えた。そして僅かではあるが、しがらみを越えた同情を禁じ得ない。
「ところで、悪魔を見なかったか?」
「さっきから目の前に立ってるわ」
「あー、違う違う。俺じゃない。なんかこう……不気味な奴」
「悪魔同士で分かんないの?」
「逆に分かるのか? 悪魔同士だと」
「知らないわよ」
「何だ知らないのかよ」
「何よそれ! 嫌な奴だわ」
そこでルティエルは、この憎たらしい悪魔に、ちょっとした“仕返し”と言う名の“イタズラ”を思い付く。
「悪魔なら見たわよ」
「ほぉ、どこで?」
ルティエルは腕組みから地面を指した。
「下? 何だよそれ」
「ヒントはここまで、あとは自分で頑張るの」
「ケチな奴」
それは何の根拠もない出鱈目であった。この悪魔も、しばらくすればその事に気付くだろう。
「まぁいいや。探してみるさ」
ルティエルは立ち去る背中に笑顔で手を振り見送ると、人知れず舌を出した。
帝都には天然の地下空洞が存在する。それは水捌け用も兼ねて少しずつ整備されており、街には数カ所の出入り口が点在する。普段であれば封鎖され管理が成されるのだが、現状その場に兵士は見当たらない。
「あいつの言ってたのはこれか?」
ベヘルドは通り沿いにて、開け放たれた地下への階段を見つけた。それは天使のヒントとも符合する。
「開けっ放しとは不用心だな」
薄暗い地下へと続く階段は、周囲に僅かな冷気を這わせている。不気味な奴を追って不気味な場所へと入るのは、悪魔たるベヘルドであっても気が引ける。
「確認して戻って知らせるだけだ。後はマガツが縛り上げるなりして、大人しくさせとくだろう。……はぁ、ヴァモヴァモとっとと帰って来いよ」
ベヘルドは文句を垂れながらも地下へと足を踏み入れた。
暗く湿った通路は石材で補強されており、その作りはしっかりとしている。時折どこかで水が滴り落ちると、それが反響し耳元へ届いてくる。
壁には一定の間隔で松明が掛けられており、ベヘルドはそこへ火種を吐きつつ進んでゆく。
「あぁ、確かに何か居るな」
しばらく進んだ頃、ベヘルドの感覚に何かが引っかかった。それと同時に僅かな違和感を覚える。
「これは……本当に悪魔か?」
あくまでも感覚的なものであり、正確には判断しかねるが、ベヘルドに言わせれば“似て非なるもの”。それは悪魔の様であり、人間の様であり……
広い空間に出ると、高い天井を支えるようにして柱が並ぶ。
「……あいつか」
ベヘルドは、闇の中で対象を捉えた。と同時に別の物も捉えた。
柱の陰、赤い髪の女が倒れている。騎士のような格好をした人間……では無い。ベヘルドには分かった。翼こそ見えないものの、これは天使。
察するに、自分と同様の目的でこの場へ来たものの、油断の末に何かしらの攻撃を受けたのだろう。
(油断大敵ってやつだな)
ベヘルドは対象に気を払いつつ、こそこそと天使へ駆け寄った。
『おい、生きてるか?』
返事をする様子は無い。
『おい』
ベヘルドが肩を揺するが、天使に反応は無い。次いで頰をつねるも変わらず、何故か唇を引っ張ってみた。やはり起きない。ベヘルドは真剣な表情のままに、今度は瞼を引っ張った。もう片方も同じ様に……そしてそこで気が付いた。
(俺は何をしているんだ)
この様な事をしている場合ではない。気を引き締め、改めて天使の顔を見る。両瞼を引っ張られた天使は、何ともこの場に相応しくない醜態を晒している。そこには最早、緊張感というものは存在していない。せっかくの美形も台無しである。何とも嘆かわしい。不謹慎である。
「ふっ、ふふ」
その時、闇の向こうの気配に変化が起きた。
「命……」
「しまった! 油断した!」
……しすぎであった。