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狂霧の町  作者: 九田無
9/16

九節、喪う人



 ──すみません。

 霧の満ちた寮の中に、彩の声が虚ろに響いた。


「……返事が、ないな」

「そんな……、ミキ! ミキ! 居ないの⁉」


 ミカが叫ぶが、まるで声が霧に飲み込まれたかのように返事はなかった。


「その『ミキ』って娘の部屋はわかるか?」

「はい。たしか……、『八号室』のはずです」


 荒尚は土足で上がると、右に曲がり部屋を確認する。

 目を凝らすと、扉には一と書いてある。

 奥には部屋が続いていて、数えると突き当りの部屋が『八号室』だとわかった。

 荒尚は彩とミカを残すか迷ったが、連れて行くことにする。

 自然と摺り足に成りながら廊下を進んでいき、八号室の扉をそっと開いた。


「……扉は開いているものなのか?」

「オートロックと聞きました。カードを壁にある機械に差し込むと、電気が使えるようになるらしいです」


 荒尚はこんこんっと、扉を叩いた。返答は静寂のみだ。

 彩の心中に諦観が、じわじわと染み込み始めた。


「……入るぞ」


 ──キィ。と音が鳴る。

 入ってすぐ横にはユニットバスがあり、奥には曇硝子の引き窓。その手前に机とベットが、向かい合うように並んでいた。

 扉の隣の壁には、カードを差し込む穴があり、そこに鍵がついたカードが差し込んである。


 机の上には何も置かれていない。

 だが正反対に、床には物が散らばっている。

 彩が小声で、「きれい好きな娘なのに」と呟いた。

 そこ以外、何も変哲の無い部屋だった。

 "霧で淀んでいる以外は"。


 荒尚はゆっくりと奥に行くと、ベットの上を見た。

 其処には干乾びたような、しかし霧で微かに湿っている怪死体が横たわっている。

 お下げにした髪に、小さな花飾りのついたゴムをしていた。


 彩とミカはふらりと歩み寄ると、わっと声を上げるとベットに縋り付く。

 溢れた涙が、干乾びた皮膚にボタボタと落ちた。

 だがどんなに涙を落とそうと、少女が元に戻ることはもうない。


 荒尚は一歩後へ下がると、机に腰掛け視線を落とした。

 泣き止むのを待とうと、思っていた。


 ──ベッドの下から、気色の悪い乳白色の触手が顔を覗かせるまでは。


「下がれ!」


 荒尚は二人の襟を掴むと、勢い良く後へ引っ張った。

 しかし、遅かったのだ。

 触手はミカの足に引っ付くと、何かを入れた。

 それはミカの足へ入り込むと、血管のように這いずりながら上へと登っていく。

 線虫のような何かが、皮膚を突き破らんと蠢くのを見て、ミカは引き裂かれるような悲鳴を上げた。


 荒尚は触手を切り落とす。

 しかし、触手の先から赤黒い蚯蚓の様な虫が足に入り込むのを見て、荒尚は既に手遅れなのだと悟った。

 唯一の解決策は、"足を切り落とす"こと。

 迷っている暇は、無かった。


「彩! 落としたら直ぐに、このベルトで縛れ!」


 荒尚は床に落ちていたベルトを掴んで彩に渡すと、ミカの頬を掴んで自らに向けさせた。


「今から足を切り落とす。絶対に死なせはしない。俺を信じろ」


 そして有無を言わせず、膝の上を切り落とした。

 唖然としていた彩だったが、荒尚の怒声に慌てて傷口を縛り始める。


 しかし既に荒尚は少女達に背を向け、ベッドを睨んでいた。

 やがてソレは、ゆっくりと姿を現す。


 それを言うなれば、肉の虫だった。

 全身は乳白色で、全体的な姿はさながら蝿のように丸く。

 まるで長い触手は、蝶の持つ口のようであった。

 鉤爪の付いた六本の足は、虫のように節がありながら乳白色の肌を持っていて。

 顔の両方に付いた大きな目には、小粒の葡萄の房のように目がついていた。

 その怪物は触手の切断面から赤い血を流し、豚のような金切り声で泣いていた。


 一際大きな声で鳴くと、怪物は野太い触手を薙ぎ払う。

 然し──。


「──遅い。既に間合だ」


 触手を寸断され、返した刃を頭の根本に突き立てられると、怪物は部屋に染みつくような悲鳴を上げる。

 やがてそれは弱々しくなり、沈黙した。


 血を吸わした時の高揚感が、今は何故か煩わしい。

 女一人守れず、更にはこんな時でも血に酔う自分が、酷く糞ったれに思える。


 荒尚は怪物から短刀を引き抜くと、床に落ちていたミカの足を急いで窓から投げ捨てた。

 足は既に血を吸い尽くされ、断面から蚯蚓が蠕動していたからだ。


「……すまない」


 荒尚は短刀を鞘に収めると、外を見つめたまま言った。


「いえ、アレしかなかったのはわかっています」


 苦しそうに、ミカは言う。


「それに無理言ってついてきたのは、私達の方ですから」

「……そうか」


 荒尚は呟き、向き直ると。


「帰ろうか。ミカは彩の肩を借りて歩いてくれ。

 俺は、彼女をおぶって行くよ」


 荒尚はベッドに横たわる少女を持ち上げた。

 驚くほど軽く、彼女の中には何も残っていないことが判った。

 全てを吸い取られてしまったのだと。


 荒尚達は寮を出て、霧の中を進む。

 ふと振り返れば、寮はより一層濃くなった霧に隠れ、すっかりと見えなくなっていた。


 ふと雨が土砂降りになり、雨足が強くなっていく。

 荒尚は黙って、フードを被って進む。

 その後ろを一つの傘を指した二人の少女が、足を引き摺るようについていくのだった。



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