04. 使者共
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遥か以前の大陸。未だ未開の地を多く残し、国家と呼べる物もそう多くない時代において、人々はあらゆる権利を巡っては常に争いを繰り返していた。
それは正に“戦乱の世”と称される激動の時代。
そんな中において、それを怒涛の勢いで統べた者が居る。
その名は瞬く間に大陸全土が知る所となると、いつしか大陸はその覇王の名を冠して【ホムンド大陸】と呼ばれる様になった。
大陸の中央やや東に位置する【ウズの大森林】。その危険地帯を抜ける事が出来たならば、遠巻きに森を迂回する道が見えてくる。
その道を大陸中央方面に向かえば、いずれ辿り着くのは、由緒正しき歴史を持つ国【リベルタス王国】である。
そんな道を貴族然とした男と、貴族にしては些かくたびれた格好をした女が行く。
男は非常に軽装であり、また手ぶらである。持ち物といえば赤のコートの内側に仕舞い込まれた数々の調味料と、腰に下げた小振りな袋が一つのみ。
対して女は、全財産となる画材や道具を革袋に背負うと、同じ様にして様々な魔獣から得た戦利品やらを別の袋に更に背負う。
「はぁはぁ……あの、カーマインは、無制限に奇術を使えるのですか?」
女の疑問は当然であり【ウズの大森林】を抜けるまでには、実に数多くの魔獣や獣に襲われた。
しかしマガツは、その尽くを自らの作品で以って刺し貫き、押し潰して来たのである。そしてその際に生じた作品の出来が気に食わなければ、土塊に戻したりもしていた。
であれば、多少は何らかの疲労を見せていても可笑しくは無いと思われる。
しかし当のマガツは、依然として涼しげな表情であり、それは寧ろ好調すら窺わせる。
「無制限……ふむ。試した事はないが、流石に限界はあるのだろう。俺も只の人なのだからな」
「……そ、そうですか。ところでカーマインは何故戦利品を持ってきたのですか?」
「売るのだ」
「えと、金貨は作れないのですか?」
これもまた当然の疑問であった。金貨を創造出来るなら、袋の荷物も必要無い。道端に落ちている小石でも拾って、変えてしまえば良いのである。
「作れる。だが極力作ろうとは思わん。全てそれで済ませて仕舞えば、俺は【怠惰】になってしまう。【怠惰】になれば情熱と意欲が失せ、それは作品作りにも支障を来す」
「おお、成る程!」
「それに世の中には“バランス”という物がある」
「バランス?」
「俺から出るそれは、謂わば本来存在しない筈の“不自然”な物。それが経済へと流入するという事は、やはり何処かで矛盾が生じ、それへの支障を来すという“恐れ”がある」
「バランス……」
「……まぁ何より一番の理由としては、それでは“面白くない“という事なのだがな」
「おお! つまりは満たされる事なく“バランス”を大事に楽しめと!」
鼻息も荒くビガロが見つめる。
「可笑しな奴だ。……だがまぁ、そうだな。全てにおいてバランスは重要。そう言う事だ」
ビガロは自らを誇った。
「……ふむ。先程の理由にはもう一つあったな。この異能を快く思わない者も居ると言う事だ。故に混沌を招くような乱用は、今は控えている」
「それは一体誰の事でしょうか?」
「どこぞの『王』やら『天界』やらだ」
悪い顔を浮かべるマガツに、ビガロはからかわれているのだと理解した。
そうして二人は緩やかに歩みを進める。
暫くしてビガロが疲弊したのを機に、二人は道の傍に広がる平野、そこに立った木の根に腰を下ろした。
何と無しにビガロが空を仰ぐと、天気は良好であり、流れる雲も穏やかに、世界が平和であるのだと錯覚させる。
傍に立つマガツを見ていると、不意にビガロは自分の荷物を漁る。取り出されたのは、羊皮紙と、布の巻かれた鋭利な黒い棒であり、それは炭と思われる。
察するに、それらこそがビガロの現状であり、つまりは仕事道具たる粗末な一式である。
マガツが唸る。
「何とも使い勝手の悪そうな物だ。持ち運びに適した物は無いのか?」
「はい、今現在はこれしか無いのです。紙や染料も自作してみようと試みましたが、やはりそれらにもお金が掛かります。結局はこの様な形に……」
マガツは「ふむ」と1つ頷くと、おもむろに辺りを見回し、手頃な木の枝を拾い上げた。続いて右手で以ってビガロの腰掛けるその木に触れると、自然薄い表皮が削れ落ちる。
「おお」
マガツは左手で削り取った木の表皮を、ビガロに差し出した。
「これはスケッチブックだ、白くて上質な紙が沢山収まった良い物だ」
自らに言い聞かせるようにしてマガツが呟くと、慌てて差し出されたビガロの手の上に、薄手の本の様な物が現れた。
ビガロがごくりと喉を鳴らすと、マガツは続けて、同じく左手に持った木の枝を差し出す。
「これは“鉛筆”だ」
スケッチブックの上で、木の枝が筆と思しき物へと姿を変えた。
「カ、カーマイン。こ、これらは……」
「うむ、新たな道具だ。これならば持ち運びも楽になる」
ビガロは恐る恐るスケッチブックを開いてみた。そこには交ざり物や屑の含まれない、この上なく上質な白い紙が何枚も閉じられていた。
震えるビガロは、次いで鉛筆を手に取ってみた。先端を蓋の様な物が覆い、それを軽く引いてみると、中から鋭利な芯が見て取れる。
「こ、これらを使ってみて良いですか?」
「うむ、それらはお前の物だ。好きにするが良い」
ビガロは真っ白な上質紙に、幾分勿体無く思いながらも、貰った鉛筆で線を引いてみる。
その表情は緊張した面持ちから、やがて満面の笑みとなった。
「素晴らしいです! あぁ! どうしよう! 何を描きましょう! この木を描いてみましょうか! いや、勿体無いでしょうか!?」
マガツと出会ってから一番の笑顔と興奮を見せたビガロは、それらを胸に抱きながらくるくると回わる。
「何でも描くが良い。その気持ちを忘れない為にも」
「はい! ありがとうございます! カーマイン!」
ビガロの気分が最高潮に達していた矢先、視界の隅で異変が起こる。
雲の切れ間から唐突に射した、それは不自然な迄に神々しい光……
その射し込んだ一筋の光は、まるで意思を持ったかの様にして二人の前へと向けられると、次いで僅かに風を巻き上げ、その内部において何かが飛来したのだと言うことを知らせた。
治まるなり現れたのは、一人の女。
未知なる不可解な現象を前に、普段のビガロならば固まっていたであろう。しかし、現在新たな道具を得た彼女には、その光から現れた女とその現象は、格好の被写体でしかなかった。
ビガロは興奮した様子で以って早速スケッチに取り掛かる。
一方のマガツは特に反応を示さず、涼しげな表情のままに女を眺めていた。
陽の光に照らされた金髪は、美しく棚引き光に透けると、長い睫毛の下の瞳は宝石の様であり神秘性を伴う。
だが何よりも目を引くのは、やはりその背後に覗く白い翼だろう。
「ふむ、天使か。……それも武力を有する」
その全てを包むのは、物々しい青の全身鎧であった。
女たる天使は僅かに眉を吊り上げると、マガツの元へと歩み寄る。
凍りつく様な鋭い視線と、人の身では成し得ないであろう威圧感。その美貌から得る印象とは相反する、決して優しい存在では無い事を告げている。
「我が名はルミリエール。“七星主翼”の大天使にして“剣”と“天秤”と“眼”を持つ者だ。……貴様にこの意味が分かるか?」
「ふむ、そうだな。“裁き”と“法”と“監視”。……といった所か?」
「ほう、解っているようだな。では何故私がここに来たか分かるか?」
「ふむ、思い当たるのは……俺の奇術か?」
「奇術……異能の事か、それもある。時折人の中には天使や悪魔にも似た『力』を持つ者が生まれる。だがその中においても貴様の力は極めて異端だからな」
「ふむ、となれば『警告』という事か?」
「そうだ、貴様がその力で人心を惑わし天に仇なす事があれば、私自ら容赦なく天罰を下すという『警告』だ」
「くく」
大天使ルミリエールを前に、更には迸る威圧を受けてもマガツは動じなかった。それどころか、事もあろうに笑みを漏らす。
その事実にルミリエールは怒りよりも違和感を覚えた。
「貴様は一体……何者だ?」
「それは生命を司る大天使が知っているのだろう?」
「いや、貴様に誕生の瞬間など無かった。【聖魔大戦】後の慌しい最中、気付いた時には貴様は既に居たのだ」
「突然沸いた幽鬼か何かだと?」
「ありえなくは無い話だ」
「それは酷い。俺の誕生を把握して然るべき
は天界であり、それが出来ていないのならばそれは天界の失態。忙しければ天使も“漏れ”を起こすという事か? ならばそれ以前も同様に“漏れ”が無かったとは言い切れまい。その様な現状で貴様は何者だと問われても答えようが——」
マガツは不意にハッとした表情を浮かべた。
(——“貴様は一体何者だ”だと……)
襟首を直し右手でコートの裾を払った。
「我が名は奇術師マガツ! 又の名を彫刻家カーマイン! 味の探求者でもある」
様々な調味料を見せ付け、マガツは大いに名乗った。
それに対してルミリエールは、マガツの真意や思考、性格に至るまで凡ゆる面で測りかねていた。
「わざわざ出向いたのだ、何か食べていくか大天使よ?」
「要らぬ!」
マガツの提案を語気も強く蹴ると、大天使の翼が羽ばたいた。
「良いか、此度は只の警告。直接顔を拝んでやろうと降りて来ただけの事、私は貴様の事を監視しているからな。くれぐれもその意味、忘れぬ事だな」
「俺の事ばかり気に掛けていては、また漏れが起こるのでは無いか?」
「小癪な事を」
宙に羽ばたくルミリエールは、悪気もなさそうに述べるマガツに対し、僅かに苛立ちを覗かせた。
近くでひたすら何らかの作業を行うビガロは、時折大天使に視線を送る。それをずっと受けていた大天使が、煩わし気に矛先を向けた。
「貴様は何をしている!」
「はい! 貴方の御姿を!」
ビガロはそう言うと、スケッチをルミリエールに見せた。
そこに描かれていたのは勇壮な大天使の姿であり、整った顔立ちの中には力強さと厳しさが表現されていた。
「……貴様は何故この男と共にいる」
「えと、弟子になりましたので」
ルミリエールはビガロの大きな瞳をじっと見つめると、再びマガツへと視線を戻した。
そして忌々しそうにマガツを見ながら、一つ鼻を鳴らすと、大きく翼を羽ばたかせて空高く舞い上がる。
「奇術師マガツ……」
ポツリと憎たらしい相手の名を呟き、直後風に身を翻すと、大天使ルミリエールは光が漏れ出す雲の切れ間へと、あっという間に飛び去った。
「行ってしまいましたね。私の絵で気分でも害されたのでしょうか?」
ビガロは何やら申し訳ないと言った表情でスケッチへと目を落とす。
「いや、俺には寧ろ幾らかマシになったように見えたがな」
マガツはルミリエールの読み取り辛い表情から、その様に判断して見せた。
『気にしなくて良いんだよ、あんな天使の事なんて。お嬢ちゃんの絵は良く描けてるよ。それで良い、何も問題ない』
謎の声もそう言って励ましてくれている。ビガロはありがたく思い、礼を述べようと顔を上げた。
「ありがとうございま……ん?」
そして気付く。唐突に現れた聞き慣れない第三者、その謎の声に……
ビガロは恐る恐るを横を向く。
「うわぁあああ!!」
顔の直ぐ横、背後から伸びた男の顔がスケッチを覗き込んでいた。
すると男は、ひっくり返ったビガロを見て笑い声を響かせる。
「あっはっはっは! 良いねぇ! その反応! 俺君みたいな娘好きだよ!」
ひょろりとした男が、細い目を更に細めて笑っている。
それは短かい黒髪を立てた背の高い男であった。服装は貴族に近いが、敢えて着崩しているのか堅苦しい印象は無い。
しかしこの男、一体どこから湧いたのだろうか……
「ま、またお客さんですか? それで、あの、誰でしょうか?」
「ははぁ、俺はね、“悪魔”さ」
「あ、悪魔……」
ひっくり返ったビガロを立たせながら、男は悪魔を名乗った。そしてマガツに視線を向けて同意を求める。
「うむ、そいつはベヘルド。紛う事なき悪魔だ。人を驚かせたり、驚く人間を見るのが生き甲斐の“驚楽の悪魔”……つまりは変な奴だ」
「は、はぁ。天使の次は悪魔ですか」
「実に貴重な体験だなお嬢ちゃん。まぁ、俺としては天界の石頭共とは関わり合いたく無い訳だが。大天使ルミリエール? 全く危うく鉢会う所だったぜ。……それよりマガツ、自分の事を棚に上げて俺を変な奴呼ばわりか?」
「……俺が変だと? 俺はお前とは違う。驚かせたくて何かをするわけでは無い。結果として周りが勝手に驚く。それだけの事」
「あっはっはっは! 何言ってんだよ、結局は一緒だろ。俺たちは同類なんだよ」
「なんと言う馬鹿な事を……」
大天使にも全く動じないマガツが、初めて浮かべた悔し気な表情は、ビガロに僅かな好奇心を植え付けた。
「あ、あの、お二人はどういった関係なんですか?」
「はは、良いよ。教えてあげよう。そうだな、初めて会ったのは【リベルタス王国】の城下町だった……」
ベヘルドは身振り手振りを交えて、ペラペラと話し始めた。
「その時は特に行き場の無い戦争難民が彼方此方に居てさ、マガツは一つの難民家族に簡単な小屋をくれてやったんだ。そしたら次から次へと似たようなのがやって来たらしくて、気付いたら王国領地に勝手に街が出来上がっていた訳さ。こいつも凝り性だからさ、そいつが結構立派で、その時に俺はビビっと来た。こいつは……ってね」
「ま、街……」
「まぁその街が原因で貴族共に良くも悪くも絡まれてさ、仕方なく城下町にも土地を買って幾つか建てる事にしたらしい。……でも実際は土地なんか余ってなくて、遠回しな拒否だったんだよ。でもさマガツは人一人分しか無い土地を大量に買って……どうしたと思う?」
「わ、分かりません」
「柱を立てて、城下町の上に家をぼこぼこ建て始めたんだよ。いやぁ凄かったよ! 城下町の人間の顔! 俺は過去一番に笑ったね、居ても立っても居られなくて、直ぐに声を掛けたよ、“友よ”ってね」
「そ、そうなんですか、あの……それで街の上に家なんて建てて、大丈夫だったんですか?」
「んー、全然駄目。日影になった城下町からの苦情とその奇術の異常さ、たちまち王国に目を付けられた。その時に勧誘も受けたけど、自由が何だのと断ってさ、この男、結局命狙われてんの」
「へ? 命を!?」
驚愕するビガロを見たベヘルドは、再び笑い声を響かせた。