死神の本当の過去ですか?前編
ようやくです。そして鬱い。
……仁義視点の話を書こうと画策したため遅くなって申し訳ありません。
「よいしょっと……あらいやだ。年寄り臭いわねえ」
「いえ、来てくれてありがとうございます」
目の前に座っているのは、レイノさん。
本名は、堂本 康利。
俺の母さんが世話になった人である。
「……それにしても、あなたが結婚するなんて思わなかったわぁ」
「徹底的に人を避けようとしていましたからね。そう思われても仕方がありませんよ」
「そうね」
紅はパタパタと戻って来て、柱の陰からレイノさんを覗き込む。
「は、はじゅっ」
「あらあら、普通でいいのよ普通で」
初めましてから噛むのかよ。
多分今まで引っ込んでいたのは、初めましてをいう練習してたんだろうなと微笑ましい視線を向ける。
睨み返された。
「あの、高田 紅と言います。よろしくお願いします……」
「私のことはレイノさんって呼んでね。それ以外は返事しないんですから、ねっ」
ウインクとともに言ってのけたその言葉に、紅は「レイノさんですかー」と素直に感心している。
素直すぎて可愛い。
そんな純真さなんて俺は過去の彼方に放り投げて来たものだから、願わくば紅にはこのままでいてほしい。
俺が一番最初にいい子を演じ始めたのは、5歳だっただろうか?
いや、いい子を演じ始めたというのは語弊がある。
あえて言うなら、『これ以上子供ではいられない』と自覚した年齢が、5歳。
俺はその年から包丁を握りしめて、料理を始めた。純粋に、母親の役に立たねばと考えて、自分なりに出した結論だった。一番苦手な料理を肩代わりしておけば、母親が家事に使う時間が減ると思ったのだろう。
「おいしい……だと……!?」
愕然とした母親に胸を張ってみせる。その時間は未だ、安寧に守られたままゆったりと流れていた。
それより前からずっと、自分の目には不思議な気配が映るようになっていた。
気配がだんだんとくっきりしていき、それが日常生活に支障が出るようになった時には、俺は友人とそれから母親に相談を持ちかけていた。
友人は、「ええ!?仁義くんおばけ見えるの?すごいすごい!」と答えていた。
のちに友人に相談することは一切なかった。
自分が悩んでいることをどうにもできないのは知っている。ポジティブにみようにも、日常に支障があるならそれはただの害でしかない。
相談は、これきりにしよう。
そう思ったのだが、それすら間違った選択肢だった。
小学校ニ年生の時には、俺は初めて孤立するようになった。
何も、何もない。
杏葉という少女は俺を目の敵にしてくる。
それにつられて、他の子供も一緒になって俺を攻めて来た。
「アイジンの子どものくせに!」
アイジン?
「ほんとはあなたのおかあさま、あなたのことはほしくなかったのよ?」
「でもわたしのおとうさまはわたしをほしがってないの。あなただけをほしがるの」
「どうして?どうしておとうさまはわたしをすきになってくれないの?どうしてだとおもう?」
「あなたがいるからよ、おにいさま」
その言葉とともに、俺はその日からただひたすら無邪気ゆえに辛辣で、深くえぐりとるようないじめを受け始めた。
給食が床に落とされるのは当たり前、そしてその掃除を押し付けられるとわざと手足を踏まれたり蹴られたりするのは当然。
教科書やノートの紛失などは至極当然だ。
「何するんだよ!」
「まあ、怖いわ」
そう言って彼女がふらりと倒れれば、非難の目は俺に集まった。
そして一段と苛烈になるいじめ。
俺は徐々に学習していった。腹は立つ。立つが、反発すればタダでは済まない。むしろ、黙って静かに笑っているか無表情でいれば、相手はカンに触るもののそれ以上手を出すことはほとんどない。
「……つまらない」
それが、次の悪夢の始まりだった。
小学校六年のある日のことだった。
「それでは、それぞれ二人一組になり、運動を始めてください」
俺はいつも通り弾かれたままだったので、先生のところへと寄っていく。すると、先生は俺をちらりと見て、それから嫌なものを見たというように顔を背けた。
——何だと?
「先生、これでは準備運動ができませんが」
「……」
黙ったまま口を開かない。俺は一人で柔軟体操をこなして、それから体育が続いていくのに無理やりに混ざりながら、この違和感に唇を噛み締めた。
その休み時間が終わると同時に、俺はさらなる違和感を覚えていた。
いつも席順に生徒を当てる先生が、俺の順番だけを飛ばしたのだ。
明らかに、教師まで味方につけている。
あの愛人だというくだらない噂か?
愛人、それは間違っている。母は被害者で、そして育てるいわれのない俺を、愛さえもらえなかったかもしれない俺を、身を切って育てている。
母親は、少なくとも、そんな爛れた関係をよしとする人ではない。
そしてとうとう俺への嫌がらせの段階をさきに進めたわけだ。
『生徒』というコミュニティから弾き、そして『学校』というコミュニティからもはじき出した。いや、深くいえば学校ではなく……社会というコミュニティから、俺たち親子をはじき出した。
あのぼんくら種馬は何をやっているのかわからんが、こんなひねた子供が後継者か、あるいはその妻か。
お先真っ暗だな、羽々木も。
学校なんて糞食らえだ。
行かねば種馬からご高説を賜り、行けば種の同じ子供からいじめられて、やめようとすれば種馬が手を回す。
こんなアホにがんじがらめに縛られる人生だけは、絶対にごめんだ。
俺に自由になる金さえあれば。
成績表が手渡されて、俺はその結果に満足する。学年一位、ほとんど満点に近い点数。
いくら体がボロボロにされようと、これだけは手渡してなるものか。心を食い散らかされるとか、そういうことはどうでもいい。
だが、通知表の評価を見て、俺は眉を寄せる。
『より真摯に授業を受けて欲しいと教員一同心から願っております』
皮肉かよ。
「……あーあーあー、ほんっと頭にくる」
ボスボスと低反発枕を殴る。これは綿の柔らかいものじゃ我慢できなくなった母親が、「これいいわよ」とおすすめしてきたものだ。二人でよく殴っている。
感触が硬めで、非常に殴りごたえがある。
手っ取り早く殴れたらどんなにいいか。
しかしここは現代日本で、最近話題の異世界じゃない。あんなデタラメな力なんて、持っていても土木工事か発破以外に仕事ねぇだろ。
ここは法治国家日本であり、俺はその法律に縛られて生きている。
法律なんて、なければよかったものを。そしたらあの種馬を殴って脅して金を奪ってしまえばいいのに。
——ああ、俺の思考のなんて最低なことか。
「気が立ってるんですよ。落ち着きましょう」
客観的に物事を見て。
そして、自分のことから遠ざかり、怒りを彼方へ追いやる。
そうすれば、今から何をすべきか、どうしたらいいかはたちまち明確になる。
弁護士を頼んで争う?今はもみ消されるに決まっている。それに金などない。ツテもない。
絶対に、あの種馬に見つかって、なかったことにされる。
それなら逆に、今は耐える期間だと思って証拠を集めて、そして。
——種馬を加害者ではなくしてしまえばいい。
俺は仄昏い微笑みを漏らした。
そうだ。
なんでこんな簡単なことに気がつかなかった?
種馬は自らの体に火の粉がかからなければそれを払うことはない。そして不自然に種馬と異母妹だけが除外された訴え。
——ああそうだ、法律でなくても社会的におかしいと認知させることはできる。
「いける」
あと足りないのは弁護士だけだが、この時俺はまだ思いつきもしなかった。
弁護士に『お願い』をかけて、そして自分の味方になってもらうなんてことは。
しばらく俺は存在ごとなかったことにされたが、ふとした瞬間に暴力が細切れに飛んでくるようになった。巧妙に顔は避けて、腹や手足を狙ったもの。
対するこちらは、母親に衝撃を受け流すことを学んだ。手応えを残しながら、衝撃は手足からうまく逃して地面に流す。
「仁義、お前大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。少なくとも不良化はしないし」
母には言えないことが増えた。
最近、弁当が盗まれて、結構な空腹があること。
なけなしの現金は、カバンの二重底の下にテープで留めておかないと、無くなることも。
バカみたいに金を持ってるんだから俺からわざわざ奪うことはないだろうに。
本当に人の嫌がることをピンポイントでやることに腹が立つ。
中学一年、俺は未だ、彼らに対する劇的な策を講じることができないでいた。
本日一話目です。
あとニ話連続投稿します。




