17. 迷える者共
ここまでを第1章とします。
アレスタ達は王都を出発し、北を目指していた。
その理由は、ハモンド王から大陸会議を前に、奇術師に関する情報を与えられた為である。
アレスタの知らされていない、リベルタスの占星術師とやらが言うには、奇術師は北へ向かったそうであった。リベルタス王国の北、地図上では真っ直ぐセインツ王国である。
その二カ国の間を少なくない回数行き来してきたアレスタ達は、常人が使えない様な道無き道を選択する。つまりは近道。
鬱蒼とした森の中であっても、ちょっとした岩場や、癖のある樹木はその目印となり、アレスタを目的地へと導いてきた。
だが、現在。アレスタは1人道に迷っていた。
普段、木を多量に消費するからと行われた、先行する何処ぞの奇術師による植林により、見憶えのあった『道無き道』は『道無き……』となっていた。
「くそ、おかしい。普段よりもやたらと木が多い」
サアラも、いつの間にやら姿が見えなくなり、アレスタは僅かに焦りを感じていた。奇術師を取り逃がした時から、自らの中にある苛立ちが、徐々に膨れ上がる。
だがアレスタも、幾多もの修羅場を潜り抜けてきた勇者であり、普段は感情に任せて剣を抜いたりはしない。
周囲を観察し、近場に泉を見つけると、頭を冷やす為に立ち寄る。
「落ち着けよ、アレスタ」
自らに言い聞かせ、泉に手を触れようと腕を伸ばす。と同時にいくつかの小さな波紋が、広がった。
朝方からの曇り空が、ここに来て雨となった。
「悪いことは重なるな」
旅装の外嚢に包まり、泉の奥に見える岩場へと、駆け出した。
「あら、今日わ」
「ああ、先客が居たか」
屋根の様に突き出た岩場の下へ入ると、美しい女が腰をかけて居た。その先客はアレスタへと、優しい笑みで挨拶をする。
その神秘的な美しさに微笑みを向けられ、流石のアレスタも一瞬魅せられてしまった。
「何やら、元気が無さそうですね」
「え、まぁ、道に迷って、仲間とも逸れ、おまけに雨だからな」
「そうでしたか、それはツイていませんでしたね」
女が美しい金髪を耳に掛けると、黒く輝く耳飾りが伺える。女の白さと相まって、そのはっきりとした明暗が両方の美しさを更に引き上げる。
「ん、その耳……」
アレスタが気付いたのは、女の耳の形であった。それは尖っており、神話に現れる森の住人に酷似していた。
「これに気付いた人は、皆私の事をエルフと呼ぶの、言っておくと違いますからね」
美しい大人の女性の姿で、僅かにそっぽを向いて見せた。その姿は、見た目に反して無邪気な様子であり、アレスタの頰を僅かに緩めた。
「私は悪魔。泉の悪魔テヘネセスよ」
その女は穏やかな様子も崩さず、自らを泉の悪魔と名乗った。
アレスタは目を見開き、改めて女を見る。
「貴様、悪魔だったとは……」
悪魔を前にすれば、怒りの炎を動力に自ずと身体は動く。
だが、この時はいつものアレスタとは違った。怒りが湧いてこない……
「悪魔め、何をした」
「何も、ただ私の欲は『平穏』。私や、この泉の側では様々な感情は、緩やかに地に足を着ける。貴方の異常とも取れる怒りと現状による焦燥も、今は落ち着いているでしょ?」
「……確かに。だが、なぜそれを」
「んー……なんとなく感じ取れるの、推察だけどね」
テヘネセスが言うように、アレスタは不思議と冷静であり、それは悪魔との対話を可能とした。普段であれば、考えられない事であり、サアラはさぞ驚いた事であろう。
「貴方は何にそんなに怒っていたの?」
「ふん……俺は、俺の弱さと悪魔が許せんのだ」
そう言いアレスタは腕を組み、何と無しに語る。
「俺がまだ幼き頃、悪魔に街を襲われた。その悪魔は数多の羽虫に分かれ、至る所で人を……いや、全てを覆い尽くした。
幼き時分故何も出来ず、俺は……全てを置き去りした。泣きながら必死に川へ飛び込んだのを今でも夢に見る……消えないんだ、その時の後悔と、恐怖と、怒りが。
故に俺は強くなった。勇者と成るべく、悪魔を斬り、成った現在もまた、悪魔を斬っている……
なのに、未だ足りないのだ。あの恐ろしい虫の悪魔を倒せるだけの力が……」
「なるほど」
アレスタの話を静かに聴いていたテヘネセスが、そっと呟き、アレスタを見る。
「それは『悪魔王ベルゼブブ』でしょうね」
その言葉にアレスタは大きく目を見開き、テヘネセスへと振り返る。悪魔王、ベルゼブブ……
「貴方の怒りは解りました。でも、悪魔だからと闇雲に斬ってしまうのは如何でしょう? こうして会話する事で、これ程の情報を得られたのです。そうでなくても、会話は大事です。相手を見極め、言葉を紡いでみては?」
テヘネセスの言葉は、その影響下にある冷静なアレスタの頭に染み込んでいく。余計な強がりや、反抗心も無く、今はすんなり受け入れる事が出来た。
「ふん、貴様は悪魔だが、その術は見事だ。それと忠告も……まぁ素直に受け取っておこう。直ぐにとは如何だろうがな。
正直、貴様が人間であればと思わなくもない」
「ふふ、それはどうも」
通り雨だったのか、幾分雨脚が弱くなると、アレスタは岩場を出ていく。
「仲間を探さねばならん。テヘネセス、その名を覚えておこう」
そう言い残し、サアラを探す為再び森へと戻っていった。
残ったテヘネセスは、アレスタを見送ると思い出したかのように、呟いた。
「仲間……そういえばベヘルドと一緒にいた娘も仲間と逸れたって言っていたわね」
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ベヘルドは森の中を疾走していた。その理由は背後にある。
「待ってってば! 落ち着きなさいよ! とって喰ったりしないから!」
サアラである。森の中で遭遇し、付きまとわれいた。
「何でだよ、もういいだろう!」
「駄目よ、アレスタが来るまで待ちなさいよ、私そんなに戦闘得意じゃないんだから、魔獣にでも遭遇したらどうするの?」
「俺は悪魔だぞ! 魔獣より怖がれよ!」
「トカゲなんでしょ? 別に爬虫類は嫌いじゃないし」
「好みなんて知るか! 俺は勇者に斬られるつもりは無いんだよ!」
「むむ、近いわね。アレスタを近くに感じるわ」
「げ、とにかく俺は……」
ベヘルドが更なる加速をかけようと踏み出した時、勢いよく何かにぶつかった。
「あ、アレスタ。やっと見つけたわ」
横たわるベヘルドの前方で、勇者は僅かにぐらついていた。
「おぉ、サアラか、無事で良かった」
サアラの姿を確認し、僅かに安堵を見せた。次いで、自らに突っ込んで来た物に目を向ける。瞬間目が見開かれた。
ベヘルドとアレスタの視線が交錯する。
「よぉ、リベルタスの勇者。仲間に会えて良かったな。次からは逸れないように気を付けないといけないぞ。他人にまで迷惑がかかる。だが、ここの森も少し変わったみたいだし仕方ないな。まぁ、そんな時だからこそ逸れない様に注意する必要がある。となれば、手を繋ぐとかロープで結ぶとか方法はいろいろと……」
起き上がりながら、早口に捲し立て、ベヘルドはそのまま立ち去ろうとした。
だが、アレスタはゆっくり後を追う。
「アレスタ、まぁ落ち着こうよ。このトカゲ君、随分と道に詳しいみたいだし、案内して貰うのはどう?」
咄嗟にサアラが間に入った。アレスタは悪魔を前に相変わらずの殺気を放つ。その姿は、幽鬼のようにゆらゆらと揺れていて、サアラの言葉が届いているかも怪しかった。
「ま、待てよ。いや本当に! 森から出たいんだろ? 連れてってやっても良いんだぜ」
ベヘルドの言葉に、アレスタはハッと我に帰る。頭の中には泉の悪魔の姿が蘇り、泉の側にあった時の自分の感覚を呼び起こす。奥歯を噛み締め、大量の冷や汗と共に、ベヘルドを睨み付けた。
「い、良いんだろう。んぐっ、俺達を北へ連れて行け」
アレスタは己の成長に繋がるであろう努力をしていた。まあ、斬ろうと思えばいつでも出来る。そう、俺は前に進む……
そんな様子にサアラは、アレスタが本物なのかと訝しむ。ベヘルドも同様であったが、此方は藪蛇は突かない。アレスタの機嫌に己の命運がかかっているからだ。
(くそ、凄く面倒な事になったぞ……)
ベヘルドは汗をかかない。本来の姿が蜥蜴故かは判らないが……しかし、内心ぐっしょりであった。
「良かったわね、トカゲ君」
サアラは微笑む。そこに悪意は無かった。
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日が暮れ、闇が完全に辺りを包む。リベルタスの北に位置する名もなき深き森。その森の中において、夜空の星が望める程の開けた岩場の上には、簡素なテントが張られていた。
そうする事で、地上に張るよりも遥かに安全に睡眠を得る事が出来る。
そして現在、その脇では火が焚かれおり、芳しい香りが、漂っていた。
「大陸会議、どうなったのかしらね」
「あぁ、セインツに入れば少しは知れるだろうが……」
サアラが木製の杯を片手に、アレスタへと問いかける。木製の杯は、ただ掘り出しただけの物ではなく、彫刻を施され、焼かれ、処理をするといった、加工された民芸品の様なものである。
その杯の中では、琥珀色のスープが湯気を立てる。それは以前、奇術師の街で売られていた数量限定の固形スープ『コンソメ』であった。
サアラは、物珍しさと利便性、それに数量限定という文句に釣られ、幾つか購入していた。そしてその買い物は、サアラにとって大成功と言わざるおえなかった。
サアラは日々の中にある発見や驚き、夜空の星の美しさを楽しむ術をしっている。
それ故に、周りに配慮する事も忘れないし、何より、アレスタに対する、異能以外での補助役としても優秀であった。つまりはサアラあっての勇者アレスタである。
「ねぇ、トカゲ君。悪魔は食事をどうしてるの?」
唐突にサアラが尋ねたのは、端で寝転ぶベヘルドに対してである。ベヘルドは手をひらひらと返し、面倒臭そうに答える。
「基本無くても困らない。食べたいと思えば、腹が減る。普通はな」
「普通じゃないのは?」
「食べたいと思い続ける。満腹感とかじゃないから、際限無く喰らう」
「暴食ってやつ?」
「暴食? 魔王の事か? あの方達は馬鹿じゃないから、節度はある。節度が無いのは、衝動系。本能のままに食い続ける」
魔王という言葉に、アレスタが反応を示す。悪魔王……
「おい、トカゲの悪魔」
「トカゲ、トカゲ辞めてくれるか? 俺はベヘルド。炎を貪る漆黒の竜帝の末裔」
少し雰囲気を出しながら、ベヘルドが改めて名乗った。だが、それに帰ってきたのはサアラの笑い声であった。
「格好つけすぎよ。火を噴く黒トカゲでしょ」
「ちっ」
「おい、ベヘルドとやら、貴様は悪魔王ベルゼブブを知っているか」
「ああ、元悪魔王の一人だな」
「元? 今は違うのか?」
「死んだからな、コキュートスの底で永劫の眠りについてるんじゃないか?」
その言葉に、アレスタは声を失った。頭の中が真っ白になっていく。それとは対照的に、表現しようのない、悶々とした物が胸中に渦巻く。
アレスタの様子を不思議に思いつつ、サアラが好奇心から尋ねた。
「へー、その魔王はなんで死んだの?」
「確か、魔神にちょっかいかけて返り討ちに遭ったんだっけか、それでベルゼブブ王が死んだから、後々に聖魔戦争が起こったんだったような……俺は当事者じゃないから詳しくは知らないけどな」
「え? ……それって、凄く重要な話しよね。初耳なんだけど」
「そうか? ……まぁ、確かに人間と悪魔でこういう話をする事は無いだろうな」
「あの奇術師は? えーと、ほら! 名前何だっけ?」
「ふん、ダメだな。そんな手には引っかからない。あいつの名前は言わない。
……でも、そうだな。あいつもそこら辺の事はちょくちょく知ってたな」
「へー、不思議な奴ね」
「奇術師ってそういうものなんだろう?」
「さぁ、私が知ってるのはちょっとした手品を見せる位だから、例えば……」
重要だった話は、いつの間にか手品の種明かしへと移行していく。
意外と話が合うらしいベヘルドとサアラの会話は、本人達も気付かぬままにだらだらと続いていった。
第1章リベルタス騒乱編はサアラとベヘルドによる夜空のお喋りでおしまいです。
読んで下さる方々、ありがとうございます。