死神の本当の過去ですか?中編
ゲス描写入ります。
「かふっ」
武術のスキルは断然俺の方が上だ。ここで切れて暴れられれば、俺が確実に勝てるだろう。
だが、俺は確実にこいつらには逆らえない。
現代日本での暴力の価値なんて、金の山の前では無為に等しい。今の俺にとっては、武術のスキルなんて被害を低減する効果しかない。
ゆえに今できるのは、『忍耐』。
「今日はこれくらいにしてやるよ」
「薄汚え母親持ったのが悪いんだぜ?」
「中二病とか、マジ頭おかしいんじゃね?」
母を恨んだことは一度もない。母は父親に生命線を握られている。引っ越しだって金はかかる。
「……ごほっ」
……んだがな!?
くっそいってえんだよお前らもうちょっと加減とか殴られる痛みとかわかってやれってのこのアホが!!
こちとら聖人様じゃねえんだぞ!?
筋肉にぶち当たった拳が跳ね返されるのを見ながら、俺は吹っ飛んだ真似をして転がった。
あーあーあー、だから調子付いちまうのか?
馬鹿には効かないってとこを見せた方がいいのか……でもそれだと逆に事態が悪化することも考えられるしな。
「……厄日だ」
大人なんて、母親以外信用できない。
子供なんて、信じたらおしまいだ。
それに俺の目に見えているあれらは、常に俺を、そして俺の周りを狙っている。
にゃあ、と鳴いている猫が、俺に向かって歩いてくる。
『派手にやられたねぇえ?』
「問題ないです、これくらいは」
『本当に?……あたしが食べちゃえば済むよぉ?』
足もつかない、何より食べたがっているのだ。食べさせてやればいい。
そう思うかもしれない。
けれど、俺にはどうしてもいじめが奴らの命を奪うに値するとは言えなかった。
生きたまま償ってもらいたいと思っている。
いや、違うな。
俺は自殺は逃げだと思っている。思っているから、この理不尽な暴力に耐えていまだみっともなく生きている。
奴らをそう簡単には逃してたまるか。
「……ダメだね。それ相応の苦痛と苦悩に満ちた目にあわせて、奴らを生まれて初めて味わう後悔に、頭のてっぺんまで浸してやる」
『ひひ、えぐいこというねぇえ。まあ、またいつでもお呼び?』
その姿は薪が弾けるようなパチッという音とともにあっという間に消える。
もそもそしゃべっていたから気づかれてはいないようだが。
「お兄様?お兄様ー、こんなところにいらっしゃったんですね?」
にたりと笑った顔は、ひどく歪んで見えて。
俺はそのひどく整った笑みを見て、無表情に立ち上がった。
「見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ありません」
そのすらりと伸びた脚で俺を踏みつけてくるのが好きらしい。将来はこいつドS道まっしぐらだろ。顔だけは清純派アイドル真っ青なのにな。
「見苦しいだなんて思ってませんよ?だってお兄様は汚れていてこそそのものの姿なのです。私が心遣いをして元の姿にすべく汚してあげているのに、どうして綺麗になさるのです?」
こいつらは、自分に飛沫が飛ぶかもしれないような汚い攻撃はしない。しないが、上からバケツの水をかけたりはする。
上空注意だ。
「……ああ本当に、綺麗な顔をしているのに薄汚れた姿がとてもお似合いです」
ニヤニヤと笑いながら、彼女は俺にそうささやく。俺が泥まみれの姿が似合わないのは、自分が一番知っている。
種馬の憎たらしい目。後のパーツは母親譲りで、とても好ましいが、この目だけは、絶対に許せない。
そして、異母妹もまた同じ、その目。
「……なんとか言ったらどうなんですか?」
俺はその言葉に押し黙ったまま、じっと俯く。怒りを買わぬようにただひたすら目をそらす。
本当は、しゃべることだっていっぱいできることを、この女は知らない。
目に見えぬ者たちとの交渉で黙っていては、あっという間に食われていただろう。
だがこの女は交渉の相手ではない。面従腹背するような相手だ。織田信長に相対する明智光秀の気分である。だとしたら三日天下か?いや、天下を取るつもりがないから別に良いのだけど。
「人の話聞いているんですか?」
「はい」
「じゃあ返事の一つや二つしてくださいよ。ねえ、ねえねえねえねえ!?」
これだったらメンヘラ幽霊の方がずっと怖くはある。大抵のことに麻痺してきているのは、さすがに俺を殺しはしない奴らよりも、自分を、ともすればこのいじめをしている相手さえも喰おうとしてくる相手の方がずっと恐ろしいからだろう。
あ、ちなみにメンヘラ幽霊はなだめすかしてそのまま神社の敷地にエクストリームアタックさせました。
「……本当に、つまらない男」
「申し訳ありません」
「なんでこんな奴を、お父様が愛するのです?私の方がずっと綺麗で、ずっと私の方がお父様を愛して……愛人の子供なんかではないのに……!」
愛する?
ない。
ありえない。
それだけは絶対にない。
あれは、『自分の所有物』が無様な真似を晒すのが嫌なだけだ。あれが愛しているのは己だけだ。
その証拠に、俺がいじめられていると言うのはすぐにわかるのに、俺を転校させようとしていない。
……本当に愚かな子供だ。
俺が愛されているなんてまやかしを見るなんて。
お前の愛は、現実に重ならない幻想でしかない。それは単なる幻想への憧れだ。自らにないものを欲する人間の二次的な欲求だ。
愛など生命の根源として必要なものではない、人がわざわざ作り上げた代物だ。
けれど、その味を一度知ってしまえば、求めることはやめられない。
「お兄様は、ずるいわ」
そして、その味を知らない者は、所有物を手元に置こうとしたそいつにとっては至極当然な行動を、愛として理解した。
「お兄様なんて、死ねばいいのよ……!」
死ねばいいのよ、か。
死んで楽になるなんて嘘だ。
だって、死んで苦しんでいる人たちは、そこかしこにいるのだから。
顎にクリーンヒットした蹴りをうまく受け流してそのまま脚を踏み込み、そして仰向けに転がった。
無様に蹴り飛ばされたように見えて、青あざで済むのだ。今まで骨が折れたことはほとんどないぜ、自慢じゃないがな。
中学二年になって、陰口を叩かれるのを薄笑いでやり過ごしながら、持ち物の紛失に備えてシャーペンでなく単価の安い鉛筆を使うようになった。あ、後ろに消しゴムついたやつな。
そして、家に帰ったある日、母親が少し痩せたことに気づいたのは、スカートにベルトを巻いているのを見た瞬間だった。
いつもは「入るかなー」とぶちぶち言いながら、筋肉のコルセットで無理やり腹を凹ませて入れていた。それが、今はスカートが落ちないように、ベルトを巻いていたのだ。
食べる量は、少なからず減ってはいるが、よくよく観察して見なければ分からないくらいにあまり減っていない。買い食いをしていたわけでもないだろう。運動はいつも家でしていたし、それも考慮してうちの食事は少しカロリーはちょっとはみ出るくらいにしてある。
過食症、あるいは拒食症か。しかし家で嘔吐した形跡もなければ、吐きダコなどと言われるタコが指にあるわけでもない。
……急激に痩せたのは、なぜだ。
ネットで検索して、俺は糖尿病や甲状腺の病気を疑った。血が逆流して、しばらくしてから心臓の鼓動が早くなって、耳元でどくどくと聞こえてくるほどになった。
「俺が吐きそうなんですけど」
母親は、それでもまだ仕事に行こうとして、ある日の朝、起こそうとしても曖昧な返事だけで全く起きてこなかった。
——ストレスか?
突如として痩せて行くのは、精神的な消耗ゆえにか。もしかして、あの種馬が仕事先に何かしたんじゃないんだろうな?
「もしもし、あのそちらで働いている夜行 美津香の息子の仁義と申しますが」
『少々お待ちください……はい。そうですが?』
「起き上がれないほど具合が悪く、消耗しているようなので、今日病院に行って診察してもらいます。つきましては、本日はお休みとさせていただきたいのです」
『わかりました。診断書は後日必要になります。何か重大なご病気だった場合は、すぐに連絡をください、こちらでも調整などしておきますので』
「はい、ありがとうございます」
ふと背後に気配を感じて、振り返る。
目を丸くした母親が立っていた。
「仁義!?」
「母さん。今日は、職場にいけないって連絡しておいた。俺も学校休むから、一緒に行こう、病院」
「……っ、わ、わかった」
こりゃ明らかに何かあるって顔だろ。
心当たりが、あるんだ。
多分俺が気づくより、ずっと前に。
ぬかった。
そして、その知らせを聞いた時、俺は愕然とした思いと、やっぱり、という思い。そして、自分がなぜもっと早く気づかなかったという自責の念でいっぱいだった。
いや、俺が気づかなかったからじゃない。
俺が重荷になっていたんだ。
働き続けるために、治療をするよりも学費をと。
俺のせいで、母親は危険な目に遭っている。
俺が。
俺がなんとかしないと。
俺が生まれなきゃ幸せだったかもしれない、俺が生まれなきゃ生きていられるかもしれないのに。
——ならどうすべきか、わかるよな?
俺は閉じていた目を開けた。
「わかりました」
「……仁義?」
「治療費のことは、俺の方でなんとかします」
「……なんとか、って……お前それがどう言うことか、わかって、」
「母さんが死ぬより頭下げた方が楽だろう」
「……仁義」
あの男に頭を下げてでも、母さんは助けたい。
そう思った。
その足でタクシーに乗って、羽々木の経営する本社に向かった。重く被せた前髪を分けて、それから頭の中で執拗に繰り返す。
今からあれが頼みの綱となる。絶対に何があっても、何を言われても、頭を下げることをやめてはならない。相手が何を言おうと、怒りを抑えねばならない。
キレてはいけない。
「……到着しましたよ、お客さん」
「ありがとうございます」
俺は軽く微笑んだまま、タクシーから一歩踏み出した。まともな服装であるのは間違いない。学校の制服だからな。
そびえ立つようなビルに、周りの人たちのこちらを見る目。何も、俺には何も見えない。
「申し訳ありません、よろしいでしょうか」
「は、……はいっ」
俺は殊更ににっこりと微笑んだ。
「夜行 仁義と申しますが、現在そちらの会長にお会いすることは可能でしょうか?」
「アポイントメントはございますか?」
「いいえ、ありません。ですが、名前だけでも伝えていただくわけにはいかないでしょうか……?」
困ったような表情で、俺はその女性を見つめる。
「な、名前だけはお伝えさせていただきます。少々お待ちください」
「ありがとうございます」
華やいだ表情で、一歩下がって横にずれる。
受付嬢はしばらくして、慌てて俺を案内するように言われたと言って、エレベーターに乗せてくれた。
「あの、会長のご子息だったのですね」
「はは、ご存じない方が多いと思いますよ」
だってあれが撒き散らした種の一つですから。
「この階になります。中から招き入れられるはずですから」
「はい、ありがとうございます」
俺は一歩踏み出して、それから足が沈み込むような感触におののく。そのまま綺麗に歩き続けると、一枚のガラス戸がすうっと開いた。
「入りたまえ」
「失礼します」
俺は穏やかな表情を取り繕いながら、そのデスクの前に立った。
「よく来たな、仁義。お前にはまだ色々と伝えられていなかっただろうが……」
「全部知っております。本日は、お願いがあって伺いました」
「何かな?養子縁組ならばすでに準備は整って——」
「母の治療にかかる金を、利子をつけてでも構いませんので、貸していただきたいのです」
その顔が、すっと歪んだ。
「病気?」
「はい。乳がんです」
「……そう、ならば、そのまま放っておけば良いだろう。お前も粗雑な母親を持って、不幸だろう?」
何を、言っているんだ?
俺はその言葉を理解した瞬間、必死で腕も気持ちも押さえ込んだ。呼吸を二度繰り返して、もう一度頼み直す。
「いいえ、そういうわけには参りません。母親を治療するための費用を、」
「俺には、あの女は全く関係ないな。あれが死ねば、お前はうちに来るしかなくなる。違うか?」
血が逆流するように感じた。
この男は。
この男は、俺が手に入るからと母親を見捨てる気だ。健康だから大丈夫とタカをくくって、母は自分の保険には癌治療の補償を入れなかった。
迂闊といえば迂闊。
俺はこの男に借金をしてでもいいから、費用を立て替えてくれることを望んでいた。
これが最後のツテだった。
悔しくて、涙がこぼれそうになる。しかし、俺はそれをぐっと留めて、じっとその男を見つめる。その瞬間、頭に電撃的に何かがよぎって、俺は口を開いた。
「……でしたら、相続などの面倒を見てくれる弁護士を紹介していただけませんか?」
「うちにいるのでいいかな?」
「はい。費用などは自身で支払いますので、必要ありません」
「そうか。今ここに呼ぼう、ちょっとだけ待っていなさい」
煮えたぎっていた頭が冷静に変わる。いや、煮えたぎっている自分をもう一人の自分が冷静に見ている。
目の前に現れた気の弱そうなエリートを、俺は頭に刻み込んだ。そして、綺麗に笑いかけて、それから挨拶をする。
「名刺もなくて、申し訳ありません。私は、夜行 仁義と申します。何かとお世話になるかと思いますが、よろしくお願いいたします」
頭を下げた下で、俺は唇を抑えきれない歓喜に一度だけ歪めた。
本日ニ話目です。
三話連続投稿になりますのでご注意ください。