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狂霧の町  作者: 九田無
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十六節、霧中の少女



 霧の中に金の瞳が輝いていた。

 それは銀の閃きを持って駆け、数多の怪物を切り刻んでいく。

 金の瞳を持つ男は、振るわれる鉄塊を寸前で避けると、従僕たる狼を踏み台にし、怪物の頸へと刃を突き立てる。

 そうして獲物を仕留めると、他の怪物へと飛びかかっていった。


 やがて怪物は数を増し、男を圧殺せんと殺到する。

 男は全てを尽く避けると、お返しに鉄の牙を見舞う。

 鮮血が舞えば、化物が倒れる。

 怪物共でできた屍山血河の頂上には、金の瞳をもつ男が立つ。

 そして男を屍山の一部にしようと、怪物が襲いかかっていくのだった。


 争いは続く。

 それは何方かが、力尽きるまで続くのだ。


 不意に、怪物が動きを止めた。

 訝しむ男が見る前で、怪物達は倒れ伏し、崩れ去った。


「やあ、頑張ったようだね」


 屍山に立つ男に言葉を投げかける者がいた。

 男はちぐはぐな格好の紳士で、長柄の鉈とも言える奇妙な槍を方に担いでいた。


「権兵衛さんか……、その引っ提げているのは?」


 権兵衛は空いた手に持ったものを軽く掲げると、これかい? とにこやかに笑う。


「これは『母』(まざぁ)の首だよ」

「これが……?」


 荒尚はまじまじと見つめる。

 首は巨大な女の首のようであったが、乳白色でのっぺりとしていて、大凡見ていて気分の良いものではなかった。


「それより、君気付いているかい?」

「…………何がだ?」


 ──君、もう人じゃないよ。

 やはり笑顔を絶やさないで言う権兵衛を荒尚は、信じられない面持ちで見つめた。


「おや、まさか。狼は話さなかったのかい?」

「聞いてないですよ」

「おやおやおや、これは人が悪い。いや獣が悪い?」


 ──まあともかく。

 君は人じゃなくなったんだよ、と権兵衛はあっけらかんと言った。

 それが代償なのだと。十二振に"忌"の字がつくのも、それが由縁なのだと。

 権兵衛は、何でもないかのように語った。


「実感がわかないですけど、あなたが言うのなら、そうなんでしょうね」

「物分りがいい子は好きだよ」


 ふふふ、と笑うなり、権兵衛は表情を引き締めて。


「それで、これからどうするだい?」と言った。


「どうするって言われて……。とりあえず旅館に戻って、ミカの様子を見なきゃですし……、それからー…………」


 ──どうする、かなぁ。

 荒尚は、ぼんやりと呟いた。


「よければ、一緒に来ないかい?」


 権兵衛は手を差し伸べながら言った。

 荒尚は手と権兵衛の顔を行ったり来たり見ながら、最終的に手を取った。


「私の一人旅もこれで終わりだね」

「安心してくださいよ。プライベートは尊重する男なんで、見ないふりしてあげますよ」

「それはこっちの台詞だよ。私はとうに枯れ果てているのだからね」


 軽口を叩きながら、二人は歩いていく。

 そこでふと、荒尚が立ち止まった。


「どうしたいんだい?」

「あそこ、誰かいませんか?」


 荒尚がいうなり、そこへと向かっていく。

 そこには幼い少女が一人、泣いているのだった。


「ねえお嬢ちゃん、大丈夫──?」


 荒尚は少女の顔を見て、言葉を失った。

 少女の顔は、死んだ少女「彩」の顔にそっくりだったのだ。

 あの少女が幼くなったらこんな顔になるんじゃないか。正にそのような顔をしていた。


「あー……、この娘は『落とし子』だよ」

「『落とし子』……? この娘もあの怪物と一緒だって言うのか?」

「それとは違ってだね。

 たまにあるのだよ、こんな風に狂った時間が終わる時に、ふらっと現れる子供っていうのがね」


 ──普通の子達なのだよ。

 だけれど、狂った劇の幕が下りた時に産まれてくる。


「……思うんですけど」


 荒尚は柄にも無いと自分でも思ったが、この程度の感傷なら許されるだろうと、言葉を続けた。


「この子達は、本当の意味であの怪物に食われなかった人達なんじゃないんですか?

 たとえ敗れようとも、心までは食われなかった。尊厳を持って、死んでいった人達なんじゃないんでしょうか?」


 ──恐怖に打ち勝った人達だ。

 そうに決まっている、と荒尚は思った。

 最後まで親友の親友のことを想い、怪物の好きにされることを良しとしなかった彼女だからこそ、霧の中からこうやって戻ってこれたんじゃないのか──。


 荒尚は、そう思った。


「権兵衛さん。この娘を連れて行ってもいいですか?」

「…………はぁ。まあ構わんよ。ただ、それがその子の為になるとは限らないがね」


 言って、権兵衛は荒尚と少女に背を向けると、彼らを放って歩き始めた。

 荒尚は困ったように笑うと、少女を立たせる。


「なまえは?」


 少女は頭を横に振った。


「そうか……、じゃあ『沙耶』なんてどうだ?」


 荒尚は少女がこくん、と頷いたのを見て笑うと、少女の頭を撫でた。

 荒尚はパーカーを脱いで少女に着せると、少女の手を引いて権兵衛の後を追う。

 少女は丈の余ったパーカーで口元を隠すと、黙ってついて行った。


「さむくないか?」

「……うん」

「足は痛くないか?」

「……いたくない」

「おぶってやろうか?」

「…………いい」


 ──早くし給え!

 荒尚が少女を構っていると、薄くなった霧の向こうから権兵衛の声が聞こえてきた。

 荒尚は屈託のない笑みを浮かべると、少女の手を引いて、霧の中へと消えていった。



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