03. 聖魔の者共
後に【聖魔大戦】として知られる天使と悪魔の大戦より凡そ二年。地表において戦禍の爪痕は未だ大きく、被害を受けた地は未だ復興の最中にあった。
大戦における当事者たる天界もまた同様であり、【美徳】を冠した“七聖主翼級”たる大天使の面々も、その半数以上が光の粒子となり、つまりは天界の海へ還った。
“サンクチュアリ”とも呼ばれる天界には【楽園】と呼ばれる地が存在する。
そこは柔らかな光が溢れ、それを内包した見渡す限りの雲海と、緑は実りも豊かに聖なる泉を湛え、空に浮かぶ島から流れ出した滝は、常に七色の虹を描き出す。……と言った正しく幻想たる夢の如き地であり、それはその名に相応しい恩恵に満ちた天界の中心地である。
現在そんな地に集うのは、大戦以前とは異なる顔ぶればかりであった。大戦により【美徳】の大半が犠牲となった現状、新たに“七星主翼級”に昇華した面々を加え、それは初めての顔合わせとも言える。
「七聖主翼級の再誕。新たな同列を迎える事が出来、非常に嬉しく思います。皆さんご存知かと思いますが、私は“守護”を司るラファエル。ミカエルやガブリエルと共に三大天使等とも呼ばれていました。しかし残念な事に、先の大戦にて多くの同胞を失い、【美徳】たる七聖主翼も、私とガブリエルを除いて天界の光の海へ還ってしまいました……ですが、こうして新たに迎えた同胞と共に行く事が鎮魂となり、また人の世の為となり、延いては我らが主の為となりましょう」
優しげな目元と穏やかな口調で以ってラファエルが告げると、それは次いで近場の少年へと向けられる。
聡明そうな少年は大樹の根に腰掛け、羊皮紙の様な物を眺めていたが、一同の視線に気付くなり立ち上がると、その口を開いた。
「僕はガブリエルです。“生命”と“神託”を司っています。大戦以降はずっと多忙であり、それは僕自身が未だ想像もつかない程……なので、もしかしたら“漏れ”の様な事も起こり得るかも知れません。その様な場合、皆さんには其々の裁量で動いて貰えると助かります」
ガブリエルは言い切ると最後に一つだけ微笑んで見せた。しかしそれを最後に直ぐに元の状態へと戻ると、再びその役割へと没頭する。
ラファエルは僅かに溜め息を吐き、次いで向かいに並ぶ屈強な二人の天使に視線を向ける。すると視線を受けた男達は、その分厚い胸板を反らせ、勇ましく名乗りを挙げる。
「ドリエルだ。“戦”と“勝利”を司る」
「マキシエルだ。“力”を司る。ドリエルとは双子の兄弟であり、俺が弟にあたる」
言葉少なに双子が胸を叩くと、ラファエルは柔らかに微笑んで見せた。それから背の高い青年の姿をした天使へとその視線を移す。何処か飄々としたのその青年は、貴族然とした所作で以って恭しく頭を下げた。
「私はラキエルです。“旅”と“運命”を司ります。何かと至らぬとは思いますが、皆様どうぞよろしくお願い致します」
それを受けて、ラファエルは笑顔のままにその動きを止める。
「……貴方は人の様な作法を取るのですね」
「自論ではありますが、人を導くには先ずはそれを理解しなければならないと考えます。よく分からないものをそのままに導く事は、どう考えても可笑しな話かと……」
「なるほど……ですが、我々は神の代行者たる天使です。貴方の考えは天界におけるものとはかけ離れており、謂わば非常識。他の者に対する示しも付きませんので、早々に改めるようお願いします」
ラファエルはラキエルに優しく微笑みかけた。だがその笑顔とは裏腹に、周囲を異様な緊張感が包む。
「持論は持論でしかありません。故に強要するつもりは御座いませんので御容赦を……」
ラキエルがラファエル同様笑みで以って返すと、周囲を更なる緊張感が包んだ。二人の笑みにある真意は、その美しい景色から徐々に遠ざかってゆく。
コホンッ
そんな最中、横合いから咳払いが一つ。
「私はマイナエルと申します。“愛”と“調和”を司る者。……調和です。御理解いただけますか?」
声の主は、ガブリエルよりは幾分大人びているが、未だ何処か少女を思わせる美しい天使であった。
「それではまるで、私達がいがみ合っている様に聞こえますね」
「違うのですか?」
マイナエルの問いに、ラファエルはラキエルへと視線を向けた。つまりはラキエルがそれに応じる。
「いがみ合うなどとんでもない。ちょっとした意見交換をしただけさ」
それにマイナエルが一応の納得を示すと、当のラキエルはやや疲れた表情を窺わせた。
「では最後の……」
ラファエルが視線で以って促すと、その場に居合わせる最後の一人へと、皆の視線も集中する。それは他の大天使達より随分と頼りなく感じられる女天使であり、集まる視線を前に、その身を小さくした。
「わ、私はルミリエール……様の代理の者であり、庇護下の天使ルティエルです。その、お止めしたのですが、ルミリエール様は地上へ……で、でも直ぐに戻ると仰っていました」
天使は片膝を着き胸に手を当て頭を垂れている。それを見てラファエルは、やはり優しく微笑む。
「そうですか。熱心である分には構いません、それ故に選ばれた者でもありますし。けれど此方を蔑ろでは困りますね」
益々恐縮する代理たるルティエル。
「……まぁ居ないものをとやかく言っても仕方のない事ですので、ルミリエールについては後に来た際にでも」
一同の視線が散るのを感じ、ルティエルはようやくその圧から解放された。
「では早速、今後の事についての話し合いを始める事としましょう」
神々しい光溢れる聖地にて、幻想級の会談が開かれる。
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魔界。それは時折無数の廃墟が散見される、赤一色のひび割れた地。木々は石の彫刻かと見紛う様な姿で朽ち、風は焼け付くような熱砂。かと思えば大地の亀裂は凍てつく冷気を吹き上げ、瞬時に全てを凍えさせる。空と呼べるものは無く、宇宙たる黒が広がるのみ。故にその光景は地平線までひたすらに赤と黒である。
そんな大地に忽然と姿を現す巨大な宮殿。黄金に輝く煌びやかな城は、魔界と思えぬ程に豪奢であり、調度品や細部の意匠にも贅を凝らされている。あらゆる欲望を詰め込まれた様な、些か下品とも思える様相は、何も無い魔界においては奪い合う理由として十分と言えた。
大罪魔王や名だたる悪魔の住まう巨大な黄金宮、その名を【万魔殿】という。
天界で話し合いが行われている最中、時を同じくして、悪魔も会議に興じようとしていた。
それはやはり天界と同じくして、魔界でも数多の悪魔達が、永久氷土の底で眠りについた故である。
【七つの大罪】と呼ばれた悪魔王達は、その数を半数まで減らしたものの、天界に比べれば数の上では一見マシとも言えた。
だがやはりと言うべきか、そこは魔界であった。
大戦により生じた空席を発端に、未だその傷が癒えぬ最中において、「我こそは」と欲望の権化たる悪魔達は己に忠実に従う。
それは魔界各地で起こった“新陳代謝”とも言える争いであり、“座”を巡った争奪戦であった。
結果、頭角を現した者達による新旧の入れ替わりを含め、それらに一先ずの決着が着くと、ようやくこの度の悪魔会議へと至った。
【万魔殿】一階、ほぼ中央に位置する王達の間。
白磁の床に真っ赤な絨毯、周囲を意匠凝らされた黒曜の石柱が囲むと、奥には黄金の壁が控える。
そんな空間を照らし出すのは、天井の巨大なシャンデリアであり、それが部屋のあちこちで小山を築く金や銀の乱雑な様を浮かび上がらせる。
高価な宝飾がまるでゴミの様にして散らばる様は、ある意味幻想的な光景と言えるかもしれない。
そんな空間の中央、台座の上では球体たる水晶が浮かぶ。それを囲む様にして豪奢な椅子が何故か“八つ”……
「己が欲望に忠実なる大悪魔の名士達よ、今ここに新たな王として名乗りを挙げ、万魔殿に刻むが良い」
上座より一つ隣に座した男が言い放つ。この場に似つかわしく無く、何とも簡素な革鎧を纏った黒髪の若者である。
しかしその見た目とは裏腹に、力強い威圧感、そしてあまりに堂々とした佇まいは、やはり男が只者ではない事を知らしめる。
そんな若者に対し、妖しい視線を送る者が居た。その女は自らの唇を舌で濡らすと、ゆったりと水晶に視線を移す。
「我が名はレビルラータ【色欲】の魔王」
その名乗りに呼応するかの様にして水晶に火が灯った。
その炎は魔界の中枢、ここ【万魔殿】に認められた証であり。つまりはこの場においては新たな魔王の誕生を、正式に認める物であった。
「よかったぁ……」
仮にこの場で水晶に拒まれれば、それが如何な実力者であろうとも、それは大罪魔王を名乗る事が出来ない。つまりは次なる候補者へと譲らなければならない。
そんなレビルラータの様子を鼻で笑う男がいた。その男は金の縁で模った丸眼鏡に水晶を写すと、その奥のキツイ目付きで以って球体を見据える。
「我が名はベルドリッチ【強欲】の魔王だ」
すると水晶の炎が一際大きくなる。彼もまた新たな魔王として受け入れられたのである。
すると不意に空間に風が生まれた。そこに洞窟を抜ける様な音が伴うと、幾つかの視線がその原因を注視する。
それは岩の如き巨漢であり、それが大きく息を吸い込んでいる。つまりは——
『我が名はゴルドロス!! 【暴食】の魔王である!!』
部屋の中に振動をも齎した底ごもる大声量は、やはり水晶の炎を一段と激しく燃え上がらせた。するとその様子を見て、ゴルドロスは大きく頷く。
そんなゴルドロスを睨みつけるのは、耳に手を当てた女悪魔。それが眉を吊り上げ「チッ」と舌打ちをする。
そして改めて水晶と向き合うなり、不意に閃いたとばかりにその口元で下卑た笑みを浮かべた。
「我が名は二ヘロブリュタス、真の【暴食】の魔王なり」
……しかし水晶は反応を示さない。
周囲からは困惑の気配が漂う。
「何故だ! 我こそが【暴食】に相応しい! ゴルドロスなど図体がでかいだけでは無いか!」
「言ってくれるなブリュタスよ。だが我こそが既に【暴食】として認められた魔王である。真の【暴食】などと……くだらんぞ」
「貴様ぁ……我の身体が同じ程度にあったならば、より我の方が食う筈なのだぞ!」
「ブリュタスぅ、食う食わないは置いとくとして、こればかりは仕方のない事よ」
「ラータまで何を言う! では何か? この勇猛なる二ヘロブリュタスが【嫉妬】の魔王に相応しいと?」
その言葉を以って水晶が再び激しく燃え盛った。
一瞬唖然とした二ヘロブリュタスであったが、最早どうにもならないと悟ると、再びその玉座へと乱暴に腰を下ろした。
その後暫しの沈黙が流れると、一つの溜め息が溢れた。その出所は気怠そうな老人であり、その声はやはり嗄れたものであった。
「……我が名はアカイタイ【怠惰】の魔王」
水晶の炎がその承認を示すと、それを確認した上座の男が、初めて口を開く。
「新たに五名が無事【万魔殿】に認められたね。これに先代からの我々二人が加わり七つ。今ここに大罪魔王は復活した。……そこでだが、皆に一つ提案がある」
不意なそれに一同が注目すると、男は部屋の闇に向かってその視線を投げた。
「こちらへ」
その呼び掛けに現れたのは、いつの間にやらそこにいた少女。雰囲気としては、賢そうな目をしている……
何故か置かれていた八つ目の玉座、少女はその最後の空席の背後に控えると、一同に向けその頭を下げた。
それを受けて男が再びその口を開く。
「物事とは常に変化してゆく。それは人間も同様だね。ではそれが何を意味するか? つまりはその欲望も同様であり、時と共に少しずつ変化する物であると、僕は皆にそれを伝えたい」
静寂を以って肯定……男の言葉に異論はない様子。
「では欲望に変化があるならば、その権化たる我等はどうだろう。やはりそれも同様であると考えられる。つまりは、我等にも変化が必要であり、今回僕はそれに対応した、“八つ目”を据えたく思う」
「成る程、それが彼女であると?」
ベルドリッチが、改めてその少女を見定める。
「本来ならば君の範疇である物と推察するが、それの成長性と君の多忙振りを見ても悪くは無いと思っているよ」
「ルシファー、その欲とは一体……」
ベルドリッチの言葉に、ルシファーと呼ばれた上座の男は、少女を促した。
すると少女は頷き、改めて一堂を見回す。
「私の名前はオボイロイ。【強欲】の系譜に属する“知識”の悪魔です」
“知識”という言葉に、二ヘロブリュタスが首を傾げ、ベルドリッチが「ほお」と呟く。
「皆様、“知識”とは何でしょう? 遡ればそれは生きる為の“学び”であり、最低限の“基礎”でした。それはつまり経験の蓄積であり、発展を促すものとも言えます」
「うむ」
「ですが今においてはどうでしょう? 気付けば肥大化し、必ずしも生きる為の“学び”とは言い難く。もはや人は、それこそを求める時代となったのです」
「成る程、確かに……」
「更に時が進めば、事物が増え、概念が増え、数そのものが増える。つまりはそこには際限などありません。そしてその過程で生み出されるのは、武器であり毒であり害を成す為の兵器」
二ヘロブリュタスはひっそりと飽きると、何食わぬ顔で空気椅子に興じた。
「つまりは“知識”とは、皆さんのそれと共通した、謂わば不完全な存在たる人間を構成する上で欠かす事の出来ない要素であり、時としてその原動力となりうるものであり、過ぎたれば罪深い業となる“欲望”なのです」
「……と言う事だ」
オボイロイの弁を、ルシファーが締めくくると、大罪魔王達は様々な反応を見せたが、一様に好意的であった。
そんな様子を見て取ると、最初の若者が口を開く。
「ではオボイロイ、新たな玉座に着き【万魔殿】に刻んで見せろ」
オボイロイはそれに従い八つ目の玉座に座ると、水晶と向き合い、淡々とした面持ちで名乗りを上げる。
「我が名はオボイロイ、我が欲は“知識”。我が欲を受け入れよ【万魔殿】。新たな魔王として我を受け入れよ……」
その呼び掛けに水晶の炎が欠き消えると、俄かに場が騒ついた。瞬間拒否されたのかとも思われたが、それもすぐに杞憂となった。
水晶の中に小さな青い火が灯ると、それは【万魔殿】に新たな形として認められたのだと言う事を報せた。
この時行われた悪魔会議にて、八つ目の大罪魔王が誕生すると、新たに【八つの大罪】なる新体制を以って、魔界は再び蠢き始める。