27. 知り得た者共
明くる日の午前。
本日も広場では、猛獣を連れた絵描きが張込みを行う。
「この街の人間はヴァモヴァモを見ても、そこまで驚かないんだな」
何処からかふらりと現れたベヘルドが、合流しつつそう呟いた。
「はい、奇術師競技会が開かれる位だから、珍しい物にも耐性があるのかも知れません」
「奇術師競技会?」
ベヘルドの初耳といった様子に、ビガロは客から得られた情報を伝えていく。
「この広場の裏、壁の上に大きな柱が見えますか? あれが建ってる所には野外劇場があって、そこでその奇術師競技会が開かれるそうです」
ビガロの説明にそちらを伺い、ベヘルドは顎を摩った。その表情は次第に口角を吊り上げていく。
「あっはっは! 良いね! 見えてきたよ、マガツはそこでまた何かするんだな」
「んー……どうなんですかね? カッパードを出てから、まだ会えてないから」
「いや、彼奴の事だ。間違いないよ、絶対何か騒ぎを起こすね」
ご機嫌な様子のベヘルドに、ビガロはどの様に反応を示して良いか判らなかった。
(確かに、カーマインなら何かするのかも知れない。リベルタスの様な事にならなければいいけど……)
そんなビガロの不安を余所に、本来の目的への兆候が表れた。
王城の門が僅かに開かれ、その隙間からは先日同様2人組み。よく見ると、騎士は別人である事が伺えるが、外嚢の方は同一である様に思われた。
「お、ビガロちゃん、やるなぁ。本当に今日も出てきたよ」
「はい、昔からラトリス様は何故だか私の考えが分かるみたいで、あの花の絵を見れば、私の存在にも気付いてくれると思ったんです」
嬉しそうにビガロが微笑んだ。
「じゃあ今日は、ビガロちゃんだな」
ベヘルドの言葉に、ビガロは立ち上がり頷くと、2人組みの進路上の先へと向かっていく。
そこでおもむろに腰を下ろし、道端のいち絵描きとなる。
それを視線の先に捉えたのか、外嚢の少女は思わず我慢出来ずといった様子で、俯き、そしてはにかんだ。どうやら気付いた様である。
「ヴァモヴァモ、お前が行くと連れの騎士が警戒するからな」
ベヘルドの言葉に、ヴァモヴァモは、分かっいるとばかりに鼻息を一つ。事の成り行きを静観する。
「あの、絵は如何ですか?」
ビガロが2人組みに声を掛けると、2人は立ち止まり、騎士が連れを窺う。
「ふむ、如何する」
「……見せて貰っても良いですか?」
少女であろう外嚢が、絵描きからスケッチブックを受け取る。
少女はその表面に触れ、大事そうにゆっくりと捲りながら、絵を見ていく。
そこに描かれるのは、絵描きが旅の中で見てきたであろう景色や人々、それに亡国の姫君……
「何だ? 泣いているのか?」
騎士の言葉に少女を見ると、僅かに肩を震わせていた。
そこでビガロは、漸くある事に気付いた、そして目を見開く。
「ラ、ラ、ラ、ラト……」
ビガロの言葉に本を閉じると、外嚢の少女の頰を一筋の涙が伝う。
「ありがとう御座いました、今はあまり時間もないので……次に会う時は、ゆっくりと見せて下さいね」
優しい笑みを浮かべる口元は、その様に言葉を告げると、騎士と共にその場を立ち去って行く。
ビガロはその後ろ姿を見つめたまま、景色がぼやけて行くのが分った。
「おーい、どうだった? 何か情報の交換は出来たか?」
「ラ、ラ、ラ、ラト……」
「んー?」
「ラトリス様でした〜〜」
スケッチブックを受けとった姿勢のまま、ビガロはそう告げ、子供の様に泣き出した。
その様子にベヘルドは驚き、周囲を見回す。
「お、落ち着けよ、良かったな。まさかいきなり目的と会えるなんて」
「うわぁ〜〜ん、無事だったよ〜〜」
盛大に泣き続けるビガロ。それに困惑しつつ、スケッチブックを持ってやると、広場の隅へ場所を移す。尚も泣き続けるビガロを横目に何気無しにパラパラと捲ると、そこに挟まる物に気が付いた。
「おお、ビガロちゃん、見てみろよ」
ベヘルドが差し出したのは、茶気た紙。
だが、ビガロの視界はぼやけて見えない。仕方がないので、ベヘルドはその紙に記された文字を言葉にする。
「奇術師競技会で会いましょう」
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「ラトリス様、困りますな」
マイツマン侯爵が険しい表情で言い放つ。その隣では、ロインズ王子も困惑を浮かべる。
「あの様にでもしない限り、私は外へ出して頂けないと思いましたので」
ラトリスは毅然と向かい合い、反論を述べた。その様子に、マイツマン侯爵はロインズへと視線を移す。それを受けて、吐息を一つ、ロインズが口を開いた。
「だけど、ラトリス様。何もあの様な策を弄し騎士を騙す様な真似をせずとも……」
ロインズが言及するのは、つい先刻の事。自室の寝所に侍女ニーナを潜り込ませ、その代わりに自ら城下街へ降りるという、ラトリスにしては大胆過ぎる行動。
「では、お願いすれば出して頂けるのですか?」
ラトリスの言にマイツマン侯爵は渋い顔をし、ロインズは知らぬふりを決め込む。
「やはり許しては頂けないのですね。私も中庭だけでなく、人々と触れ、様々なお話をしたいのです。この様な状況では息が詰まってしまいます。それこそ……窒息してしまうかも知れません」
その言葉に慌てたのはロインズであった。窒息は困るとばかりに、笑顔を取り繕う。
「分かりました。ですが、我々を騙す様な真似はおやめ下さい」
「騙されているのは、果たして貴方方なのでしょうか? 私はここ1年程、ずっと騙されていたのではと思って参りました」
いつに無く挑戦的なラトリス。その瞳は真っ直ぐに2人を見つめる。
だが、マイツマン侯爵は毛皮の毛並みに気を逸らし、ロインズは困惑顔で頰をかくばかり。
「それでも私は貴方方に感謝していますし、信じたいとも思っています」
その言葉にロインズは安堵し、胸を撫で下ろした。
「ですから、私にも見せて頂きたいのです」
唐突な話の流れに、マイツマン侯爵は目を細め、ロインズはラトリスの意図を窺う。
「奇術師競技会なるものを」
ラトリスの考え、それは無茶をされては困るという者達、特に目の前の2人の妥協点。
ロインズ単体であれば、まだ多少はマシといった所であったが、マイツマン侯爵は厳しくその内容を精査する。
であればと、マイツマン侯爵が趣味とし、また主催する彼の競技会に目を付けた。
そこを訪れるという事、そこに含まれるのは、侯爵の他者へ対する着飾るという行為の本質、『承認欲求』を刺激する。尚且つ目の届く範囲である事も勿論判断材料となるだろう。
「うーむ……そうですなぁ、競技会はラトリス様もご覧になりたいでしょうなぁ。儂が開催する素晴らしい催し。うーむ……」
「マイツマン侯爵、本当に大丈夫だろうか? 当日は勇者も来るのだろう?」
意外な事に、否定的だったのはロインズであった。確かにその立場で考えた場合、常人とは一線を画す勇者の存在は、気にかかる。下手に出逢わせようものなら、たちまち騒ぎとなり、取り繕うのも難しい。
だがその様な物は、マイツマン侯爵にとって「何を今更」といった程度の事。要は気を付ければ良いだけの単純で簡単な話である。他の物事と同じ、結局は自分の思い通りになる。
そしてそう短絡的に考えてしまう程、侯爵は力を有しているという自負もある。
(この方達は自らの『虚飾』を国にまで及ぼし、それに彩られたセインツにおいて、マイツマン侯爵などは特に『傲慢』です……)
「ふむ、良いでしょう。断って勝手に出向かれるよりは、マシですからな」
「ありがとうございます」
ラトリスは安堵の息を吐いた。そして、行動に出る為の力をくれた友人に対し、人知れず感謝した。
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平野部を駆ける一台の馬車。
その形や意匠を見れば、その馬車がセインツ王国の貴族位の物であると判る。
馬の毛並み、御者の服装、馬車は箱型、意匠も贅沢に……
此処まで徹底されているのは、その持ち主の趣向であるかと言うと、実はそうではない。どちらかと言えば、対面を気にした物であり、上役の趣向。
民に迄強いている『意匠費』を、その上の貴族が蔑ろにする訳にもいかない。ましてや領主ともなれば尚更である。
そんな馬車の車中において、伯爵夫人は息子の頭を撫でる。その息子の手には、いつかの妖精に似た飴が握られていた。
「彼は先行していると言いましたけど、道中大丈夫なのかしら……路銀も掛かるでしょうに」
「うむ、充分な支度はあるようだ。もしかしたら何処ぞの貴族が支援していたのかもしれんな」
ビネガ伯爵はその様に語る。それでなければ現在この場には、フリオも同席していた事だろう。
「奇術師競技会……今回で2度目と言いましたね。そもそも何故このような会を開いたのかしら」
「うむ、1度目の開催は、広間で晩餐を供しながら楽しむ程度の物であったのだが、侯爵は何やらリベルタス領にある『奇術師の街』とやらを訪れたらしくてな、鼻息も荒く帰って来たのだ。
更には先日、街の夜空に花を咲かす奇術が行われたとかで、それを耳にすれば尚の事」
ルノーラ夫人は些か呆れた様にため息をこぼした。
「『書』を管理しているのも侯爵。王は病床、王子は言いなり、全てがあの方の手にある訳ね。それは好き勝手になさる訳だわ」
ルノーラの言葉に、ビネガはギョッと窓から街道を見渡す。走る馬車の中の会話を聞く者などいる訳はないが、条件反射のような物であった。
「ふむ、それなのだが……最近『予言』の頻度が落ちた」
「そうなのですか?」
「うむ、以前であれば、もっと多くの予言を行なっていた」
セインツ王国が行う『予言』というのは、国の重鎮や各国の要人、限られた者の中でのみ開示される。存在そのものを知る者はまま居るが、多くはルノーラ程度にしか知り得ない。
「それにな、その信頼度も低いのだ。読み解かなければならない為、解釈次第では間違える事もある。しかし、それを鑑みても的中率が低過ぎるのだ。一部の人間はそれを疑い始めている」
「どういう事なの?」
「うむ、『予言の書』が機能していないのではないかとな」
「でも、それでしたらその様に言えば済むのではないかしら?」
「セインツは『予言』により多大な恩恵を受けている。それが機能しなくなれば勿論恩恵も失われる。何より、それを管理し一番の恩恵を受けるマイツマン侯爵が、素直に諦めるとも思えん」
「では機能していないのに嘘を?」
「的中率が低過ぎる理由としてはあり得るかも知れん。彼の聖魔大戦の事すら予測出来なかったのだからな。一国が滅ぶ程の厄災を見逃す事があり得るのか、仮に機能してそれならば、それはもう予言などでは無い」
「流石にそれは……王子もいいなりでは済まないのではないかしら?」
「うむ、その通りだ、その通りなのだが何もしない、それどころか馬鹿げた意匠費などというものを法律に加えた。最早あの方はあの方で問題なのだ」
「対外政策の一環ではなかったのですか?」
「そんな馬鹿げた方法は取るまい。何に対して、誰に対して、この様な見栄を張るのか。ギロチン王に着飾って見せた所で、何の意味もなかろう?」
そこまで語って、ルノーラ夫人の視線がふとビネガの背後、馬車前方に向くのが分かった。ビネガが振り向くと、御者台からの小窓が開いていた。
「お話中失礼します。もう直ぐドスチールの街に着きます」
御者から報告を聞き、ルノーラは息子と共に窓から覗いた。続く平地の向こうに街が見えている。
「……しかし全ては社交場の裏の噂の範疇であり、いづれも下らんものばかり。故に他言はならんぞ?」
ビネガは妻と、遠回しに御者へ忠告する。御者がぽかんとした表情を浮かべるの見て、杞憂であったと息を吐く。
一方、普段中々聞けない国の深い実情を知り、ルノーラ夫人は国の行く末を憂いた。