05. 奇術師の街
ビガロは馬車の荷台で揺れていた。夕日に染まる後方の景色を見つめている。
イルテリアが無くなり、持ち出せた僅かな物品を金に変え、旅の絵描きとして何とかやって来た。遂には憧れの人物にも会えた。
だが憧れの人物は大天使に目をつけられ、大陸屈指の王国には命まで狙われていた。おまけに現在馬車の手綱を引いているのは、友を名乗る悪魔なのである。
自分は本当に強運なのだろうか。しかし、そうとしか考えられない場面も数多くあった。イルテリアが滅びに瀕していた際、奇跡的な脱出は正にそれであり、絵を描くしか能の無い自分が、2年近く生きてこれたのもそれと考える。そして、カーマインに出会えたのも……
頭の中で自問自答する。いや、答えなどどうでも良かった、これは現実逃避なのだから。
ビガロはスケッチブックを胸に抱き、力無くヘラヘラと笑う。
そんな様子を見かねて、荷台前方に座っていたマガツが声を掛ける。
「ビガロよ、世の中とは案外どうにかなるものだ」
「……カーマインが語った“バランス”とは一体何だったのでしょうか」
聞こえている筈だがマガツは応えない。そこには道行く馬車の音だけである。
「……国王は恐ろしい方だと聞いています。それに、私なんて簡単に捕まってしまうでしょう。その後は縛られて、置かれて、ストンのコロコロです」
御者台で手綱を引いていたベヘルドが振り返って笑う。
「ストン、コロコロ……ギロチンの事か?」
力無く項垂れるビガロが、コクリと頷く。
「お前は無関係だ、その様な事にはならん。それと、俺はギロチンになどならん。城下町も元に戻したし、謝罪の手紙も書いた」
「そして王国側はお前を引き入れたがった、でも断った。お前が何れ帝国側にでも付いたら面倒だと思い、なら消してしまおう。よし! ギロチンだ!」
ビガロの不安を煽る様に、ベヘルドが茶化す。だが実際ベヘルドの言ったことは紛れも無い事実であった。リベルタス王国、国王ハモンド・リベルタス7世は非常に厳格な武人肌の人物で、敵には一切の容赦がない事で知られている。
「いや、やはり俺はギロチンになどならん。何故なら、変装するし、逃げるし、いざとなったら暴れるからだ。だからお前も安心するがいい」
「は、はぁ」
「はは……しかし、マガツよ。何故態々王国領に行くんだ?」
「ふ、決まっているだろ。近いからだ。この馬車ならば、遅めのディナーといった頃合いには着くだろう」
「お前には危機感という物が足りないな」
「あ、あのそう言えば、怠惰になるから必要以上に奇術には頼らないって、そう認識してましたけど、この馬車は……」
「歩くのが面倒臭くて出したのではない。時は金なりとも言うだろう? そう言う事だ」
「そ、そうですか。それにしてもカーマイン、あの馬は……」
「うむ、彫刻だ。よく出来ているだろう。だが走れないので、奇術で浮かせて押し続けている。案外気付かれない物なのだ」
マガツの言うように馬車を引くのは、馬の彫刻であった。躍動感ある動かない足下を見れば、僅かに地面から浮いている。
では、ベヘルドは御者台で何をしているのかと言うと、詰まる所雰囲気である。
3人が馬車に揺られ、幾分物騒な話や奇妙な会話をしていると、いつの間にか馬車は、今までとは異なる舗装された道へと差し掛かっていた。王国領内に入ったのである。自然道行く旅人や荷車の類も増え、皆今宵の宿へと足を向けているのだろう。
「そう言えば、向かっているのは流石に王都では無いですよね? どういった街なのですか?」
ビガロの素朴な質問に、マガツが口角を上げニヤリとする。
「【奇術師の街】だ」
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辺りが大分暗くなり、山間に陽が沈んだ頃合い。馬の彫刻が引く馬車は止まった。
王国領の街道から枝別れした道の先、薄暗闇に浮かぶのは、幾つかの円筒型の塔である。塔の彼方此方に灯りが灯り、ぼんやりと全体を浮かび上がらせている。その塔の群れより、少し離れた岩場の影にマガツ達は降りた。
「わぁ、不思議な光景ですね。あれが街なのですか」
「なぁ? 面白いだろ。あんな建築物他には無いからな」
「実に合理的な建築なのだ。王国領で勝手に広範囲の領土を埋めていくのは宜しくない。であるならと上に伸ばした。立地にしても使い道の無さそうな手付かずの荒地を選んだのだ。まぁ、敷地内の地下や水周りは弄ったがな」
マガツは胸を張ると、馬車に左手を添え土塊に戻した。馬の彫刻を若干名残惜しそうではあったが、やはり土に返す。
「街には変装して歩いて入る。あの馬車も流石に不自然だからな。難民だけであればそんな必要も無いのだが、以前より王国騎士が常駐するようになったらしい。なので手間が掛かるのだ」
マガツは馬車だった土塊を見ながら、腕を組む。マガツの特徴的な部分として、ビガロも言っていた白髪と貴族の赤コートの組み合わせ。
となれば必要なのはカツラと別の上着。独自の拘りを持つマガツにとっては、変装の設定も大事であり、湧き立つ物があった。
ぐぅうぅぅ。
マガツが思案していると、ビガロの腹が鳴いた。本日何度目かの空腹報告である。恥ずかしそうに赤くなるビガロをにやにやと見るベヘルド。それを受けてマガツが、ふと閃いた。
「我が名は旅の料理人。 ……チャップだ」
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避難民が集まり、奇術で作られた【奇術師の街】。
街の外周を煉瓦造りの壁が丸く囲い、壁には2箇所の門が設けられている。その門を抜けると、石畳の道と程よく手入れされた木々や草花。石畳の脇には平屋の建物や畑も見受けられるが、何より特徴的なのは街の中心部。
其処には5棟の円筒型の塔が円を描くように立ち並び、全高の中程にある通路でお互いを支えあっている。同じく中程から外に向け螺旋を描くように伸びる太いスロープが地面へと向かう、スロープ上には段々畑が作られており、既に様々な作物が育てられていた。
ホムンド大陸において、これ程奇抜で前衛的な建築は此処でしか見られないであろう。
塔の彼方此方からいい匂いが立ち込める時間帯、門番を勤める2人の気が僅かに緩む。頭に浮かぶのは、油で揚げた芋料理と、酒。塔の屋上で飼育されているという鳥を使った料理等だ。
避難民の街である筈が、僅か2年に足らない程度の期間で、美味い料理も楽しめる観光地にまで急成長した。それは王都から派兵されて来た王国騎士達には有難い謎であった。
5つある塔の内、1棟は全て商売棟とされ、市場や商店、宿や酒場。少し前からは大きな商団とも取引があるらしく、これといった不便を感じる事もない。商売棟にはまだまだ余裕があり、1階の幾つかの空間は派兵された王国騎士の拠点が収まった。
彼らが唯一不満を挙げるならば、この街を作ったのが、王都で騒ぎを起こした手配中の奇術師だという事だ。
「例の奇術師も間抜けだよな、国に一石何鳥かも分からん貢献をしたのに、騒ぎを起こした挙句、命まで狙われるとは」
「ああ、だが唯一素性を明かさなかったのは賢明だったな」
「まぁ、2度と領内には近づかないだろ」
「ああ、捕まれば知ってる事を全部はくまで拷問って話だ、この街は我々の知らない未知の技術の宝庫でもあるらしいからな」
「拷問とは……俺は、奇術師をそれほどの悪人だとは思っていないが、いやはや我等が国王は恐ろしい御方だ」
「おい、滅多な事を口にするな。上に知られれば只じゃ済まんぞ……ん?」
相棒の言葉にギョッとした門番の1人が、誰にも聞かれなかったかと周囲を見渡す。すると、薄暗闇から聞こえる足音に気付いた。
目を凝らす門番達の前に現れたのは、細身で上背のある貴族風の男と、同じく貴族風の女。それと、肩から革袋を2つ下げた、見慣れない上等そうな白装束の格好をした男だ。
門番達の目には、この3人がどういった関係性なのか判然としなかった。
「ご、ご苦労様です」
「これはどうも」
女が軽く頭を下げ、一団は門を素通りしようとする。そこで慌てて門番が止めた。
白装束の男はキョトンとした様子で、門番を見つめ、次いで連れの2人を見る。
「あ、申し訳無いが、少し質問させて頂きたい。直ぐに済む簡単な物です」
「うむ……構わないが」
「他のお二人は何処ぞの貴族位の方で?」
「うむ」
「では、貴方様は一体?」
「見れば分かるだろう? 料理人だ」
3人の前後に位置する門番達は、揃って首を傾げた。こんな時間に従者も連れずに、おまけに料理人を名乗る変な格好の男。別に怪しいとまでは思っていないが、不自然ではある。
そんな門番の様子を察したのか、見かねた様にベヘルドが口を開いた。
「あー、あれだよ。俺はしがない貴族の三男坊で、こいつは腹違いの妹。で、こいつは異国帰りの友人で料理人をしてんだ。
王都に向かう途中で馬がへばってね、だけど貧乏貴族にとっちゃ馬車は大事な訳さ。
可哀想だけど、従者は今夜、馬車と野宿だよ」
「ああ、成る程。それは大変でしたね」
ベヘルドの言葉に納得したのか、門番達はあっさりと道を開けた。ビガロはもう一度軽く会釈をすると、ベヘルドに続いて街の中に進んだ。
「ビガロちゃん、この世間知らずに人間界の常識を教えてあげてよ」
「んー、私も世間知らずとよく言われましたが、そうですね……とりあえず、宮廷料理人は、そんな白くて長い帽子は被ってませんでした。あと、作業着はもっと質素な物で、街の料理人などは前掛けを付けた程度でした」
「あっはっは! 全然違うじゃないか。自信満々に料理人を名乗っていたのに、余計に怪しまれただけじゃないのか?」
「ふむ、そうだったのか。まぁこの失敗は次回に活かす他ないな」
石畳を進みながらビガロはふと気付く。時間帯の割にやたらと人が多い。それに避難民とは思えない身なりの者たち。
ビガロが疑問に思っていると、マガツがそれに気付いたのか応えてくれる。
「この街の目玉は建造物の形だけではない。建造物の表面には夜光石を用いている」
マガツが指刺す先を目で追うと、道沿いの家の壁。そこには小さな石片が埋め込まれていた。この石片が何だと言うのだろう、そんな疑問を浮かべていると、石片がほんのり発光しだした。
街の家々や塔が、火の明かりとは別に柔な緑色に発光している。その穏やかな無数の緑は、街全体の至る所で点滅し、夢現つの光景となる。
「こんな仕掛けまでしてたのかよ。これは俺も知らなかったぞ」
「す、凄いです。感動です」
ビガロは美しい夜景を必死に目に焼き付ける。後で明かりのもと、スケッチブックに書き写すためであった。
「夜光石は日中陽光を留め、暗闇で淡く発光を繰り返す。まぁ日没から僅かな間だけだがな」
「聞いたこと事ないぞ、そんな石」
「この街の地下水道を整備している時、掘り起こした土塊の塊が光っていてな、偶々発見したのだ。そしてこの地が荒地だった原因もどうやら夜光石にあったようなのだ。しかしそんな夜光石も巧く使えば、更に人の流れを呼び込む力となる。故に観光地としてもこの街は成功を収めるだろうと確信したのだ」
「はぁ、そうなのですか。それで……地下水道とは何でしょうか?」
「うむ、縦構造の建築は水周りが不便だからな、川から支流を作り地下に流した。それを水車と井戸を併用して塔上部に貯水するのだ。上部から下部へと降りた排水は再び地下へと戻ると、今度は別の道を流れて外部へと至る。弄っている最中は夢中だった。だが……」
マガツが街の隅の方に視線を移す。そこには地面から少し迫り出した井戸のような物、地下へと通じる出入り口である。そしてその前には兵士が立っている。
「ここで使われている仕組みや技術が、他国に漏洩するのを警戒しているのだろう。あれでは近づけんな。……まぁ良い」
マガツは肩を竦めると、2人を引き連れ先頭を歩き出した。向かったのは街の中心部の塔。その商業棟である。
スロープを潜り塔に近付くと、改めてその巨大な様に驚かされる。城と言われても不思議では無いし、要塞としても役目を果たせるだろう。巨人が住んでいると言われても、しっくりくる。
「お、大きいですね」
「うむ、4つの居住棟だけで約3500人は入れる。今回用があるのは商業棟だがな。塔は全5階層だ、1階と3階に入り口がある」
説明しつつ、開かれた扉から塔の内部に入る。広がるのは広大な円形の空間、そして外周を見ると、騎士の出入りする詰所や、窓越しに賑わいを見せる酒場。庶民的な食事処に質素な佇まいの宿。他には、店仕舞いをした商店なども見受けられる。
それらを横目に、目指すは通路をなぞるように弧を描き上階へと通づる階段である。塔内部、半円を描くように設置された階段は、蔓草の様な意匠を施されたゆったりとした物である。
「俺達は4階の【色鳥彩り】でディナーだ」
マガツの言葉を受け、ビガロの腹が返事をした。