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狂霧の町  作者: 九田無
11/16

十一節、孵化



 次の日の朝のことだった。

 女将は楚々と普段通りの姿を見せていたが、番頭や斗真は二日酔いに唸っている。

 そんな中、久美が荒尚に言った。


「私達は、この町を出ようと思っています」


 女将や番頭は聞こえない振りをして、黙々と配膳していく。

 反対に斗真は、佇まいを直して久美の隣へ座り直した。


「荒尚さんには、ついてきてもらえたらと、思ってるっす」


 ──改めて、お願いします。

 斗真は深く頭を下げた。

 荒尚は黙って外を見つめていたが、不意に口を開いた。


「安全は保証できないよ」


 ──実際、守れきれなかった。

 自嘲の笑みで、荒尚は呟く。

 斗真が困ったように眉を寄せたのを見て、荒尚はあえて声を立てて笑った。


「今日いきなりというわけにもいかないから。今日は準備といこうか」


 そう言って、荒尚は席を立った。

 女将の静止の声も聞かず、逃げるように部屋を去っていく。


 部屋を出て、自室へと歩く荒尚の頭に声が響く。

 反響するその声は、大きい鐘のような暴力性を持って、荒尚に呼びかける。

 やがて目が霞始めた時、荒尚は声が誰なのか悟った。


 其処は、霧に満ちていた。

 見慣れた旅館であったが、壁も床も窓でさえもぼんやりと歪んでいる。

 まるで世界が燻り狂うかのように。


「──力を求めるか」


 霧に大きな眼が、二つ浮かぶのを見た途端、霧からあの巨狼が這い出てきた。


「黙れよ」

「悔いているのだろ?」

「何故求めん。それより、何故心を苛むんや?」

「己は我が眷属であろう?」

「血に狂え」

「喰らえ」


 ──狂え、喰らえ、狂え、喰らえ──。


「──うるせぇっ!」

「…………逃れんとするか、人の子よ」


 ──なればこそ、主に相応しい。

 荒尚は顔を上げ、巨狼を睨みつける。

 何時の間にか、狼は二匹三匹と増え、霧の中には無数の瞳が爛々と犇めいていた。


「──試練を下す」

「見事其れを乗り越えてみせよ」

「なれば契約はなされん」


 ──己を喰われんと、我を喰らわんとすれば、力は得られるであろう。

 その言葉を最後に、霧は晴れていった。

 後に残るのは、頭に疼く銅鐘のような頭痛だけであった。


 ◆


 それは、漸く目覚めた。

 醜悪なマザーによって生み出された怪物が、獲物に産み付けた幼体。

 それは血を吸い、肉を貪り、成体へと変態する。


 怪物でなければ、自然界に於いては自然なことであった。

 事実、幼体を獲物に産み付け、育てる種も存在するのだから。


 しかし、時には自然がある一種族に不都合を引き起こすように。

 ここにも一つの不幸があった。

 奴らが潜んでいた死体が、ある少女達の親友であった事。

 そして、その死体に奴らが()()と思わずに、持ち帰ってきてしまった事。

 それが、不幸の原因だった。


 数体の兄弟との凄絶な共食いを経て、怪物は産声を上げる。

 豚にも似た、悍けの立つような産声を。


 怪物は自らの居た死体から抜け出すと、本能のまま駆け出す。

 木製の戸口を体で押し開け、廊下へと転がり出た。


 そして、目の前に居た──。

 目の前に居た"二人の少女"を見て、歓声を上げた。


 ◆


 真っ先に気づいたのは、荒尚だった。

 狼にも似た過敏な嗅覚が、忘れること無い化物の匂いを感じ取ったのだ。

 次いでまだ幼い悲鳴が聞こえてきた瞬間、荒尚は駆け出した。


 荒尚の懐の中、短刀に憑く狼達は呟く。

 不幸か、それとも幸か。試練の時、来たれり──と。



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