死神と修学旅行ですか? ⑥
死神さん珍しく。
とてつもない嫌な予感がして、無理やり覚醒させられる。布団から陸塞が起き上がったのも、ほぼ同時だった。昨日と異なって、何かがおかしい。違和感の正体は、神気が濃くなっていることにあった。
「……変ですよね」
「うん。これは確実に何かが起こっていると見て、間違いないよ」
「高田たちも気づいているみたいです」
俺がスマホを振ると、彼は自分の方も見てスマホを振った。
「せめて自由行動中の昨日ならね。僕、自分のじゃないと数人の紙兵を操るのは不可能だよ?」
「外、普通なら一歩も出られないほどの土砂降りですよ」
「あー……ほんとだね。普通の雨かと思っていたよ」
陸塞は、みずな、そして杏葉とともに宿に残り、全員の安全確保をするように言えば残るだろうとアタリをつける。
「あの子は意外と頑固だけど、他の人の命がかかってる状況で駄々をこねるような人じゃないからね」
「唐突に惚気ないでくださいよ。……それじゃ、俺と高田の方をよろしく頼みます。こっちも高田からOKと返事が来たので」
死神さんが、ここにいない。どるるが眠そうな目をしぱしぱしながら、俺を見上げた。
その体をそっと撫でてから、俺はゆっくり微笑む。
「大丈夫です。何かあれば、すぐに逃げてください」
「る?」
「問題ないですよ」
それから、土砂降りの窓の外へと俺が飛び出していくと、間も無く高田が現れた。
「外、やばいことになってる」
「土砂降りですからね。宿から出るのは、ほとんど無理に近いでしょう」
そして、この原因もわかっている。
「神気が、濃すぎる。そして、神域がほとんど効力を失いかけている」
「……四方八方からいろんな神気が混ざってるけど、あのヨリって人の神気がかすかにどこにもあるぞ」
ヨリ……前に死神さんが渋い顔をしていたという死神が?
"色付き"だったヨリ。まさか、神と通ずる形でこの場所に降りて来たってわけじゃ……。
「考えてても始まりませんね。まずは、この近辺から倒すことに専念しましょう」
「ああ!」
ズズズズズ……という地響きが聞こえる。弱いが、地震が起きているのだ。
「これ以上神気が濃くなるのは、かなりマズイですし」
じわじわと周辺から異形の者が溢れて、水が街の様子を見ようとする人たちを襲おうとしていく。俺は即座にそれを切り捨てていく。
高田がナイフで注意を引きつけると、そのまま俺が斬っていく。
小物はこれでよかったのだが、だんだんと数が増えて嫌気がさして来そうだ。
「……精神的に、来ますね」
俺は鎌を捨てると、身一つでその大群の中に飛び込んでいき、回転するようにして妖を切り裂く。
その血を全身に浴びながら、大声で、神気の威嚇を乗せて叫んだ。
「退けぇっ、退かねば斬るぞ!!」
恐れをなしたか、幾分その数が減る。そのまま俺をひとのみにしてやろうとずるりと出て来た蟒蛇の頭を、全力で吹っ飛ばしてからもう一度その頭を叩き潰す。
虹色の光が散って、俺の体がジワリと溢れかえってくる神気の流入に、痛みさえ訴えてくる。
「あああああああああああっ!!!」
しかし、それを叫んでごまかすと、髪を振り乱して襲ってくるずぶ濡れの女性の顔を容赦なく石突きで殴り、そのまま鎖で縊り殺す。
橋のところにいたから、橋姫だろうか?
そんなことを考えている余裕はほとんどないが、落ち着きを取り戻すためには必要なことだ。
幾分冷静になってそれからまた攻撃を開始する。
「高田!少しいいですか!?」
「長くは、もたねぇぞ!!」
高田が相手をしているがしゃどくろは、雨でその輪郭がけぶるようになっている。いくつもの骨が合わさり、構成されたそれ。
きっと一部崩したところで、何もかもが元の通りになってしまうだろう。
やむを得ない。使うか。
身体中を駆け巡る神気が、暴れまわるように俺の体を蝕んでいく。口からわずかに血がこぼれたのは、それに耐えるために噛んだ唇か、それとも。
手から伸びている鎌は、禍々しく黒の気配をその真っ白な刃にまとっている。しかし、白くはあれど白には見えない。
「どけ、高田っ!!」
俺が絶叫すると同時に、高田が別のあらぬ方向に転がる。俺はそのまま、鎌を振り下ろした。
連鎖反応を起こすように、切り裂いた場所からおかしな爆発が起こっていく。体にじわじわと還元されていく神気を動かずに吸収していると、高田が駆け寄って来た。
「今の何!?」
「鎌、新しく構成し直して、『触れた先から神気が流れ込む』ようにしたんです。維持時間は十秒くらい、ごくごくわずかなくせに、すごく気力も体力も消費して、めちゃくちゃ……大変なんですよ」
それに、鎌を再構成するだけの時間稼ぎも必要だ。実戦で使うには向いていないと思っていたけれど、俺の体調さえ考慮しなければ問題はなさそうだ。
「……無茶しやがって」
高田が俺へ手を差し伸べると、そのままたすけおこす。俺はゆっくりと周囲を見回す。
「まだまだ数がいるからな。気をつけていけよ」
「ええ」
息を吸って、もう一度吐く。稲妻が走り、山の中へと落ちる。まともに白い光が目を焼いて、次の瞬間太鼓が激しく打ち鳴らされたような音が周辺に轟く。
「……落ちた」
停電していく。街の明かりが一気に消えて、闇が深くなっていく。
わらわらと、その数が増えていく。
見渡す限りには、妖の山。
マガヨとは別の種類の絶望。
確実に一体一体は殺せるのに、確実に数で押し負けるという確信。
「……一旦退いたところで、どうしようもないですけど」
俺は高田に一つの指示を出した。
「…………それ、絶対大丈夫じゃねぇだろ!?」
「ええそうです。でも、死神さんもいないんじゃ、しょうがないでしょう?」
「ふざけんな。俺がどんだけっ………!」
わかっている。わかっているが、こればかりは性分だ。
その細い体を抱きしめ、あやすように背中を叩くと、彼女は薄く笑った。
「……全く……しょうがねぇやつ」
末端の防御は捨てる気で、急所だけを守る。
ほとんど黒に染まりかけている服の袖を捲り上げて、空からその群れの中に落ちていく。
地面にめり込むようにして俺が着地すると、魅せられたように街へ向かっていった妖の動きが止まる。その隙を突いて、俺は手近にいた一匹を鷲掴みにすると、その体を素手で砕き取った。
人を襲いかけていた妖の一匹を見つけると、それもまた殺していく。
「人を襲うなら、殺すまで!!この場から退けば見逃してやる!!」
もう一度だけ、警告を乗せて叫ぶ。
「選べ!!俺に殺されるか、逃げて生きながらえるかをな!!」
ハッタリにもほどがある。けれど、妖を簡単に屠って見せた今は、今だけは、そのハッタリだって効果がある。
幾分の妖が消え去ったあと、俺をぐるりと取り囲むようにして、上位の妖がその場に集まった。
同時に、その狭い範囲を翡翠色の結界が覆い尽くしていく。高田が解除しなければ、出られなくなる。無論、俺でさえも。
ギミックをじゃきん、と動かしてから、俺は周囲の面倒そうな妖に目を向けた。
これが企みだというのであれば、ヨリはどうしてこんなくだらないことをしたのか?
考えている時間はそう長くあるわけではない。
全ての人を救えるなんて、おこがましいことは考えていないけれど、自分の手の届く範囲だけでも、救えるものなら救いたい。
「まあ、倒れたりしたら……あとはなんとかしてもらいましょう。あのバカ、一体どこをほっつき歩いてるんだか」
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「……ハァッ、くっそ、……てめ」
「マガヨに力を削らせた甲斐はあったみたいだねー、うふ」
「なぁにが、うふ、だよ。気持ち、悪りぃんだよ!!」
弥太郎が放ったその斬撃を、半分吹き飛びかけながらも素盞嗚尊が受け止める。その背後で、ヨリがくくっ、と笑った。
「さすがの君も、神を二柱相手にするのはキツイかな?」
「ヨリぃ……テメェも、ハァッ、とっとと、攻撃……しろよ!?」
「そりゃ無理だよ。君と違って私は器用じゃない。彼をこの場から逃さないようにするだけで精一杯だ。神に戻る契機をわざわざ捨てたのは君であって、私がそうさせたわけじゃない」
「くっ……」
苦しげに顔を歪めると、その次に来た斬撃をもう一度うけ流そうとして、そのまま吹っ飛ばされた。
弥太郎はそのままヨリに斬りかかろうとしたが、再度その隙間に入った素盞嗚尊の胸を薄く裂いただけで終わる。
弥太郎がそのまま倒れ込んだ素盞嗚尊の胸ぐらを掴み上げて、力一杯遠くへと投げる。
結界に叩きつけられ、衝撃とともに体がひしゃげるような音がして、素盞嗚尊は床に力なく倒れ込んだ。
「やー、ひどいね。君本当に血が通ってるの?」
「テメェの方が頭おかしいんだよ」
ヨリは少しだけ頭を傾げてから、「ああ!」と言って顔をパッと華やがせた。
「君の奥さんと子供の話ね!あれはすごい傑作だったよねー、あの時必死で助けてって言ってたあの美人な奥さん、かわいそうだよねぇ。十年くらい暇つぶしできたよ?人は脆いから簡単だったけど」
馬鹿の一つ覚えみたいに、弥太郎様弥太郎様……最後はなんの反応もしなくなったから、殺して捨てちゃった。
三日月のような口から、そんな言葉が溢れでてくる。
「てめえええええ!!ぶっ殺してやらぁ!!」
激昂したその姿が変じていく。
「おや。神威かな?んー、残念だな。私は終わったおもちゃには、興味ないんだ」
弥太郎の黒い鎌がその体を裂いた。しかし、その箇所からビー玉のように透明な玉が転がり始めて、ついにはヨリの体が崩れ去っていく。ころころと転がる無数の玉を呆然と見ながら弥太郎は後ろを振り返る。その背後に立っていた彼女は、ニヤニヤと笑った。
「もうそろそろいいかな」
周囲から結界が消えたその瞬間、弥太郎は息を呑んだ。
「仁義!!起きろ仁義!!お前ふざけんな、目ぇ覚ませよ!?」
ズタズタになって地面に転がっている弟子と、その御使が多くの妖に取り囲まれている。結界でなんとか持ちこたえているが、いつまで持つかはわからない。
「——仁義!!」
その叫び声に、弥太郎は現実に引き戻された。神威を解放したまま、彼は妖の群れの中に突っ込んでいく。
「うらあああああああッ!!」
瞬間、そこから全ての妖が幻のように崩れ去っていく。
「……死神さん……?」
高田がゆらりと首だけ向けて、憮然とした表情で呟いた。
「何やってたんだよ……」
「……悪い」
「あんたがいれば、こんな自体にはならなかったはずだよな……?あんたがいれば仁義は傷つかずに済んだのに……お前……何やってたんだよ!?」
「悪い……」
その言葉に、正論に、俯くことをやめられない。
——やっぱり俺はもうここにいてはいけないのか?
弥太郎の脳裏にそんな考えがよぎった。
「しに、がみ……さ、ん」
ポツリとそんな言葉が聞こえた。
「仁義!?聞こえるか!?」
「聞こえ、ますよ。……冷たい手だ」
「よかった……」
ぽろぽろと涙をこぼして、高田が泣き始める。
「……どこ行ってたんです?大変だったんですから」
「ああ……悪い」
「全く……次は、ちゃんと一緒に戦いますよ」
その言葉に、弥太郎の胸が熱くなる。言い知れぬ何かが胸の内側にせり上がってきて、思わず涙がこぼれそうになる。雨は止みかけていた。
「……っ、ああ、そうだな!俺の必殺技、見せてやるよ!」
ニカッと笑うと、うっすら微笑んだ後仁義は眠るように気を失った。
ネガティブなんです。