死神は夜の街を歩きますか?
えつらんすう が のびている!
ブクマがじわじわ……ありがとうございます!
なんか前話で十万字突入してました。すごいね。
俺は鎌を出現させないままに、転身したまま死神さんと歩いていた。そこに、ふわりと煙が流れてくる。
香水のような純粋な、濃密な香りではなく、どこか燻されたものを思わせる、木の香り。
香をたきしめているのだろう。
出どころに近づくにつれて、甘く痺れるような花の匂いと、どこか死臭を思わせる、もったりした果実のような匂い。それが白檀と混じり合って、えずきたくなる。
キツイ匂いではないはずなのに、なぜか気分が悪くなりそうだ。
「この匂いは、反魂香っつってな。黄泉がえりをするために使われてるって言われるが、実際は黄泉から妖が出て行くために使われてる。どっちもまあ、黄泉がえりには違いねーがな」
死神さんは大して気にしないように言うが、その鼻を眉を顰めてつまんでいる。俺は匂いに慣れるためにしばらく慣らしたため、鼻がバカになった。
しばらくは何を嗅いでも無臭になるだろう。
「うぇー、ようやく入り口だな」
提灯やふらり火がいくつも木造の街を照らし、ワイワイとあちらこちらから声がする。異形も多いがヒトに化けているものも多くいる。ただ、その服はいずれも着物だったり袴だったりで、俺たちの場違い感が半端ではない。
他の人?妖?は、どうも和気藹々(わきあいあい)として、どこか浮かれている雰囲気がある。
「うっへ、今日はなんかあったか?すげえ混みようだな」
そのつぶやきに反応した妖の一匹が「今日は紫陽花会だからな、」と言って振り向き、悲鳴を上げる。
「ひ、ひぇっ、ひええええええっ」
周囲の耳目が、一瞬にして俺たちに集まる。
その瞬間、死神さんを見て、周囲の妖がざあっといなくなる。
モーゼか。
「……あっはっはあ」
「笑い事じゃないですってば」
こういう隠密系の調査に死神さんは向かないと一瞬で判断した。
「おや?仁義氏ではないですか」
鼻が長く真っ赤な顔のお面を、無駄に美形な顔の横につけている。山伏の格好のまま、一本歯の高下駄を履いている。ヤツデを模した羽根のうちわが、ふわりとその胸に寄せられる。
どう見ても、警戒態勢ですねありがとうございます。
……何をしたんだよ死神さん。
「天狗の知り合い……アオギリですか」
「思い出し方がずさんですが、まあ構いませんよ。そちらの死神様とはお知り合いで?その、少しばかり悪名高い者ですから……」
その金の目が、きゅっと検分するようにすがめられる。
「一応、おそらく、たぶん、師匠です」
「なんかニギお前扱いが酷くない!?」
「気のせいじゃないですか?」
くつくつと笑う声があたりから響く。どうも妖が笑い出したようだ。それと同時に危害を与える気がないとわかったか、視線が静かに離れていく。
「ニギ、そう呼ばれているのですね。それでは、その姿の時はこちらもニギ氏と呼ばせてもらいましょう」
「ええ、問題ありませんよ」
「おいお前ら、どこに行く気だ」
二人で通りの方に歩みを進めると、その肩をがっちりと掴まれた。
アオギリはそれだけでかなりビビる。
ビクンッてなった。面白いとか言ったら食われそうだから言わないが。
「死神さん普通に隠密行動向いていないので、上から探してください。……行きましょう、アオギリさん」
「え、あ、はい。そういうわけですので、お借りします。……よくまああの災厄に、あれだけ言えますねぇ」
「俺からみれば、ただ食い意地の張ったやつですがね」
軽く返せば、アオギリは苦笑いで、その答えを聞いていた。心の中では、「ねーよ」と盛大に突っ込んでいることだろう。
しばらく歩いて行くと、尻尾の生えた少女たちが、呼び込みを始めていた。狐の耳と、フサフサの尻尾だ。鮮やかな小袖を着ている。
店の前には、紫陽花会とあったように、バスケットボールくらいはありそうな紫陽花が、壺に活けられている。
呼び込みをしている建物の中には艶かしい耳と何本かの尻尾のある女性が絢爛な着物を身にまとい、笑みを浮かべているのがわずかに見える。
色街に突入したか、と身構える。
妖同士殺し合いは避ける傾向はあれど、人間を襲って食う場合には、なんの制限もないからだ。油断していれば、俺も頭からぱっくりいかれていたことだろう。
こいつ意外と俺を食う気満々かよ、くそったれ。知り合いとはいえ油断できないのは、こういうことだ。
アオギリにはそろそろ本題を伝えねばならない。
「アオギリは『牛鬼』を知っていますか?」
「え?牛鬼ですか。ええ、知っています。けれど、ほとんどはいい牛鬼ですよ。一夜の夢を見せて、そして精気を幾分吸いとるだけの」
「ですよね。その中でも、悪質な者を探しています」
「悪質な」
しばらく考え込んでいたが、その顔は曇り始める。同時に、食欲をも加えた表情が、滲み出した。ここからは油断できもしないし、空腹の妖とはいえ交渉の代価は、きちんと決めねばならない。
「いるには、います。でも、其奴にニギ氏をやるのは惜しいのですよ。わかっていただけませんか?私今とても、空腹なのです……」
「対価を支払えば、その場所に連れて行っていただけますか?」
「腕一本」
「腕一本ですか」
「ええ。それぐらいの神気がなければ、やってられません……これでも、食わないように我慢しているのですよ?」
「……わかりました」
俺はポケットに手を突っ込む。その掌に、俺の神気の塊を乗せる。
「腕一本に足りるはずです。そうでないとは言わせません」
「ん?……ん?」
じわじわとその顔が青ざめていく。
「も、申し訳ないです。今、空腹で意識が飛んで申した……死神様にこのような口をきくなんて……私の首は、どうか」
どうやら、他の死神はこの街に来て、ちょいちょい横暴に振舞っていたらしいことをぶつぶつ言うところから把握した。俺が結晶を出したのを見て、ようやく俺が死神だと気付いたらしい。
死神さんはまた、違う意味で悪名高いようだが。
「それの代価は、きちんと支払えますね?」
「はい。牛鬼の、人間に悪いやつですね……」
神気の結晶をぺるりと紫色の舌が撫でた。その顔は上気して蕩けきっており、そんなうっとりとした表情に、周囲にいた狐の少女が頬を赤らめる。
その結晶が美味しそうな妖気でも放っているのだろうかと微妙な表情で見れば、正気に戻ったらしい。そそくさと結晶を懐へ収めた。
「ご案内いたしましょう」
「その、そちらさんが飛んでついて来られると……少々居心地が悪いのですけども」
「だそうです。ちょっと死神さん向こう行っててください」
「俺の扱いがやっぱひどすぎない!?ねえニギお前ほんとに俺の弟子だよね!?」
「弟子-(敬う気持ち+礼儀)=俺ですね」
「なんか人として大事なもん捨ててないかお前ェ!?」
そんな会話を交わしていると、裏歌舞伎町の現世との境の近く、その巨大な木のそばに妙に着崩した艶かしい女性が立っている。
ただ、妙な気配は感じる。
「あれです」
アオギリの言葉に、一気に俺と死神さんの顔が引き締まった。いや、俺は引き締まりっぱなしだった。アウェーだし。
妙にウキウキした表情で、境界の結界に手を突っ込んで、ぬるりと何かを引き出した。
意識を失った青年だ。酔いつぶれて寝ていたからか顔はほの赤く、すでに若干の酔いを残しているだけのようだ。
「……起きてくださいまし」
「……んあ?」
その体にしなだれ掛かると、男は覚醒して周囲の状況を確認しようとする。
「あん、そう余所見をしないでくださいまし」
「え、え、うぇ、」
「あたくしと良い夢でも見ませんこと?」
はらはらとその薄紅の絹が落ちて、男は目を見開いた。女はその体をからませるようにねっとりと抱きつき、そして——口をガバリと大きく開けた。
耳元まで開いたその口内には、びっちりと牙が並んであたかもヤスリのよう——ってはぇえな、もう食うつもりなのかよ!?
「ちぇえええい!!」
そんな大声とともに、その女が大きく吹き飛ばされる。がらんがらん、とその体が木造建築に受け止められ、土埃を立てる。
あれ弁償しろとか言われねえよな……?
「あれま」
僧兵であった過去を持つアオギリは荒事が好きなようで、死神さんの挙動を見て若干ニヤついている。
「何やってんだニギ。色香に惑わされたのか?まああれは色っぽかったもんなー」
「死神さんと一緒にしないでください。幾ら何でも早かったんですよ、タイミングが。うまく搾り取るだけ搾り取って返せば、いい思いできる男と精気が欲しい牛鬼で、ちょうど良かったのに」
「まあ、そういうのが好きなのもいんだよ。おこぼれ狙いもいるしな」
周囲に集まっていた無数の妖が、そそくさと逃げていく。ふと、瓦礫の中から大きな体躯が持ち上がりかけていた。
「いったたた……何なんですk」
「フッ!」
滑り降りた俺はその腹を思い切り貫いた。
「ぐあああああああっ!?」
「暴れる、なッ!」
もう一本の鎌を突き立てて縫い止めたためにそう動けることもなく、俺がしばらくして引き抜けば、息絶えてその神気は俺の鎌に吸い取られ、全てが光の粒へ変化する。
「えっ」
「あれ?え?マジで?」
「何か?」
「……なんでもない」
死神さんもアオギリも、微妙な顔をしている。
「……いやー、このタイミングで屠るとは……」
「アイツ様式美をわかってねーよな。プリ◯ュアの変身タイムに今やればいいのにとか突っ込んじゃうタイプだろぜってぇ」
「何をブツクサ言ってるんですか。アオギリは間違った情報を渡していたわけではないんでしょう?俺はその点に関しては、そちらを信用します。対価を払ったぶんは、誠実に返すと」
「なんかいいこと言ってるけど、実際そういう問題じゃないような……」
「そうですね……」
二人には何か許せないことがあったようだ。
「そうだ、今日は紫陽花会なんですよね?」
無理やり話をずらしてみれば、アオギリは乗っかってくれた。
「あ?ああ、そうですね。案内しましょうか?」
「いや、紫陽花を一本欲しいだけですよ」
「結晶も結構もらいましたし、特別に一本だけ……お譲りしましょうか」
本当は木精が育てているために、そうやすやすとは譲れないらしい。切って放置しても一ヶ月は保ち、神気をやれば半永久的にそのままだという。
鞠のような美しい純白の紫陽花を渡される。
「この花言葉は、寛容です。あなたが、我々にとっても良き死神であることを祈ります」
その花のような顔は、ふっとほころんだ。
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「さて、これを頂きましょうかね……」
「それはよろしくないな。それをこちらへ寄越しなさい」
穏やかだが、厳しく鋭い声。
「何者だ!?」
アオギリはその手にぎゅっと黒く透き通った結晶を握りしめようとして、気づいた。
右手の感覚が、なくなっている。
「ぎぃっ……!?」
血が遅れて吹き出し、真っ白な装束を染める。アオギリはそれを抑えると、天狗の面を即刻かぶった。
暗がりの中から、学生服を着たままの人影が現れる。
「やあ、初めまして。これはとてもいいものだね。よほど高位の妖より賜ったと見える」
「……お、お前ッ、まさか……お、陰陽師か!?」
余裕をなくしたように、少年に叫ぶ。
切りそろえた前髪からはいく本か切り損ねた毛が垂れていて、そしてその面差しは、今にも切れそうなほど鋭く見える。
切れ長の瞳、痩せている面差しは不健康そうに見えるが、覇気を持っている。
手にはじゃらりと数多の石が連なった腕輪をしていて、その体躯はつつけば倒れて割れそうなほど華奢だ。
そのたおやかに見える指は、すっと胸のポケットに入り、そして何か模様の書かれた紙を取り出し、その日本刀めいた顔は、笑みを浮かべた。
あたかも刀身が反射した煌めきのように見える、物騒な笑みだ。
「我のものじゃ、それを……返せ!!」
「なんだ、喋らないのかい?残念だな……」
幾つにもアオギリの視界が切れた気がした。
次いで、どちゃどちゃ、と肉片が落ちる音。
「……僕は結構、せっかちなんだ」
人間味のある、わずかに照れたように言ったその言葉は、すでに誰の耳にも届いていなかった。
アオギリさんェ…。