眠れぬ夜
陸塞視点。珍しい。
ギスギスと表現するのが、最も手っ取り早い。
僕たちは、今現在奈良へ向かっている。
貸切バスは、二台に分かれて進んでいる。
車内の空気は、ひんやりして重苦しい。お通夜か。お通夜なのか。
「夜沙……兄ちゃんやばいかも」
隣にいるみずなに、むにゅっとほおを掴まれる。
「ねえ、この空気をどうにかするのがあんたの仕事よね」
「なんで僕なんだい」
「唯一の部外者である私が言うけれど、こんなんじゃ仕事もろくにこなせないわよ、この集団」
言うけれど、の後を力を込めて大きめに囁く。それは近くの夜行の人に聞こえたらしい。
「なんだとっ!?」
「あらごめんなさい。私てっきりみなさん仕事なんてうっちゃって、気軽に内輪もめしようとしている風にしか見えなかったから」
その指が、くいくいっと動く。全く心臓に悪い。
僕にことをおさめさせて、心証をよくしようとするなんて。
「ふざけないでくれ。俺たちがお前らに決断するのは、苦渋の決断だ。それを気軽な内輪もめだと?そこの棒みたいな陰陽師に頼ろうとしたのは、本家のお偉方だけで俺たちじゃないんでね!」
フンと鼻を鳴らす男に、やれやれ、随分とまたお互いに嫌われたものだね——そんな嫌味を飲み込んで、俺はなだめるように言葉を紡ぐ。
「まあ、落ち着いていただきたい。……僕の婚約者が、失礼なことを言ったのは詫びましょう。ですが、今ここで協力するには我々の間の溝は深い」
ニコッと笑うと、胡散臭そうに見られる。おかしい。僕はいたって普通に笑ったはずなのだけど、みずなもこの笑顔を胡散臭いと言うんだよね。
ま、僕の笑顔の胡散臭いレベルがどれくらいであろうとどうでもいい。
「ですから、勝負形式にしましょう」
「なに?」
「お互いに妨害だけはしない。それと片方の手で負えない獲物があれば、もう片方に協力を要請する。内容と凶悪度で、勝負を決める……というのは?」
「誰が勝ち負けを決める?」
杏葉ちゃんがスッと手を挙げた。どう見ても、腹黒には思えない純粋な微笑みを浮かべて、穏やかに言った。
「それは、私が引き受けましょう」
「あずあずが……」
どうでもいいから大の大人があずあず言わないで欲しいんだけど。面白すぎるよ。
「でも、あずあずはそっちの二人の友人で……」
「大丈夫ですよ。私、そういう公私混同は一切しませんもの」
「それは……」
彼女に強く言えるものなどほとんどおらずに、こっちのバスに入れられた若手は、普通に乗り気になって、何人かがいきり立って立ち上がる。
「見てろ!絶対にコテンパンに負かしてやるぜ!」
「そうだそうだ。朱雀院なんて目じゃねぇぜ」
その瞬間、マイクのスイッチがブツッといって入った。
『運転中は席をお立ちにならないでください』
ナイス運転手。
ポケットのスマホが、ヴー……と震えだす。文面を見ると、向こうでも勝負をするという方向に持ち込めたようだ。こっちはみずなが煽って火をつけたけど、向こうは一体誰がその役割を。
まさか伊吹くんかな……心配だ。
それにしても夜行くんが言ってた通り頭が柔軟でも体が言うことを聞かなきゃ、無意味なんだろうけどね。
僕たちと違って、体は盲目なんだ。導くのは頭の仕事だろう。僕は体を見放すことはできそうにない。
体がなければ、頭は移動することすらままならないから。
「ありがとう、みずな」
「フン……私は別に、言いたいこと言っただけじゃない」
「素直じゃないよね、全く」
「誰が素直じゃないですって?」
おっと虎の尾を踏んだようだ。
奈良の中に着くと、いろいろな場所からいろいろな気配が感じ取れる。
「いやあ、まさに……視界がカオスだね」
「キラキラしながらおどろおどろしいって、本当にすごすぎでしょこれは」
鐘の音が聞こえて、お腹がぐう、と食事を要求してくる。先に食べた方が良さそうだ。
「みずな、ご飯食べ……」
その体に、何かが駆け寄って、そしてぶつかった。とっさにそれに札を飛ばして、消滅させようとしたが、片方の腕だけ置いて逃げていく。
「みずな!?大丈夫?」
「大丈夫……じゃないっ!!」
力強くそう言い切られた。おかしい。いつもならここで、『問題ないわよ。それより、ぶつかる前になんとかしなさいよ』とでも言われるのに。
「今のは正しいのよ!全然問題ありまくりよ!」
本人が、口を押さえて青ざめている。
「ど、どうしよう陸塞……あ、あたし……本当のことしか喋れなくなってる!」
燃えかすを拾い上げて、天を仰いだ。
「……天邪鬼かー」
本体は潰せば効果は治るはず、と説明したら、半ギレで「嬉しい!ありがと!」と言われる。
元々がツンツンしていたから、どうやら本当のことしか口にできなくなったらしい。
一周回って本音とか、ちょっと今のうちにどうして僕なんかと結婚までしてくれるのか聞いてみたいんだけど。
まあ、今は不謹慎だから無理だろうけどね。
「それじゃ、早く天邪鬼を探しに行こうか。そのままでも可愛いからそのままでいいような気がするけど、さすがにあれこれ言うときに真逆になると困るからね」
「可愛いなんて、もっと言って!」
『可愛いなんて、寝ぼけたこと言ってんじゃないわよ』という目がこっちをにらんでいる。周囲から生暖かい視線がふらふら飛んでくるのを真っ赤になって耐えているのがなかなかに面白い。
ニヤニヤしていたら、脇腹に暗器を当てられて、その後は沈黙を保たざるを得なくなった。
集団で陰陽師が来たのは知られているらしい。妖怪のほとんどは、それに引っ込んでいなくなったから、おそらく残っているのは割合に己の力に自信がある類か、一戦交えようとしている輩か。
いずれにせよ、迷惑なことには変わりない。
全員で囲い込みするのも、割合に人通りがあって難しい。ここは、探知を最大限に使って、全部の場所を把握するのがいい。
ああ、夜沙がいればなあ。でもそうすると、京都の内情は掴めなかったし……。
「夜沙から定期報告きたけど不安になることしか書いてなかったんだよね」
裏切り者の口の中にトラウマ製造機A番台をねじ込んで、2度と逆らえぬようにしました(ダイジェスト)とか。
迂遠に書いてあったけど、夜沙はあれで結構夜行くんくらいにはやらかすんだよね。問題は、夜沙には倫理観が若干欠落していること。
言われたことには忠実な、冷静で、それに加えてマッドサイエンティスト。
そんなことを考えていると、探知にいくつか大きめの反応が引っかかった。
「向こうだ。行こう」
返事がいらないようにその手を引くと、その手のひらにクッと力がこもって握り返された。
その方向へ隠密を使いながら進むと、そこには肉の塊がブルンブルンと体を揺らし、手ともつかぬ何かで天を指差しながら、ずるりずるりと歩いていた。
ぬっぺふほふ、封と言って、その肉を食べると力がみなぎり勇猛果敢になるという。
そっと周囲に札を置き、その体を捕まえる。
ジタバタと暴れているその体に少し刃を差し込んで肉を切り取り、それから逃した。
「よかった、うまくいったよ」
「な、な、なにあれ!?可愛い!?」
その感想に少し首を傾げてポンと両手を打った。
「ん?あ、ああ。気持ち悪かったのか……あの肉を食べると力が湧いて来て」
「食べるの!?」
ブンブンと首を左右に振りながら「食べたい」と連呼し始める。まああんな得体の知れないもの……と思うかも知れないけれど、おにぎりに人知れず肉味噌にして入れてもらう予定だったんだけど。
黙っといたほうがいいか。
「それじゃあ、これはしまっておいて……」
別の反応がする場所に向かうと、首がいくつか襲いかかって来た。それを刀で切り落とそうとするけれど、いずれも全く意に介さず、傷口がまるで水死体を切りつけたようにブヨっとした感触を残したのみ。
「ぐっ!?」
その肩口に噛み付かれたところを、口のところに指を突っ込んで顎を外すという男前な解決法をしたみずな。
カッコ良すぎじゃないかい。
「大丈夫じゃない!?」
「あ、ああ、問題ないよ。戦うぶんには全く」
少し皮膚に食い込まれて血は出ているけれど、筋肉やら腱や骨には問題ない。
抜け首。
ろくろ首と言われるのは首が伸びるけれど、これは首が文字通り体から抜けて、単独で行動する。見分け方は首筋に花びらのようなあざがあり、退治の方法は、体を元の場所から動かすこと。
いずれも簡単そうに見えて、かなり面倒でややこしいんだなあ、これが。
体はそう簡単に見つからないように隠してあることが多いし、それを探したら住居侵入とかで訴えられそうだし。
「……体のありかは……」
ふと視線を移すと、顎を外されて痛みに呻いている首が一つ、みずなの手に握られている。
ぬっぺふほふがダメなのに生首は大丈夫ってどういうことかお兄さん聞いてもいいかな。
ん?ダメか、そうか。
「こんにちは。少しいいかな?ああ、手間は取らせない……ちょっとお話しするだけでいいんだよ」
その首が顎が外れたまま髪を掴んでいる主を見て青ざめて震えだしたことは、見なかったことにしよう。
「あっ……あが……あが」
「黙れ」
みずなが髪を全部わっしり掴むと、ちょっと掲げるように持ち上げて、そのままチョップを顎に叩き込んだ。
「ケヘッ」
おかしな声が首から漏れる。ごめんちょっと同情する。
「じゃあ、君たちの首はどこかな」
「……う、に、西の、マンスリーマンションの部屋の中……」
「住所よろしく」
あっさり吐かせてそこにいくと、別の首が三つ、こちらに向かって飛んで来た。僕は護符を取り出すとみずなに持たせ、自分はもう片方の手で早九字を切った。
「ぐぁああ!」
首が即席にもほどがある結界に幾度か弾かれる間、守り刀を抜きはなって、先ほどもらった噛み跡からこぼれた血液を塗りつけ、そこに夜行くんがかつてくれた、神気の結晶を一度だけ滑らせる。
それを一歩踏み込んで、三つの首に向けて深く撫で斬りをすると、首の一つに呪が潜り込んだ。
妖を『切れる』だけでもこの刀は優れものだけれど、ここまで手をかければ、呪が発動してちゃんと妖を殺せる。つくづく死神というのは恵まれていると思う。
呪がかかった首は転がり落ちて、みるみるうちにしぼみ、干し柿のようになって風に揺れていたが、やがて砂のようにサラサラと消えた。
「……お、陰陽師か!!」
怯えたような声に飄々とした体を装って、俺はニッコリ笑って答える。
「ご名答」
「違うわよ」
「どっちなんだ!?」
彼女のせいでこんがらがったけどちゃんと陰陽師ですよー。
僕はそのまま首を人質にして、三体の体を動かし、退治を終えた。戻れなくなった首は、早々に俺たちを呪う言葉を吐きながら、消滅していった。
でも、最後の女の抜け首。
「リア充爆発しろ」は呪う言葉じゃないと思う。
「あと大きい反応と言ったら……っていた!?」
毛むくじゃらの赤い体をした鬼が、ニヤニヤ笑いながら俺たちを見ている。
みずなが半ギレになりながら、その鬼へと呪刀を持ったまま突っ込んでいった。
ギィン、というけたたましい音が辺りに響く。前に比べれば、格段にその使い方が上達しているし、体の使い方も上手くなった。
護符を使う方は全く才能がないから、刀一辺倒にしたほうがいいかもしれない。
僕はといえば周囲にお札を潜ませたまま、そのやり取りを見守る。
「はぁああ!!」
突きを繰り出して、そのまま足払いを仕掛ける。鬼が転がりかけたところを追撃するが、避けられる。両者が見合って、そこからまた剣尖がその固く鋭い爪とぶつかり合った。
互いに削りあって、そしてみずなが大きく振りかぶったその手を斬り飛ばし、返す刀でその胸板を大きく斬りつける。
「グッ……いた、いた……ぁ、痛く……ない!!」
鬼がそう叫んで、そのままかぶりつくように口を大きく開けた。僕は慌てずに、一枚の護符を作動させた。鬼の体に光の線がまとわりつき、そして一気に弾ける。
「あがががっががあががっががあ!!」
その鬼の体が黒く焼け焦げ、ぷすぷすと音を立てながら地面にどう、とくずおれる。
サラサラとその体が崩れ始める。
「ふう……大きい怪我はしてない?」
「してないわよ。あーもうほんっと、最低の気分だわ。思ってもないことをペラペラと……」
「ごめん、奈良に入った時点できちんと対処は練っておくべきだったね」
「ほんとよ。まあ、仕方がなかったから許すわ。ほら、行くわよ」
「行く?どこに?」
「自分で勝負形式を持ちかけたんでしょう。もう一体くらい倒さなきゃ、ダメよ」
結局、僕たちは二位という結果に終わった。一位は夜行ではなくて、杏葉さん達だったけれど。
どうも、夜行の内の誰かが妨害行為をしていたらしい。そのせいで、夜行はルール違反の失格となった。
「……オチがこれほどまでにあっけないとはね」
「まあ、いいんじゃない。今日はゆっくり休んで、あとは合流だけなのでしょう?」
「そうだね。今日は早々に寝ようか」
十時半にはすでに電気が消された。僕は一人、部屋を用意されてそこで眠りにつこうと布団に潜り込んで、その動きを止めた。
「ん……んぅ、誰……」
「み、みみみみみ……」
みずながどうしてここにいるんだ!?
大パニックになりつつ、すわ据え膳かと頭を抱えていると、布団の中から手が伸びて来て引きずり込まれた。
「……寝るわよ」
「あ、ハイ」
……寝れるのかなこれは。
いや、『たまに高田を抱きかかえて寝たりとか』って言ってたけど、無理じゃないかな!?
お布団の中で付き合っている女の子と二人きりで眠るなんて不可能に近いんじゃないかな!?
しかも寝ぼけて抱きついてくるし!
ミルクっぽい匂いがするしあったかいし柔らかいんだけど!?
結局僕が取れた睡眠は、起床後のあとのバスの中だけだった。
みずなの侵入は陸塞の縁戚、紅羽の手引きです。
初めて感想がつきました。
すごく嬉しい。手が震えます。




