死神は嵌められますか?
今日は珍しく前後篇ではないのです……。
でも続くのです。
「あの……ちょっと、いいかな。今、すごく……大変なことになってて、できれば人のいないところでお話をしたいんだけど」
高田に向けて、一人の女子生徒が話をしている。高田はこくっと頷いて、それから俺の方をちらりと見た。
手元のスマホが音を立てた。
『神気感じる。ヤバそうなら後で連絡する』
『了解』
しばらくして、高田から連絡が入ったと思った瞬間、切れた。
「高田の神気は向こうの……旧校舎の方ですか」
俺はゆらりと立ち上がると、旧校舎の方へと歩き出した。まあ、あいつのことだ。
信頼はしているが、心配はする。
旧校舎は、旧校舎跡……今はもう別の建物が建っているのだが、それも潰れて今はもう廃墟化している。しかし、そこに入った男が出てこないということで有名だ。
「面倒な」
「お兄様?どうしたんですか?」
「……杏葉」
「ふっかつのじゅもんが思い出せないのですか?」
「それはある意味死にますが」
「例の件ですか?」
「ええ、まあ。……付いてこないでくださいよ」
「あ、あの!お兄様……その、あの黒い方に、伝言をお願いできませんか?」
「伝言を?」
「はい。……御使にして欲しいんです」
俺はその場から颯爽と歩きさった。聞かなかったことにしよう。
「お兄様!?それがダメだったらお兄様の……ま、待ってください、ちょ、おにーさまー!?」
そんなお話をできるわけねーだろうが。
なんか知らんが、死神さんはやけに焦っている。力を失ったのがいけなかったのか、あるいは自分がまんまと捕らえられたことに何か思うところがあったのか。
……考え過ぎかもしれないが、今確実に言えるのは、杏葉を抱え込んだらきっと、キャパオーバーする気がするんだよな。
だから、できるだけ杏葉は抱え込ませるのを避けたい。俺が抱え込む?無理だな。
今はそうしたいと思っていても、きっと根っこにこびりついた悪意の残滓は取れることはない。いつかどこかであいつを突き放すかもしれない。
そんなことを思ったら、俺はどうしてもあいつを御使にすることはできない。
坂町と陸塞が陰陽師となったのはわかるけれど、杏葉がそうなれるかと言われたら残念ながら、だ。
杏葉は、あれでも一人娘だ。婚約者はあの家に入ってくれるものを探さなくてはならない。
このまま妖のことなど忘れてくれるのが一番良い。
けれど、まあそれもできないんだろうなというのが容易に想像はできる。
俺は旧校舎跡の裏手に回り、そっと中を伺った。誰もいないみたいだ。転身すると、そっと中に入り込んだ。
「……お邪魔しますね」
見つかったら絶対に私有地侵入だよなこれ、と思いつつも、じわじわと歩を進めていく。
おかしなことに、あちこちに怪しい気配はあれど、俺が思うような気配がない。
本体がどこにあるか、わかりにくい。
そして、わかったのは、そのダミーがいくつかあるが、その全てが軒並み白い糸でできているということ。
蜘蛛か、あるいは蚕か?
虫というものは、あらゆる怪異の原因にもなりうる。
人が虫になったというパターンも、あちこちに存在する。
しまったな、こりゃ陸塞も連れてくるんだったか。
そう思っていたから、油断した。肩口に熱い痛みが走り、俺は慌てて飛び退る。
「……なんなんだ?」
気配がない。ついでにその姿はただの女子高生だ。どこの高校かはちょっと改造されすぎててわからないが。
そして、もう一つだけ追記しておくと、彼女はひどく虚ろな目をして、まるでからくりのような動きで忍び寄って来たにもかかわらず、音がまるでしなかった。
気配も、消えている。
これだけ神気を張り巡らせて気づけなかったのは、ひとえにここに近づくことがなかったということと、この建物を意識したことがなかったから。そして、何より中心点がダミーに囲まれて薄い。
周囲をあまりに妖に囲まれすぎていたりしたから、気づかなかったというのもある。
力が弱いからか、あるいは。
嫌な想像が頭の中を駆け巡るが、俺は気を取り直して目の前の少女を確認する。その指先からは、ちかっと何かが光って見える。
俺に傷をつけることができたのは、そういうことか。
妖は確かに目には見えない。しかし、取り憑かれると話は別だ。
その妖怪の一部が入り込んだ状態だからこそだ。
その指先に光る糸に、俺は鎌を消す。
あちらこちらに糸が張り巡らせてあるなら、今は体を『武器』とするのが最も簡単だ。
少女はその巻かれた髪を振り乱して、俺に音もなくスルスルと近づいてくる。
その体を操る糸を見極めながら、丁寧に切断していく。
緊張しながら確実に、周囲にも気を配りながら。
蜘蛛の糸は二種類存在する。自分が渡るための粘性の全くない縦糸、そして獲物を捕らえるための粘性のある横糸。
その瞬間、足元でねちょ、という嫌な音が響く。
「しまっ……」
俺の体は前のめりに倒れて、身体中に何かべとついたものが触れる。俺は目の前の少女の後ろにいる大きな蜘蛛を、じっと睨みつける。
いや、大きいわけではない。多分あれよりだいぶ大きいものが、本丸だ。
だとすると、あれは子供か?
ギチギチと言いながら、その巨体が迫る。
虫は苦手ではないが、かなり美味しくいただかれること前提じゃねえか。
ああ、確かに食われたかねえよな。
無理やり体を剥がすようにして浮くと、そのまま糸を引きちぎる。粘着力がかなりあったためにひどく傷んだが、じきに治った。
「……ああ、痛い痛い」
体を沈めて、そのまま飛びかかってくる。俺はすれ違いざまにその体に腕から生やした刃を叩きつけた。
ぎぃ、という音が漏れてその体液がべっとりと体にかかる。
「ぐぁ……きっしょくわる……」
少女は倒れたまま動かない。その体に張っている糸を全て切ったから、もう動くこともないだろう。
身じろぎをした時点で、別の方へと向かった。
すると、そこにどるるがやって来た。
「る!」
「……いいんですか?」
権能を貸す、と言われて少し戸惑う。
「るー、るるる?」
まあ、確かにあのベトベトを踏まないだけマシになるかもしれない。
「わかりました。ありがたく、お借りしますよっと!!」
そこからはただただ飛ぶのみでよかった。糸が引っかかりそうになっても、その直前には方向を変えられるほどに進みやすい。ふと、何かを感じる。
ダミーとは違和感のある何かを。
俺はその教室を開けた。
上半身が裸の女が、こちらを半分だけ振り返り、婉然と笑った。その下半身は金と黒の蜘蛛の躰だ。
絡新婦。
女に化け、人を喰らう妖怪。悲恋の話もある、かなり雪女のようなものだ。
ただ……人をたぶらかす容姿をしているというが、その姿は普通に細い目におちょぼ口、通った鼻筋に白い肌。体はグラマラス、といったところか。
……江戸時代なら人気者ですね、ハハッ。
すると、その口がにい、と微笑んだ。
「あい、お出でなんし」
「——高田っ、」
その体ががんじがらめに縛り付けられている。
「んぅ、んんん、」
その首元に、すっと何かが添えられる。その足の一部だ。尖ったそれが高田の首に添えられると、俺の血の気がざっと引いた。
頭がうまく回らないが、俺に動くなと言っているのはわかる。即刻、俺は鎌を床に落とす。
「あちきがぜぇんぶ、いたしんしょう。身を任しておくんなまし」
ねっとりと、じわじわ絡め取られていく。
蜘蛛の習性を守るなら、まだ時はありそうだ。少しだけ落ち着いて、俺は神気を放出する力を、指先で強めてみた。
ぽこり、と糸が膨れ上がる。
ポケットに手は入れられる。早々にその指先が黒く丸い物体を、つかみ出す。蜘蛛はまだ、その行為に気づいていないようで、気にせずに俺を巻いている。手の中にあるその結晶が、大事だ。
俺は息を大きく吸って、それから全身から神気をバッと放出する。糸が切れて弾け飛び、そしてその破片が女の顔に飛び散る。
今ので腕が問題ありになったが、まあ知ったこっちゃない。
結晶を握り込んだその手の中に刃を出現させ、そのまま壊す。
無駄に放出していた神気が、がっと回復しているのがわかる。
糸にまごついて怯んだその隙に、俺はその喉元に向けて片方の鎌を投げていた。そして、その鎌が相手の上半身を絡め取ると、そのまま俺はその場所へ向けて飛びついた。
絡新婦と目が合った。
喉元に突き立てたそれからはやはり赤い血は出なかった。黄色くどろっとした粘っこい液体が、そこからこぼれ出す。そのままの勢いで、甲殻の方へ大きく傷を入れる。
「ぁあああああああああ!!!」
悲痛な叫び声が、あたりにこだまする。俺はその痛みに耐えている間に、高田の糸をぶっつりとちぎる。
絡新婦の悶える姿をもう一度視界に入れると、その瞬間もう一人の何かが目に映った。
「……杏、葉?」
彼女は無言のまま、こちらへ音も立てずにギクシャクと歩いてくる。
俺はきゅっと目を細めた。そのまま、その体の上の糸を切る。杏葉は床に崩れ落ちた。
しかし、もう一度くったりと立ち上がる。
「チッ、高田、杏葉を頼みます」
「ああ。……手加減できないかも」
「しなくても、しぶといですよ」
俺が絡新婦の脚がザクザクとその糸を荒らすようにこちらに向かってくるのがわかる。
キチキチ、という音に、俺は少しばかり緊張を覚える。
その両手が、じわりと動いた。その瞬間、四方八方から飛んで来た糸が、俺の手足に絡み付こうとして、鎌を搦め捕り、あえなく失敗する。俺はその瞬間に正面にいる絡新婦の腹の下に滑り込み、そのまま新しい鎌でもって、斬り裂いた。
くそ、体液ばっかりかけやがって、と悪態を吐く。
その顔がもう一度こちらを向いて、その顔が蜘蛛に酷似して来ているのがわかった。
複眼の赤い目、そして牙のある口。
「明らかに致命傷のはずなのに、しぶといんですよ」
俺はもう一度、鎌を握りしめた。
後半のノリノリの状態に至るまで結構かかったよ……(´・ω・`)




