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死神の昔話。

遅れに遅れましたが、更新です。

弥太郎は、もう消えたいと思っていた。


理由は至極簡単なこと——己が妻子を取られて、それでもなお己は死神であることを選んだからだ。

その選択をするまではそれが正しいと思っていて、そして妻子にまで手は出さないとたかをくくっていた。


妻は己にはもったいない存在で、より真実に近いことを言えば、弥太郎に押し付けられた妻だった。村のまとめ役の近所だったがゆえに一緒に遊び、そして彼に一方的に恋い慕ったのが、その妻であった。


婚姻の話が出るやいなやその男の好みを調べ上げて別な女をあてがってしまう。


ほとほと困った村長が、結局孤児である弥太郎をめあわせることになったのだ。

「お前と結婚することになるとは思ってなかったぞ、俺は」

「さようですか」

「別れるなら今からでも遅く——」

そう言いかけた弥太郎を、妻は恐ろしいほどの微笑みでもって制した。


弥太郎が結婚を許されたもう一つの理由は、穢れを払える人間だったから、というのが大きい。


「なあ、師匠。俺、こんな幸せでいいのかな」

「それくらい己で考えよ、この阿呆弟子めが」

「阿呆とか言うなよ。あんたの可愛い弟子だろ」

「可愛い弟子なら己で可愛いとか言わぬわ」


べしっと叩かれて、彼は唇を尖らせた。

「だって、もう子供まで生まれるんだぞ?ありえなくないか?」

「馬鹿者、だったらキリキリ動いて穢れを払わんか。幼い子供は狙い目なのだぞ」

「へいへい、わかってますよ……と」


その口から、祝詞が紡がれる。ひたすらに唱え続けると、地面から光がわずかに漏れ出して行く。その光の粒子が立ち上る範囲はじわじわと広がって行き、そのまま村中を覆い尽くした。


「これでよかんべ?」

「ヒトの技であれば……」

次の瞬間だった。彼の目の前に、恐ろしいほどの力を持った何かが、立っていた。

『おや、母上ではありませぬか』

『なるほど母上ならば納得だ』

その二人の何かは、彼に手を差し伸べる。


『共に来い弥太郎。お主は、この中つ国に居るべき存在にあらず』

『我らと共に歩む者なり』

『断れば、——わかっておろう?』

……そして彼は、死神であることを選んだ。今自らが危機に晒されようと、未来で妻子を守れる可能性を選んだ。


しかし、彼はその目の前で連れて行かれる妻子を見ているしかなかった。半殺しになっている弥太郎を見て、妻は手を伸ばしたけれど、弥太郎はその後手を切り落とされ、そして死した。


弥太郎が目覚めたのは、それから三百年は経過した頃だったろう。


淀んだ気配の中から、息を吹き返した。自分の蝋のような色の手足に黒い装束。

——ああ、俺は死んだんだ。

それを把握すると、まざまざと妻子の顔が蘇ってくる。ひどく気持ち悪い。もう、動きたくない。死にたい。消えたいとそう願った。


けれど、腹も減らず息もしないそんな体では、傷を負わねば死ぬことはできない。


「……そうだ」

己に傷を負わせられる妖を探す。

そして限界まで自分を追い詰めてから、死ぬ。


弥太郎の頭の中にはそのことだけがグルグルと渦巻いていた。


その足で歩き回り、妖のいる場所を見つけては、斬る。

日毎にその欲求は強くなる。

「どけぇっ、雑魚がァ!!」

漆黒の鎌を振りかぶり、その妖の体を切り裂いて行く。これでは足りない。

もっと。

もっとだ。


目の前に、ふと一匹の死神が現れる。弥太郎は、それに向かって突進するように鎌を振るった。しかし右から左へ振り下ろされたそれは、見事に空振りを果たす。

「なんだと!」

「主が、黒の死神か?……意外に弱いな」

「っらぁ!!」


その超然とした姿。異国の服を身にまとい、白と黒の混じった長く腰まであるまっすぐな髪にすらりと伸びた大鎌。それらはひどく繊細だが、黒という色ゆえに凛とした印象をも与えた。そして、その二対の漆黒の瞳が交錯する。


片方は存在することへの絶望を。

片方はあるべき場所への渇望を。

それぞれはそれぞれのために、その大鎌を同時にふるった。

弥太郎の手には、じぃんと痺れるような感覚が残る。打ち合いの残滓だが、その感覚がひどく死にかけの精神に響いた。


「……なるほど確かに主が弱い理由は良くわかる……死への渇望、存在することへの絶望か。度し難い……我らの存在を愚弄することよ」

しゃ、と空気が裂ける音が響く。鎌が振り切った場所から戻されたのだ。それだけで、ひどく空気がその死神に支配されたような気がした。


弥太郎はニヤリと笑うと、そのまま自身の持っていた鎌を、殴打するような形で大きく振るう。その威力が凄まじいのを直感して、死神はそれを避ける。空中で静止したまま、両者は共に睨み合う。

「答えられぬとは思うが、主の名を聞いておこう」

「人に名前を聞く時はまず自分からじゃねぇのか?」

「そのような身勝手な取り決めは未だ耳にしたことはなかったが?」

「こまけーこたいいんだよ」

「……八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノノミコト)、そう呼ばれている。ヤツカ、そう呼べば問題ないだろう」

「ヤツカ。俺にはそんなご大層な名前はないんでね、死神って名乗ってんだよ」

「そうか」


その異国の服の袖が、神気の放出でぶわっと大きく膨らむ。

「……チッ、やっぱ腐っても神かよ」

「吐かせ、阿呆。主は人の身でありながら、人を抜いているではないか」

「まだこれでも俺は、人でいられんのかよ」

「我から見れば同じこと。そして神から見れば我らは同じもの。基準が異なればその見解の相違もあって当然」

「そりゃそうだ。じゃ、まあ……死合いましょうかね」


ごう、と神気の渦が吹き荒れる。しんしんと降り積もる雪のような神気。静けさに包まれながら、着実に何かを奪うような神気。

そして荒々しく全てを飲み込むような、大渦のような神気。

二つはぶつかり合って、空中で互いに反発し合い、弾け飛ぶ。


火花が散ったようにも思えるその直後には、二つの刃が重々しい音を立てて交錯していた。互いに己が扱えるだけの最大限の神気を込めて、重さを作り上げているのだ。それはわずかに技量で弥太郎が上を行き、純粋な力ではわずかにヤツカが勝る。


いくたびもそれが繰り返される。互いに消耗するのは神気のみで、食事も睡眠も必要としていないから、彼らはひたすら戦いに集中できた。しかし、それも消耗がある以上は終わりが訪れる。

二日目の昼過ぎ、その辺りで弥太郎の集中が切れてきた。最初はほんの些細なミスだった。


手首を返しそこね、鎌の取り回しが遅れた。そしてわき腹に一筋の傷を作られた。

「……浅かったようだな。運が良い」

「バカが、運だと?ふざけんじゃねぇぞ」

「ふざける?ふざけたことなど天地開闢より経験すらない。我は至極真面目だ……そう、主の体はヒトの範疇を越えていようと、主の精神は未だ幼く脆い人の有り様だ。これでは戦いではなくなぶることになってしまうだろう」

「……随分ペラペラ喋るなお前。そんな口叩いてて、良いのかよ」

「その言葉——」


その瞬間、弥太郎は自分の左肩が急に熱を帯びたように感じた。遅れて痛みがやってくる。

「——そっくりそのまま、主に返してやろう」

「って、めぇ……何しやがった!?」

「我が何かをしただと?笑止……それはただ主の集中力が削がれて我を捉えられなくなったまで」

「何?俺はお前から目を離しては——」


「瞬きのどこが、目を離していないと言える」

「——っ!?」

目の前に急激に迫った鎌を無理やり軌道を変えるが、間に合わなかった。滑った刃は弥太郎の太ももを裂く。

「主はすでに肉体を持たぬ。瞬きなど要らぬはずであろう」

再度振り下ろされた鎌が、迫る。力一杯それを弾くが、ギリギリのところでかわしきれずに頬に傷を負う。

「呼吸も」

その石突きが跳ね上がってきて、顎をしたたかに打ち抜く。思わず体をくの字に曲げて回避しようとしたが、襟首をガッチリと掴まれて、弥太郎はその場から動けずにいた。

「反射も」

黒い、冷え冷えとした眼が、弥太郎を射抜く。

「全てを忘れて初めて、主は神と僭称できうるのだ」


襟首を締め上げられるように掲げられて、弥太郎は呻く。息を求めるように口が動き、それを見たヤツカの目が蔑むような色を帯びた。


「主の何処が、死神だ」


顔を拳でぶん殴られて、弥太郎は地面に叩きつけられた。強烈な拳にその体が軋み、悲鳴をあげる。呻き声を耐えきれずに漏らしながらどうにかこうにか立ち上がってみると、目の前に漆黒の刃がぐんと迫っていた。すでに体は動きそうにない。


——だったらこのまま死んで仕舞えばいい。


そんな思考がよぎる。けれど、それをやってどうにかなるものか?


確かに弥太郎は絶望していた、しかし戦いの中では血が湧き、妙な居心地の良さがなんとも言えずに残る。


このまま死んで、本当にいいのか?


いやだ、と何処かで自分の中の何かが叫ぶ。

「違う。俺は——」

死にたかったなんて詭弁だ。本気で死のうと思っているなら武器を持って戦うことなどする必要もない。ただ身を妖に晒せばよかった。


「俺は……」

そう。

弥太郎は気づいていた。


自分は戦いを楽しみたかっただけだったのだと。

自分はただ死ぬだけでなく、何かを成したいのだと。

死にたいなどというのは、目的ではなく手段だ。戦いを楽しむための、手段に過ぎない。


「ハッ」

人を小馬鹿にしたような笑みを唇に浮かべて、彼は手を伸ばす。結果として、彼は死ななかった。

だが、迫っていた刃は傷を負わせなかったわけではない。むしろその掌から滴り落ちる血は、太く滑らかな曲線を描いて流れていく。


刃を手で掴み取り、それから体に当たらぬように遠くへ投げた。それだけだった。

同時にヤツカも遠くへ放り投げられた。そして、弥太郎はグルグルと頭の中に渦巻く言葉の海に飲まれるままに言葉を紡ぐ。


「我は退かず、さりとて進まず」

「その場にあるべきは戦いのみ」

「我が力は足りず、故にこれを増す」

「我が技は足りず、故にこれを増す」

「我が望みは拮抗なり」

「弥太郎の名をもって命ずる」


「我に力を」


その瞬間、その場には弥太郎の神気が満ち溢れる。そして、ヤツカはそれを防御姿勢をとって、耐える。

「なんだ……あれの神気が、上がった?」

「……ククッ、クックック……ハーッハッハッハッ……さぁ、存分にやりあおうじゃねぇか?」


「あれは、神威!?なぜ使える!!」

「あ?良くしらねぇけど、できるもんならできるってのが俺の信条でな?まあできちまったもんはしょうがねぇだろ。大人しく俺と戦え」

ぎぃん、というけたたましい音が、二人の体の間から響いた。金属同士が擦れ合う音がしばし響くが、うまく力を逃した弥太郎の鎌が、綺麗にヤツカの鎌を弾く。


「っくぅ……!!」

「あ?どうしたどうした?さあ来いよ、もっとだ!!」

「ッ、その気なら良かろう……我も、ぐっ!?」

「誰が手ェ休めろっつったよ!!」

きらきらと眩しいほどの笑みを浮かべて、彼は思い切り鎌を振り下ろす。ヤツカがそれを後ろへ跳んで避けると、振り下ろした形のまま一歩踏み込んで、刃の無い方で突きをする。


ヤツカはまともにそれを食らってしまい、後ろへとたたらを踏む。

そこに追撃してくる弥太郎を見て、その姿はじわじわと薄れていく。

「ってめ、逃げる気かよ!!」

「……不利なのは承知した。ならば、戦わぬのもまた道理」

弥太郎の拳が空ぶった。


「はぁ、はぁ……クッソ、覚えてろよあのノッポ野郎……」

地面にバッタリと倒れこむ。

戦いが楽しかったのは、きっと力が拮抗していたからだ。一方的なものなど望むべくも無い。


「今まですっげぇ無駄だったかも」

しばらくは、生きている者たちを見守るとしよう。

そして、どこかに強い者がいれば、それを倒しにいこう。

何せ、弥太郎の寿命はまだまだ長いのだから。

あと二話でおしまい。

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