40. 奇術師競技会・二色のエピローグ
最後の奇術師による舞台を終え、競技会も残す所僅かとなった。裏では、最も優れた奇術師を選定するべく、話し合いが行われているであろう時間。表では、開始を飾った『プロローグ』同様、終わりを盛大に締め括るべく、楽団による演奏が行われる。
組曲『道化師』終番『エピローグ』
「うむ、素晴らしい。低い導入から期待感を駆り立てる賑やかで軽快なリズム。組曲を一連の舞台に例えるなら、それはやはりカーテンコール。舞台上に並んだ俳優達に加わるべく、道化師は慌てて飛び出すのだ。そして馬や城や庭園、それら舞台セットたる板付の張りぼてを、道化師は引き摺り駆け回り、やはり滅茶苦茶にして仕舞う。だがそれは非常に愉快で、さながらおもちゃ箱を盛大にひっくり返した様な賑やかさと華やかさ」
広場に程近い屋根の上から、サイラス達が撤収を始めるのを見届けると、マガツは劇場の上空に伸びる柱の上に降り立った。
そして現在は仮面をその手に、楽団の最後の演奏に耳を傾け、誰に聞かせるでもなく、一人感じ入っていた。
「随分とご機嫌だな!」
そんな最中、唐突にマガツに呼び掛けたのは、向かいの柱の上。見れば見覚えのある人物。それは激しい雨の日、やはり唐突に現れ、忽然と消えた競技会参加者、仮面の奇術師。
「ふむ、いつかの奇術師か」
「……その格好は?」
ルクソールが指挿すのは、マガツの手の中の仮面と、風に靡く大きな外套。
「まぁ俺も色々と忙しくしていたのだ」
「ほぉ、……なるほど」
マガツの言葉に、意外にもルクソールは理解する様な反応を見せた。マガツの行動に関わる何かを知り得たとでも言うのだろうか……
「見せて貰ったぞ、貴様等の奇術の全て!」
どうやらルクソールもフリオの舞台を見ていた様子。もしかすれば、マガツが気付かなかっただけで、元々石柱の上に居た可能性すらある。……しかし全てとは一体。
「驚いたぞ。あれ程の華やかで豪華な奇術があろうとは」
「ふむ、気に入ったのならば良かった」
「そして、その裏では実に多くの人間が動いていた」
そう言ってルクソールが指し示すのは、舞台裏の闇。
「舞台裏の広場、水槽の周りで数多くの人間が袋のような物の上を跳ね回っていた、恐らくはそれが水槽に水を送り込み、水柱を上げていたのだろう。そして得体の知れない光源を水面に撒き、光の水柱を作り出した。
劇場内では女が走り回り闇を作った。更にはその闇に浮かぶ光源で目を引き、そこに乗じた獣が観客席から女を連れ出す。しかもそれが驚くべき事に、亡国の姫君であると……駄目押しとは正にこの事だな」
ルクソールは腕を組み、片手を放る様に嘆いて見せた。
「全部貴様の考えたものなのだろう?」
「いや、俺は大まかな下地を用意しただけだ。そこに奴等が修正し改善を加え、煮詰めて完成させ実行した。劇場内の配置等は、俺の予想とは大分異なっていたしな」
マガツは謙遜ではなく、ありのままの事実を述べた。しかしその表情はあまり浮かないといった様子。
「それにしてもバレてしまったか、我々の奇術は大掛かりだったからな。他者に裏を知られる事になろうとは、少々残念といった所ではある。……だがそこに関してはお互い様か」
そう言ってマガツが指し示したのは、足下の石柱。そこから線を引く様に、ルクソールの足下へと指先をなぞる。
「石柱の上部、よく見れば極めて細い何かが巻き付けてある」
俄かにルクソールが反応し、腕組みを解く。だがマガツは、尚も構わず続ける。
「恐らくは繊維か何かを縒り合わせた物。夜空を背景にした上空で、これを見極められる物などまず居まい。俺は生憎と忙しく、お前の舞台を見る事が出来なかったのだが、察するに、肉眼で視認出来ない強靭なロープを使った飛行術。……といった所か?」
マガツの推察に、ルクソールは肩を震わせる。どうやら笑っている様であった。
「やはり貴様だな。俺は貴様に負けたのだ」
「……お前の中では既に決着が見えている訳か。まぁ確かに、俺達が負けたとも思わないが」
客席の反応はどちらも凄い物であったが、華やかさや愉しさ、更には衝撃の大きさ、その全てを満たしたのは、贔屓目無しに明らかにフリオであった。また、観客においても、その全てが総立ちという状況は、判断材料として見過ごす事は出来ないだろう。
最早マイツマンがどう動こうが、観客の中では覆らない。無理を押し倒せば、それは奇術師競技会自体にケチがついてしまう。そしてそれは、褒賞を与えるロインズ王子にまで及び、つまりはセインツ王国にまで及ぶ。
「俺が以前に言った事を覚えているか?」
「ふむ、殺すかもしれないというやつか。……安直に嫉妬や逆上をする様な男とも思えないが」
「ここまでは奇術師としての勝負」
ルクソールは腰に手を掛け、仮面の切れ目から覗く瞳に、別の光を宿す……
「ここからは復讐者としての私闘。道を阻んだ邪魔者を排除するという話になる」
「ふむ、復讐……」
マガツの呟きを他所に、ルクソールの姿が瞬間歪み、そして消えた。
「競技会で栄光を掴む事。それはその先に、国という力を得るという事だった。俺の復讐には必要な物だった」
直後返答が帰って来たのは、マガツの背後からであった。
そして次の瞬間には、マガツは劇場の真上へと吹き飛ばされていた。
「そして俺はあの男に……」
ルクソールの呟きは演奏の中に掻き消えた。そしてマガツも突然の出来事に対する反応で、それどころでは無かった。
吹き飛ばされた衝撃により、仮面や杖といった手持ちは劇場内へと落下。更には咄嗟に庇った右腕に、激しくも鈍い痛みが走っている。
ルクソールが張り巡らせた奇術用のロープ。そこに何とか着地したものの、驚く程に不安定極まりない。
「何となくは考えていた、突然現れ、突然消えるというお前の技について。やはりと言うべきか、思わぬ形で確認が出来た」
両肩でとまる外套を左手で取り去り、その手に器用に巻き付ける。
「紛う事なき異能。しかも肉体強化に関するもの。強靭にすぎる肉体、その脚力が可能にしていた訳だ」
「優れた奇術師は、優れた解明者でもある訳か。だが今更解った所で、何も変わらない」
ルクソールは石柱の上を歩き出すと、残像を残して消える。そして次の瞬間には、マガツの目の前、ロープの上に立ちはだかった。
「俺はこの異能を『超過』と呼んでいる。これは怒りを燃やし、肉体に還元する憤怒の力。時に人はその状況や感情によって、大きな力を発揮するが、俺のはそれが行き着く先。歪な極地とでも言おうか……」
そう告げたルクソールの瞳は、仮面の隙間で激しく燃え盛っていた。
「なるほど、復讐者が憤怒の力か。実に相性の良さそうな組み合わせだな」
そう評価してみるものの、大量の兵士を手玉にとるマガツでさえ、立ち上がる事すら困難なロープ上。痛めた右腕、恐らくは折れてしまったのだろう、まるで言うことを聞かない。更に言えば、残る左手を駆使する事も難しかった。事空中において、物を作り変えるにしても、その材料になりそうな物は無く、手に巻き付けた布が唯一という、分かり易い程の窮地……
そんな最中にも、演奏は盛大な盛り上がりを見せている。
「ふむ、中々に不味いな。道化師の舞台にでも引き摺り出された様な気分だ……解っている。だが場所が悪過ぎる。これは初めて迎えた生命の危機というやつだ」
ルクソールは、マガツの独り言など意に介さず、綺麗な動作で蹴りを繰り出した。
「むっ」
腕に巻き付けていた布を、咄嗟に盾へと変えた、それを使い捨てる覚悟で滑らせる。盾を惜しみ、僅かでも踏ん張れば、盾共々落下して仕舞い兼ねない。
そこまでして漸く受け流した蹴りは、触れもていない筈のマガツの服に、切れ目をつけた。
「正に奇術師の鑑。土壇場でも人を驚かせる」
「それはお互い様だ、こう見えて俺も大いに驚愕しているぞ」
互いに感心を述べてはいるが、状況は一方的にマガツが不利であり、打つ手も無いに等しい。次に直撃を受ければ、内部への損傷を伴う落下。
だが悠長に悩んでいる暇など、相手は与えない。ルクソールの片足がロープから離れて行く……
それを見るなりマガツは呟いた。
「……止むを得ん」
決定的な未来に対し、マガツは服の切れ目から小瓶を取り、爆ぜさせた。
僅かに視界を塞がれるルクソール。
「悪足掻き!」
足が天を仰ぐと共に、演奏も佳境を迎える。その締め括りには、マガツの終焉さえも含まれているかの様な、それはまるで終わりの演出……
「一瞬だ!」
マガツの呟きを、ルクソールの踵が切り裂いてゆく。
「アーカマ!」
直後、エピローグは荘厳な大団円を迎えた。それを以って楽団による演奏は全て終わり、指揮者共々歓客席へと頭を下げる。
そして本日素晴らしい演奏で競技会を飾って来た楽団に、実に大量の拍手が送られる事となった……
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
劇場から少し離れた所にある屋敷、その屋根の上に立つのは、驚くべき事にマガツであった。そしてそれは、劇場の上空から吹き飛んだルクソールを追い、直線的な距離を移動してこの場に到る。
マガツの視線の先には、大の字で倒れ伏すルクソール。その様相は、仮面に亀裂が入り、服装も酷く傷んでいるというもの。そしてその見た目が表している様に、本人は動く事さえ困難であるといった様子。
「まさかこの様な事になろうとは……一体、何をした?」
ルクソールが呻く様に問い掛けたのは、現状の有り様について。
直前まで、お互いの立場は逆であった。それが最後の最後、気付けば一瞬で真逆の結果。あまりの刹那な出来事に、やられた本人でさえ、俄かには信じ難いものであった。
「……直前のあれはヤケを起こした訳では無く、奥の手を隠す為の目くらましだった訳か……」
「さて、どうだろうな。俺は種明かしが好きでは無い。更には奇術師とはそうあるべきだろう? つまりはそう言う事だ」
マガツはニヤリと微笑んでみせる。
「ふふ、そうか……」
ルクソールは静かに納得を示した。その様子を見て、マガツは浮かんでいた疑問をぶつける。
「復讐とは束縛。対して奇術師とは自由な発想を必要とする。その復讐心は、奇術師としてのお前さえも縛って仕舞うのでは無いか?」
「……ふふ、そうかも知れんな。だがどちらも俺だ。俺は抑圧されて生きて来た。故に我儘に生きる。……そう決めたのだ」
夜空を仰いだまま、ルクソールは呻く様にして答える。
「復讐……その内容を知りたいとも思わんが、お前程の者でも成せない物なのか?」
「あぁ、俺の力だけでは、最早かなわない。だからこそ国の様な大きな力を必要とした……」
「と言うことは、相手も異能を持つ訳か」
「まぁそう言うことだ……」
ルクソールの言葉に、僅かに思案し、口を開いた。
「俺は自由に生きる。だがそうする為には、時に戦わなければならない事もある。もしお前の復讐対象が、この先俺の自由を奪おうとする者ならば、俺は戦う事を選ぶだろう。……そしてその時は、一々お前に許可など取らんからな」
「……ふ、そうか」
告げるとマガツは背中を向け、立ち去って行く。
「ならば一つ、教えておこう……そいつの異能は『呪詛』……刻んだ相手を近くに置く事で、その全てを奪う。自由など、その最たる例だ……」
ルクソールはマガツの背中に向け、忠告とも取れる言葉を送った。
「……ふむ」
それを聞き届けたであろうマガツは、腕を組み、一瞬考える様にして、去っていった。
「くふふ、ははは……」
それを見たルクソールは、ある事に気付き、囁くようにして笑う。
マガツの右腕は確かに砕いた。だが去りゆくマガツは、まるで怪我など無かったかの様に、平然と腕を組んでいた……
(わからない。何処から何処までが本当の事なのか……一体奴は何なのだ。間違いなく異能を持つ者だとは思うが……奴こそ真の奇術師なのかも……知れ……な……)
何とか保っていたルクソールの意識は、急速に遠退いていく。二つの戦いにおいて自身を上回ってみせた奇術師。その去りゆく影を見ながら、意識は闇へと落ちた。