10. 奇術師とヴァモヴァモ
9/3 加筆修正。
ヴァモヴァモは内心困惑していた。突如現れた乱入者。全く読めない奇術。巧く事を運べていないこの状況に……
彼の欲求は強い群れと戦い勝利し、それを自らの群れに取り込み草原を駆け抜ける。それだけであり、それが全てである。
故に、帝国軍を見つけた際は喜びと興奮で一杯であった。
そして何より、馬車から顔を出した人間。それは彼と同じく、群れの頂きに立つ支配者特有の匂いを持った、皇帝ヴェルフリード。今は、彼を降す事こそがヴァモヴァモの欲望を満たすのであった。
「そうだな、貴様には……俺とビガロのモデルになって貰おう」
ヴァモヴァモは人間の言葉こそ発しないが、意味は大体理解出来る。だが思考は人間とは違う為、そのままの意味で捉える事が多く、裏の意味や冗談といった、感情の上に成り立つものなどはあまり通じない。
故に、マガツがこの場でヴァモヴァモを調教するだのモデルにするだのと言った言葉に対して、「この人間は戦いの場で何を言っているのだ?」という風にしか捉えられず、より一層の困惑を生んでいる。
マガツにおいては言葉の通りで、他意はない訳であるが……
「どうした? まずは俺が相手をしてやるぞ」
マガツが自らの周囲に、器用に円刃を走らせると、地面の至る所に深い溝が刻まれてゆく。恐らくは円刃の切れ味を見せ付け、必要以上に懐に入られない為である。……とヴァモヴァモの直感が判断する。
だがその安い行為によって、円刃の刃が欠け始めている。あれならば自らの堅い表皮は貫けまい……そう思っていると、マガツは左手でスカーフを取り外した。
そして自らの前に円刃を立たせ、それを隠すように布を広げて見せる。
その布で隠す事に何の意味があるのか、刃共々切り裂いてやろう……ヴァモヴァモは鼻息も荒く、地面を抉り地を駆け出した。
「差し詰め闘牛といった所か」
マガツの呟きなど意に介さず、ヴァモヴァモは布を無視し、唸り声と共に頭から突っ込んだ。それと同時に振り下ろされた爪は、手応えの無い虚空を泳ぐ……
目測を誤ったのだと判断し更に唸ると、地を砕く勢いで大きく踏み出す。頭を覆う布も煩しげに、目の前の闇を獰猛に引っ掻き回した。マガツにとっては掠めただけで大きな手傷となり兼ねない、鋭く重い爪である。
何処に行ったのだ……いい加減鬱陶しい布を振り払おうと首を振るが、それは一向に取れない。布は粘着性を以ってヴァモヴァモの顔面へと張り付き、完全に視界を奪い去っている。
「お前の中には序列構造が存在するのだろう、であればその一番上の席に俺が座り、解らせる他ないな」
マガツの声は上からであった。
ヴァモヴァモには分からなかったが、ゲシュルトは見ていた。
黒豹が突っ込んだ際、円刃の内側に足を掛け、さながら乗り物にでも乗るようにして上空へと逃れたのだ。そしてそれは今尚続いている。
「確かにあれは奇術師の様なやり口ですが……一体どうなっているのでしょうか。浮いてますよね?」
「……さぁな、だが絶好の機会だ」
ヴェルフリードが白馬の腹を蹴ると、駆け出す騎乗で剣を構えた。更に姿勢を低く加速していくと、もがき続ける黒豹目掛けてすれ違い様に斬りつける。
「ほぅ、ヴァモヴァモに傷をつけるとは」
マガツの言葉の通り、ヴェルフリードの一太刀は、黒豹の脚の付け根に大きな傷を残した。
だが、当の本人は納得いかないといった様子で顔を顰めている……
「何という堅さだ。対悪魔用に作らせた特注品なのだぞ」
そんなヴェルフリードの様子よりも、俄然苛立ちを募らせるのは、当のヴァモヴァモである。
ヴァモヴァモは、いよいよ怒りも露わに大地を踏みしめた。
すると、しなやかな身体の至る所が盛り上がり、その肢体を膨張させていく。それと共に顔面を覆っていた布は張ちきれ、恐ろしい双眸が覗き、それはマガツ達を睨み付ける。
「な、何という……陛下! お下がりください!」
「ふむ、あれが悪魔ヴァモヴァモの本来の姿か」
「……化け物め」
本来の悪魔の姿へと変貌していくヴァモヴァモは、皇帝専用馬車よりも更に一回り大きく、真っ赤な鬣を持った巨大な黒獅子へと変わってゆく……
その尻尾の表皮は鱗で覆われ、先端部は鋭利な槍の様であり、人間等は容易く断ち切られてしまうであろう。
そして驚くべき事に、それは未だ成長を続けている……
「所で、お前は何者なのだ?」
唐突にマガツはヴェルフリードに尋ねた。それを目にしたゲシュルトは怒りも露わに、マガツへと抗議の声を上げる。
「貴様! その御方は、フリーデン帝国、第8代皇帝ヴェルフリード様なのだぞ! それをお前などと!」
「ふむ、そうだったか、これは失敬。では、ヴェルフリード殿、それであれば此処は俺に任せて頂きたい。皇帝という事は、この度の大陸会議とやらでいらしたのであろう?」
マガツが薄っすら微笑みを浮かべて、ヴェルフリードに提言する。するとヴェルフリードは上空を飛んでいる天使を、次いでビガロを、そして今一度マガツを見やり、1つ息を吐いた。
「……いいだろう。だがそうなると、獣共も全て請け負うというのか?」
ヴェルフリードが指し示すのは、未だ戦闘を続ける第三師団と魔獣や獣の群れ。どちらにも少なくない被害が出ている。マガツのいう此処とは、それらを含む戦場であり、任せろというのは、そういう事である。
「そうだな……まぁ、やってみよう」
ヴェルフリードはマガツの瞳を伺うが、これといって何も得られない。しかしこの場合、この男が読めないという事こそ得られた物でもあるが……
「では振り返らずに全速前進でお願いしたい」
ゲシュルトが困惑を浮かべて口を開こうとするのを、ヴェルフリードが手で制し止めた。皇帝の決定は絶対である。故にそれは忠誠を以って、冷静且つ速やかに全軍へと伝達されてゆく……
「では、奇術師マガツとやら、合図はお前に任せよう」
「うむ、任せて頂こう」
いよいよヴァモヴァモも準備が整ったのか、大地が振動する様な雄叫びをあげる。気の小さな者等は、それだけで動けなくなってしまうだろう。実際、馬車の中にある筈の宰相ワルマインであったが、その目に見えない圧力に失神してしまっていた。
しかしそれにも構わずマガツは進み出る。
「草原の悪魔ヴァモヴァモよ! 先ずは俺を倒し、従えてみせろ! それが出来ないと言うのなら大人しくモデルとなるのだ!」
マガツが少し気合いを入れ、大地に両方の拳を叩きつける。
すると大地から現出した巨大な掌が、ヴァモヴァモを上空へとかち上げた。その巨体を今度は拳が殴り上げる。それは怒涛の打撃による胴上げであった。
そしてその光景は、流石の獣達であっても無視をするには無理があった。獣達は距離を取り、各々で吼えまくる……
その隙に、皇帝やゲシュルト率いる第三師団は平原を駆け抜ける。鳴り止まない衝撃音に背中を押され、大地の起伏を避け、今は突破する事だけを考え全速前進する……
暫くして漸く平原街道を抜けた頃。帝国軍第三師団のいる場所からは、遠目に未だ土煙を上げる街道が伺える。
その様子に、皇帝は自らの手にある剣を眺め、その口を開いた。
「あの奇術師はリベルタスの者か? 何とも得体の知れない奴だった……ゲシュルトよ、奴に関しても調べておけ。あの悪魔を討ち生き延びる様な者であったなら、敵であった場合脅威になるやもしれん……」
「はっ!」
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帝国軍の突破が確認され、未だ大量の砂煙が漂う場所には、巨大なルミリエールが建ち並んでいた。そして、その内の一体が衝撃音と共に崩れ去った。
「どうなったの? よく見えない」
「カーマインは無事でしょうか?」
上空から様子を伺うルティエルとビガロは、砂煙によって視界を遮られている。無論、マガツとヴァモヴァモの双方とも確認出来ないでいた。
しかし、直ぐに悪魔の咆哮が木霊した。
「ルゥガァアア!!」
大気を揺らす程の声量。それは、怒りを多分に含んでいる事が窺える。あれ程の数の彫像の打撃を受けて、健在であり、尚も猛り狂っている様であった。
「あれは、危険過ぎるわ。かなり上位の悪魔じゃないかしら……」
「草原の悪魔ヴァモヴァモって言うらしいですよ」
「ああ、どおりで……衝動系の逸れ悪魔ね」
「衝動系?」
「そう、悪魔の中には強すぎる欲望で自我を保てず、衝動でのみ動く奴らがいるの。そんな奴は悪魔からも煙たがられてて……でもそれと同時に純粋な存在でもあるから、強力になる訳よ」
「ヴァモヴァモもそれですか?」
「うん、人より獣に近い欲望だから、衝動的なのは当然なんだけど」
「なるほど」
「あれが相手では、奇術師も直に天に召されるわね」
ルティエルが、2人の対決を占っていた頃、事態は佳境を迎えていた。
白の月が終わっている事、ルティエルが何も見えていない事、この2つの条件が揃った砂煙の中。決着は既に着いていた。
では何が佳境かと言うと、実は先程のヴァモヴァモの咆哮は、悲鳴であり、煙の中行われていたのは、正に調教であった。
そう、調教は佳境を迎えていた……