33. 奇術師競技会・行き交う行進曲
柔らかな管楽器の連続した音から連なり始めた音色。まるで穏やかな午後の陽の光の中、湖畔の畦道を行くかの様な、実に気分が良いもの。
それと示し合わせたかの様に舞台の袖から現れたのは、よく肥えた大きな男。小気味の良い音色に合わせて、笑顔で緩やかに舞台上を進む。
そこで突如訪れる、突き上げる様な低い音。それは突発的な災いを予感させる。
それに合わせて肥えた男の方にも変化が起きた。何と男の陰から細長い別の顔が覗いているのだ。
ふと立ち止まり周囲を見渡すが、男はそれに気付かない。そして再び、緩やかに歩みを進める。
だがやはり不穏な気配に立ち止まると、辺りを探る様に首を巡らす。男の背後には、やはり細長い顔が覗いている。
もどかしくもそれに気付かない男は、気の所為だとばかりに笑顔で歩き回る。
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(……秘匿する真実を知りたいだと?)
ヴィランの放った言葉の意味。それについて思案するロインズ。
これは一国の王族に対して、中々に失礼な発言。何かを隠している事を前提にした言葉だからである。
国ともなれば、隠し事の一つや二つあるだろう。しかし、こうして面と向かって言う意味。
明らかに帝国は、何かに対して疑っていて、そしてそれを本人たるセインツの王族にぶつけて来ている。
(だが何について言っているんだ?)
秘匿と言われて思い当たる事は、中々に多い。裏町の様な側面を持つ、些か不均衡に過ぎた街の実態。亡国の姫君の生存とその居処。予言の鍵である書の盗難と、それに纏わる隠蔽。そしてそれらを王にすら隠しているという事実……
(待てよ、リベルタスの歓待の席で、ヴェルフリード殿はラトリス皇女の事で、矢鱈と……いや、あり得ない。ラトリス皇女が外と通じる可能性があるとすれば、つい先日の一回きり。イヴァラにしても姫から離れず城の中。ニーナは最近城下町に降りる事はあったが、あの娘が同伴する騎士の目を欺けるとも思えない。更には大前提として、それらの存在を知っていなければ、先ず成し得ない……)
ロインズは、リベルタスにおいて酔った挙句に口を滑らせたのが、まさかの自身であるとは夢にも思っていなかった。
(であれば、やはり予言の鍵となる書についてか? 特に帝国は予言を疑っていた様な対応も多かった……しかしそうなると、予言の仕組みも知らぬはずなのに、何処に確証を得て正面から来ているのだ?)
予言には過去様々な実績がある。故に近年的中率が下がっていようとも、そう簡単には無碍に出来ないのが各国の現状である。
何の確証も無しに予言を疑う様な事があれば、それはセインツの反感を買うだけでは無く、訪れる危機に対する優位性を失う恐れにも繋がる。
つまりは、正面から予言を疑うと言う事は
、何らかの思惑や確証が存在すると言う事。
「ヴィラン殿……」
ロインズが、更なる判断材料を得るべく、ヴィランへと向き直る。だが……
「あれは……一体」
だが当のヴィランは、一階観客席の何処かを見つめたまま、目を細め、呟いている。
「?」
そんなヴィランの様子に、ロインズだけでは無く、背後に控える侍女セネも気が付いた。
そして、ヴィランの視線の先を追う。
(あっ! あの子……)
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ビガロはヴァモヴァモと共に、様々な反応で沸き立つ観客席の合間を縫ってゆく。
舞台に釘付けであるらしい観客達は、目の前を横切る猛獣にも、気付かない様子である。
「ふぅ、色々と凄いね」
「うむ、不思議な程にな」
ベヘルド達が居る舞台脇から、客席を通り反対側へと抜けると、ビガロは振り返り感嘆を漏らした。続いたヴァモヴァモも、周囲を見回し同意する。
「あれ? ラトリス様じゃない……」
ビガロが石柱の向こう、二階席の上を見て呟いた。
其処に居るのは、ロインズ王子と見知らぬ女性。服装の特徴から、恐らく帝国の人間であると思われた。
「じゃあ、一体何処に……」
ビガロは、ラトリスがロインズと共に居るのだとばかり思っていた為、そこで見当を失ってしまった。
会場を見渡してみても、騒めく観客の中からでは、とても見つけられそうにない……
「また会ったわね」
突然、ビガロに背後から声が掛かる。
「あ、貴方は、リベルタスの王城の時の……」
振り向いたビガロの前に居たのは、見覚えのあるエプロンドレス姿の女性。ラトリスがロインズの側に居るのではと、助言を与えてくれた人物であった。
「無事にシルバリアまで来てたのね、良かった。その後どう? 皇女様には逢えそう?」
「いえ、既に逢えました」
その言葉に、侍女は僅かに驚いた表情を浮かべる。
「へぇ、それは良かったわね。それで皇女様は?」
「はい、普段は王城に居るみたいです。それから手紙をくれたんです。奇術師競技会で会いましょうって。だから今は、この劇場の何処かにいると思うんですけど……」
その言葉に、侍女は一瞬茫然とするが、不意に微笑を漏らす。
「ふふ、そうなの。凄いわね貴方」
ビガロは笑顔で返し、次いでヴァモヴァモにも向けた。その様子に、侍女はヴァモヴァモへと見定め、改めて感じ入る。
「随分と自然に接しているのね。本当に驚かされるわ、それで、例の奇術師……いや調教師でもあるかしら? 彼も一緒なの?」
「はい、今頃は……」
そこまで言いかけて、ビガロは口を噤んだ。フリオの奇術の裏側を、不用意に客席で漏らすなどあってはならない。
「ふふ、まぁ良いわ。それと、ラトリス様がこの中に居るのなら、私に任せてくれない? 貴方達には二つの大きな借りがあるし」
「本当ですか! ……二つの借り?」
一つは恐らく、ヴァモヴァモの襲撃の件であると思われたが……はて?
ともかく、不意に現れた心強い協力者の提案に、ビガロは笑顔で申し出を受け入れた。
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「ラトリス様、あまり良くは見えませんね」
そう囁いたのは、侍女ニーナであった。何やら舞台との間の客席に、一際座高の高い騎士が座している。
「我々が衆人の目に触れ難いよう、客席側にも壁を散らしている様ですね」
セインツ側による、咄嗟に取ったラトリスの配置替えという判断は、中々に厄介な席であった。周囲は近衛騎士達による巧みな目隠しと監視、頭上からはロインズ王子とマイツマン侯爵による更なる監視。
「これでは、あの者の計画も難しいのでは……」
そんなイヴァラの言葉に対し、ラトリスは意外にも平静であった。
「いえ、私は互いを信じるあの二人を信じます」
そう言い切ったラトリスの胸元、そこには、いつかの奇術師が置き土産にと残していった、懐かしい赤い花が添えられている。
「そうですね。私達が動けば、直ぐに城中へと連れ戻されてしまう。彼らに気付いて貰うしかありませんからね」
イヴァラは頭上からの視線を感じつつも、二人を信じるラトリスを信じる事にした。
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一方街の外。
カッパード裏町からの遠征民達は、大小様々な大量の革袋を荷車に積み込んでいた。大量の雨水を含んでいるそれらは、非常に重く、作業は皆で少しずつ進められていた。
「中身を零さないようにな! 慌てるなよ!」
そしてそれらを取り纏めるのは、やはりサイラスであった。自らもその太い腕で、率先して革袋を積み込んでゆく。
「あと、梃子の部品と管も忘れるなよ!」
サイラスが指示したのは、大きな木製の板と同じ様に木製の部品群。現場に持ち込み、その場で組み上げる物。
「管ってこれでしょ〜?」
そこにルティエルが、蜷局を巻いた管を手に現れた。
「お、ルティエルも手伝うのかよ?」
「……気が紛れるのよ」
「よくわからねぇけど、じゃあ頼むわ」
そんなルティエルに続いて、女子供も様々な管を運び込んでゆく。それは革袋と同じ数だけあるらしく、太さも様々であった。
「もう此処まで来ちまったんだ。やるしかねぇ、そんでどうせやるなら一番だろ……」
サイラスの呟きに、ルティエルはやれやれといった様子で、作業を手伝う。
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一定の調子で流れていた音色が、その振り幅も大きく両極を奏でていくと、いつの間にやら歩き回っていた、細長く背の高い男が、同じく歩き回っていた肥えた男の陰に消える。
劇場は何とも不思議な感覚に包まれ、観客の反応も様々であった。
曲が終わり二人が並び立つと笑顔で挨拶をして見せる。それを見て、漸く観客達は安堵を浮かべ、拍手を送る事となった。